「居ごこちのよい旅」

  • 2012.05.12 Saturday
  • 15:43
JUGEMテーマ:オススメの本

 

 

 

  【こんな一冊の本】

 

 

 

 

       居ごこちのよい旅    

 

 

 

 

 

                 松浦 弥太郎/著

                 若木 信吾/写真

 

 

 

 

  
 ================================================

 

   

   

 

 松浦弥太郎さん、1965(昭和40)年生まれ。

 

 今年、46歳になる(あるいは既になられた)。『暮しの手帖』(
 んでも『暮らし』でないことをこの度知った)の編集長であ
り、
 『COW BOOKS』をオープンさせた書籍商でもある。

 

 甚だ勝手な言い分だけれども、この経歴だけを拝見しただけで、
 「うーん、なるほどなあ」と唸るに十分だった。

 

 なにしろ、この本、エネルギッシュなのだ。というか、エネル
 ッシュな町の坩堝なのだ。ページを閉じ忘れでもしたら、そ
の隙
 間からそこの土地の言語や音楽が飛び出してきそうなのだ。

 

 この1冊につまっている、ざわめき、喧騒、におい、ありとあ
 ゆるものがあふれ出てきそうにしている。

 

 表紙の穏やかな写真と違った表情が隠れている。

 

 それもこれも、ひとえに筆者、松浦さんが今までに蓄えてきた
 のとそしてそのパワフルな行動力に裏打ちされているのだろ
う。

 

 「気になる街の 気なる場所さがし。はじまりはじまり。」

 

 そう口絵にはある。

 

   ノースビーチ サンフランシスコ カリフォルニア USA

   

   ハワイ島ヒロ ハワイ USA

 

   マンハッタン ニューヨーク USA

 

   オベルカンフ パリ フランス  

 

   バークレー サンフランシスコ カリフォルニア USA

 

   ブリムフィールド マサチューセッツ USA

 

   中目黒 東京 日本

 

   バンクーバー ブリッティッシュコロンビア カナダ

 

   ロサンゼルス カリフォルニア USA

 

   台北 台湾

 

   台東・台北 台湾

 

   ブルックレーン ロンドン UK

 

 どこから取りかかろうと、それはあなた次第。自由だ。

 

 今現在、興味あるところからか、それとも気分を変えてまるっき
 り違うところから攻めてみるか?どちらから行っても、
大きな失
 敗はないだろう。あまりアメリカに“ご縁”がない
のが、本書を
 読んでいて「おお〜、アメリカにも行ってみた
くなるねえ〜」な
 んてほざいてしまったのるまんじいがいた。

 

 それ思わせるぐらい筆者の記事がおもしろかった。そこにはてら
 てらでいかにも“観光”のものではなく、地元にしっか
り息づく
 文化があった。

 

 本書は雑誌「COYOTE」に連載したエッセイ「グッデイ!」
 をまとめたそうだ。副題に「地図は自分で歩いて作る」
とあった
 ように、好きな街を歩きながら、自分だけの地図を
作るという目
 的が、そこにはあった。

 

 だから。

 

 旅の情報をほとんど持たずにその街を訪れ、1時間も歩けばひと
 回りできるような狭いエリアを何日もかけて歩き、見た
こと、聞
 いたこと、出合ったこと、観察したことを、地図に
描き、そして
 文章に残した。

 

 物書きは文章によって心象や情景の描写を、写真家はカメラで自
 分の目の体験を定着するべく努めた。

 

 わかりにくい店や場所を、時間をかけて探すのがふたりは好きだ
 った。よりおおきな楽しみは古い地区を探訪することだ
った。人
 気の少ない横丁や小道ばかりを歩き、壁に貼られた
色のあせたポ
 スターや看板、名も無き古い建築物のたたずま
いに心をおどせた。
 そういうふうにふたりは街そのものに恋
をするようになった。

 

 旅に種類があるとしたら、どこか空間に向かうものと、時間に向
 かうものの違いくらいだろう。ここにまとめて記事は、
その両方
 が内包されていると思うと筆者は語っている。

 

 ほんのちょっとでも未知の場所に動けば、そこには必ず輝きが瞬
 いている。その輝きを美しいものとして、自分で拾い集
めていく
 こと。それこそが、“旅の楽しさ”だとも。

 

 そう読んでいって、のるまんじいは、まず「中目黒」に取りかか
 った。東京といえども、訪ねる機会のほとんどないエリ
アだった
 こともあり、まことに新鮮な思いで読み、そして若
木さんの写真
 に見入ったのである。これからも、「何かが起
こらない」限り、
 無目的のままで“中目黒”に足を踏み入れ
ることはないだろうな。

 

 もちろんどなたかから、「ちょっと出てこない?」なんて話にな
 れば別だけどね(笑)。

 

 そんな訳で(どんな訳で?)、次にどこを挙げようかと思ったが、
 ふっと目に止まったそれは、アメリカ東海岸マサチ
ューセッツ州
 の小さな町、ブリムフィールドだった!

 

 松浦さんがこの町を知ったのは、旅先の空港で手にした雑誌がき
 っかけだった。その記事というのが全米フリーマーケッ
トのベス
 トテン・リスト。

 

 フリーマーケットだって?それも全米の?

 

 まだ薄暗い朝焼けの空の下、深い森に囲まれた広い草原にぽつん
 ぽつんとテントが建ち並んでいる。アンティークの生活
用具が所
 狭しと置かれた物置小屋のようなテントの中で、老
眼鏡を鼻にか
 けたトラベルライターらしき人が、丸太をくり
貫いて作ったボウ
 ルを高く持ち上げ、品定めしている写真が
あった。ページの隅に
 は、「マサチューセッツ州ブリムフィ
ールドJ&J」と記されて
 いたそうだ。草原の透き通った空
気の匂いが香る写真と記事が気
 に入って、ポケットにしまっ
ておいたのだという。

 

 見逃さないこと、取っておくこと、これって大事なことだよねえ。

 
ベストテン・リストのトップに選ばれている、ここブリムフィー
 ルドもフリーマーケットこそ全米のフリーマーケットマ
ニアの聖
 地と呼ばれる場所なのだそうだ。5月、7月、9月
に開催され、
 参加するディーラーは5千を超えるのだそうだ。

 

 そうそう、場所はボストンから車で約3時間だのところそうだ。

 

 「行ってみたいなよその国」ではなく、「行ってみたいな、フリ
 ーマーケット」ではないか。

 

 何しろ慣れた人はテントサイドでキャンプするのだそうだ。

 

 アンティーク探しは、アメリカ人の老後の趣味と言われているの
 が、それはまさしく本当のようだ。

 

 ここに集まるアンティークの多くは、場所がらニューイングラン
 ドのカントリースタイルやシェーカースタイルのものが
多いのだ
 そうだ。(伝聞が多くてくやしい。こういう話題に
なるとどこか
 でしっかり勉強しておかないと皆目わからない)

   

 そこで、筆者は19世紀の“洗濯バサミ”を見つけたのだった!ひ
 とつひとつ木を削ったもので、そのいびつさ加減が造形
的で気に
 入ったとか。木の洗濯バサミそのものさえ見かけな
くなったなあ。
 でも、実際に出会ったとしても、スル―しち
ゃうだろうな……き
 っと。

 

 売ることよりも、自慢の品について、たくさんの人と話したくて
 あちらは待っている。

   

 “ペーパーボーイズ・バッグ”

 筆者は、これを肩から斜めに掛けて歩いているフリーマーケット
 ・マニアを不意に見かけて、自分も俄然ほしくなった。
アメリカ
 の新聞配達少年が新聞を入れて持つ、帆布でできた
バッグを“ペ
 ーパーボーイズ・バッグ”というのだそうだ。

 

 そうは問屋が卸さず、思うようなものはなかなかなくて……。
 たしてその結末は……。イラストを見たが、のるまんじい
も「こ
 れほしいな」と思った。

 

 そして。

   

 40年代に作られたヴィンテージのネイティブ・アメリカンのブレ
 スレットに筆者は心を奪われる。ズニ族のものでブルー
とグリー
 ンのターコイズ石を装飾したものだった。これにつ
いても伏せて
 おこう。

 

 そのあと、近くのノースハンプトンにある“世界一番素敵な古本
 屋”、ブルックミルという水車小屋の古本屋を訪れる筆
者の姿が
 あった。渓流沿いに古い木造3階建ての邸宅のよう
な造りの店は
 あって、いくつもある小部屋にはソファや椅子
がおかれ、図書館
 のような居心地だった。そればかりか、カ
フェとアンティーク屋、
 レストランまで併設されていた。

 

 いいなあ!!

 

 こんな街だったら迷わずにのそのそと出かけてみたいよなあ。
 も、“英語”がネックになりそうだ。こういうことになる
と決ま
 って「もっとちゃんと英語を勉強しておけばよかった
なあ」と後
 悔するのだ。

 

 「ああ、後悔先に立たずか」

 

 中高校生たちよ、やっぱり外国語はしっかり勉強しておいた方が
 いいぞ。できることなら、海外留学にチャレンジしてく
れよ。お
 っさんのは“負け犬の遠吠え”でしかないけどね。

続きを読む >>

「イギリスは不思議だ」

  • 2011.12.20 Tuesday
  • 00:02
JUGEMテーマ:オススメの本

 

 

   【こんな一冊の本】

 

 

 

 

   イギリスは不思議だ

 

     

 


 

                  林 望/著

 

 

 

 ===============================================

 

   


 ルネ・マグリットの空――

 

 瞬間、そう思った。

 

 きれいに刈り込んだ芝生の真ん中を1本の道がむこうの林へと
 づく。道を挟むように刈り込んだ植栽が絵画的にある。ちょ
うど
 その道のあたりにひとりの男性がちょこんと椅子に腰かけ
てこち
 らを向いている。

 

 はじめは、人形かしらと思ったが、両の目を近づけてみると、
 れはまごうことなくリンボウ先生その人であった。

 

 おや、まあ、また、リンボウ先生、そんなところで何をなさって

 おいでかと問いたくなるような、ルネ・マグリットのあのシュ
 ルな雰囲気を漂わせているそんな表紙に思わず手にしたのが
この
 1冊だった。

   

 『イギリスはおいしい』『イギリスは愉快だ』を始めとするリ
 ボウ先生の軽快、爽快なそして感性豊かな世界を紡いだ著書
を読
 むうちに、まるで自分自身がそうでも考えているかのよう
な“酔
 い”を覚えながら、イギリスに自然にはまっていった。

 

 ゆえに、“ガイドブック的な”イギリス案内だけではなく、一
 マニアックな(?)「イギリスとはこうだ」というような本
にも
 手を多く伸ばすことになった。

 

 自分がおもしろけりゃ、それでいいのである。事実、のるまん
 いは「マニアック」という単語を肯定的に捉え使用している。

 

 もしも、イギリスに実際に行ける機会ができたとしたら、彼の
 で有名なところに足を運ぶことが思うようにできずとも、自
分が
 見てみたいもの、食べたいものといった好奇心を満足させ
られれ
 ば、それで十分だと“今は”思っている。

 

 でも、よくばりなのるまんじいだもの、1回こっきりなんてん
 ゃ、とっても無理。というか、そんなの寂し過ぎる。格安航
空会
 社がもっと普及してくれれば、すぐにでも。“思い立った
が吉日
 ”って昔からいうじゃない。というか、足腰、元気なう
ちにあち
 らこちらと“膝栗毛”しとかなくちゃあ悔いが残るも
の。

 

 とは言え、何しろ“先立つもの”が何とやらである現況ゆえ、
 こは大望を抱きつつ、リンボウ先生の世界で少しばかり心地
よく
 “酔う”としよう。

 

 この1冊。

 

 どこからどう読もうと、おもしろいことに違いなく、ゆえにの
 まんじいもつまみ食いでご紹介をさせていただくことにしよ
う。

 

 まずは、“ピラーボックス”はいかがだろう。

 

 日本の郵便制度は前島密が1871年(明治4年)にイギリスから直
 
輸入した訳だから、ポストの色もそれに倣って“赤色”にしたに
 違
いない。それにしても、あの“丸ポスト”が姿を消してから久
 しく、
どこかでたまたまその姿に出会うとなんとも懐かしく感じ
 る。

 

 ところが、どっこいご本家のイギリスでは、1853(嘉永6)年に
 設置された「No.1」ポストが今でも当時のものが同じところにそ

 のままあるというのだからすごい!いずこにあるかは本書をお
 みくだされたし。そしてまた、ロンドンにはペンフォールド
・ボ
 ックスと呼ばれる
1870年前後のピラーボックスがあるんだ
そうな。
 1870
年代がこのヴィクトリア時代だと聞いてまた嘆息。

 

 「牧師館の朝に」――

 

 それは、オックスフォードの村(あえてそう言っておこうとリ
 ボウ先生は書く)の中心にある教会のそばにあった。

 

 15世紀に牧師館として建てられたと伝えられる建物が、リンボウ

 ウ先生が宿りした“オールド・パーソネージ”であったが、こ
 建物はランドマーク・トラストの所有の「ホリデー・ハウス
」な
 のである。

 

 ランドマーク・トラストは、古くて役立たずの建物を買収して、
 
それらを古色蒼然たる風情となし、あるいは改造して完全に人
 住めるようにしたのだ。農家、水車小屋、配水塔、廃駅、要
塞な
 ど。それを一般の人々の使用に供したのだそうだ。営利団
体では
 ないので、ホテルなどと比べると、使用料は断然と格安
だそうで
 ある。

 

 このようなシステムは、日本ではなかなか取りいれられないよ
 に思う。甚だ、残念なことではないか。のるまんじいが若い
ころ、
 社会科の授業だったかなあ、「これからは“スクラップ 
アンド  
 ビルド”の時代だ」と誇らしげに説明していた教師を
思い出す。
 イギリスとなんと正反対の方向だろうか。そして、
未だに「スク
 ラップ アンド ビルド」精神が健在のご様子で
ある。結果、風
 情ある街並みは姿を消し、後に残るはなんとか
ばかりである。

 

 リンボウ先生は、イギリス留学時代に、ボストン夫人(『グリ
 ン・ノウの子どもたち』の作者:いずれここでもご紹介する
つも
 りである)の居住する
12世紀のマナハウスに住んでいた
という。

 

 すまいに対する考え方の違いがよくわかる。添付されている写
 が興味深い。

 
さて。

 

 本書の後半には、「不思議の国のスペクタクル」と称して“こ
 でもか”とばかりに、博物館が紹介されている!

 

 イギリス人は“ものを集める”のが、すきな国民のようである。
 
その国家的集大成がかの「大英博物館」だとある。

 

 それで、

 

 光あふれる空間が広がり、恐竜の骨格標本を始めとするナチュ
 ル・ヒストリーが専門の「オックスフォード大学博物館」。
世界
 の各地域で日常的に使われていたものを1万5千点あまり
コレク
 ションした「ピット・リヴァース博物館」。日本の能面
がズラリ
 と並んだ空間は……、写真といえども薄気味悪い。

 

 チャールズ・ダーウィンが隠棲した、“進化論の部屋”、「ダ
 ン・ハウス」。アール・デコのドリームマシン「オデオン座
のオ
 ルガン」。夢を古代に馳せた蒐集家の一面を持ったフロイ
トの「
 フロイト博物館」。

 

 水面に浮上した潜水艦のような機能美にあふれたスタイルの「

 キュー・ガーデンの温室」。

 

 (リンボウ先生、とてもじゃないがこんなに巡れないっすよ!)

 

 いやいや、イギリスはまだまだ、奥深いんだよ。そんな、慌て
 巡ろうとすると、楽しむことはおろか、真実は見えてこない
とご
 注意をいただきそうである。

 

 それにしても、おもしろい1冊である。

 

 来年には、ご存知のように“ロンドンオリンピック”が開催さ
 る。ここは、はずすしかないだろうか。なにせ世界から応援
団ば
 かりか観光客もわんさと訪れるに違いあるまいから。とす
れば、
 今1度よく考えて、“ケ”のイギリスを楽しみたいもので
ある。

 

 みなさんにとって、イギリスはどんな国だろうか。

 

 ミーハーなのるまんじいにとってイギリスは、現在“不思議だ
 れど楽しんでみたい”お国になっている(笑)。

 

 イングリッシュ・ガーデン公開案内書のイエローブックを片手
 あっちこっちへ出かけたいと思っているが、もう目移りしち
ゃっ
 て困る〜。

 

 写真たっぷりのエッセーというか、ガイドブックというか(笑)。
 楽しんでいただきたい1冊である。

 

 中学生以上どなたでも楽しんでいただけるであろう。「リンボウ
 
先生」ファンのみならず、多くの方に1度お手におとりいただき
 
たいと思う。

  

 

  =============================================

 

 

 

   イギリスは不思議だ

     

 

 


                 林 望/著

 

         

      


             
           1997年1月 初版 平凡社刊

             

 

 

            平凡社のホームページは

 

        http://www.heibonsha.co.jp/

     

  

  

   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

   ===========================================

 

「女三人のシベリア鉄道」

  • 2011.08.27 Saturday
  • 07:54



 

  【こんな一冊の本】

 

 

 

        女三人のシベリア鉄道    

 

 

 

 

 

                 森 まゆみ/著

 

 

  =============================================

 

   

 

 「シベリア鉄道」――

 

 この名前の持つ響きをあなたはどんな具合にお捉えになるだろう
 か。調
べた訳ではないので定かではないが、捉え方に差が出てく
 るとすれば、
それはその人が育った年代の違いと一致するのでは
 ないだろうか。

 

 「シベリア」という地名を聞いて、のるまじいやそれより年上の
 団塊の世
代のおやじたちの世代にとっては「シベリア鉄道」が親
 しげに頭に浮か
ぶだろうが、先の大戦に召集された世代にとって 
 は、それはあの忌々し
い「シベリア抑留」と今でも繋がってはい
 まいか。

 

 そう、現在のように格安航空券が出回っていなかった、いやいや
 海外旅
行そのものが身近でなかったのるまんじいたち世代にとっ
 ては、横浜か
ら航路で当時のソ連に渡り、「シベリア鉄道」でユ
 ーラシア大陸を横断し
て、ヨーロッパを旅するのが夢だった、そ
 んな少しばかり郷愁にも似た響
きがある。

 

 今の10代、20代の人たちにとって「シベリア鉄道」は如何か
 といえば、
残念ながら“興味の対象外”と片づけられてしまうの
 ではないだろうか。

 

 (そんなことない?)

 

 格安航空券が手に入りやすくなっているばかりか、LCC(格安
 航空会社)
が日本に参入しつつある、そればかりかJALもAN
 Aも格安航空会社を設
立するご時世だ。だから、日数もお金もか
 かる「
シベリア鉄道」にわざわざ乗って旅をしようなんて「信じ
 られない〜
」とでも言われそうである。

 

 “鉄チャン”や“鉄子”だったらそうでもないかも知れないけれ
 ども
……(笑)。

 

 それはともかく、のるまんじいにとってであるが。なにしろ自称
 “鉄
チャンのはしくれ”であるから、いつかは「シベリア鉄道」
 に1度乗
ってみたいという思いを今でもこころ密かに閉まってあ
 る。ただ、
それは五木寛之さんの『青年は荒野をめざす』を読ん
 だからでは
、残念ながらない。それこそ二昔前より少し前になる
 が、初めてヨ
ーロッパを旅した帰路、スカンジナビア航空の機内
 から見たまっ
白な大雪原を地上からの目線で見たいと思ったから
 であった。

 

 だからこその「シベリア鉄道」なのである。

 

 ここにひとりのライターさんがいる。地域雑誌『谷中・根津・千
 駄木
』を創刊した方で、鉄道旅行大すきという森まゆみさんだ。

 

 その方が『女三人のシベリア鉄道』という1冊をこの世に送り出
 し
た。初めて本書を手にしたとき、仲よしの女性3人組が“シベ
 リア
鉄道”完全走破の旅に挑む、そんな内容のものかと思ったの
 だが
、豈(あに)図らんやだったのだ。

 

 明星派を代表する歌人与謝野晶子、後の日本共産党議長の宮本
 治の妻となった中條百合子、そして代表作『放浪記』を紡いだ林

 芙美子という、3人の女性のそれぞれの「シベリア鉄道」の旅の
 軌
跡を森さんが自らこの鉄道に乗ることで追い求めたのである。

 

 のるまんじいは、今もって与謝野晶子という人が気になって仕方
 が
ない。スケールが大きすぎるというか、晶子像が掴みきれない
 でいる。晶子さ
んの名声が高まったことと、自然主義文学の台頭
 により『明星』を
終刊し、虚脱と自嘲の中にあった夫・鉄幹さん
 の“再生”を誰よりも
強く願っていた晶子さんはそんな夫に洋行
 をさせようと必死になり
それを実現させる。

 

 やがて彼の地から便りが届く。

 

 「何卒明年の冬までには、二千円ほどをどうにかして御作り被遊

 (あそばされ)候て高村君(=高村光太郎ではないかと著者の注

 あり)とシベリアにて御出で被下度候」

 

 「 かくばかり 君を恋しと おもふこと

 

         十年の後に 巴里にて知る

 

 少し出発をのばし候ても、君を伴ふべかりしにと思ひ候。巴里へ

 来れば、日本にての纏綿(てんめん)たる俗事を忘れつつひたす
 
ら君を恋しとおもひ候」

 

 夫の旅費の工面に奔走しただけでも大変な苦労であったろうに
 次々に届く手紙に心は大きくぐらつき、ついに晶子は七人の子

 もを日本に残し渡航を決心する。森鴎外に借金をし、そればか

 かそのころ手がけていた『新訳源氏物語』の校正まで鴎外に頼
み、
 敦賀からウラジオストクを目指すことになる。

 

 晶子は目的地、巴里であまりにも有名な

 

 

    ああ皐月 仏蘭西の野は 火の色す

 

        君も雛罌粟(こくりこ) われも雛罌粟

 

 

 の1首を詠んでいる。

 

 一方の森さんは新潟空港からとんでもなく古いツポレフで(現在

 はA320のようだ)、大阪外語大学大学院(当時)で現在の日
 露
関係を研究するベロゼルツェワ・アリョーナというロシア人留
 学生
と、「シベリア鉄道」に乗るために、5年前のきょう、2006
 (
平成1
8)年8月27日ウラジオストク空港に向けて飛んだ。

 

 さて。

 

 山の手のお嬢さま育ちの中條百合子は荒木茂と離婚後、3歳年
 の湯浅芳子と旅にでる。芳子は友とも恋人とも言える女性であ

 た。田村俊子が長沼智恵子(後の高村智恵子である)という女

 だちとそういう関係を結んだように。すでに帝政ロシアが倒され

 ていた。百合子は社会主義革命という“現実化した理想”の現場

 を見るのが“旅”の目的だったそうである。

 

 そして3人目。

 

 「旅のことを考えると、お金も家も名誉も何もいりません。恋だ
 っ
て私はすててしまいます」と言いながら、夫をちゃっかり東京
 に残
して、パリに住んでいた外山五郎という男性に会いに行った
 林芙
美子。このエネルギーはどこから生まれたのだろうか。

 

 百合子や芙美子は東京から鉄路で下関まで行き、そこから釜山
 渡り、長春へといったルートを通っている。

 

 そこで。

 

 筆者は芙美子の旅を追うために、空路大連に、この時(2007
 
1031日)も日本で働きながら学ぶ留学生の柳さんと中国南方

 航空機で飛んだ。

 

 「国内でもてない日本人が、いっぱい中国へ来ます」と、出国審
 査
のところで声をかけてきた日本人男性の様子を推し量って柳さ
 ん
が筆者にささやく。まだ、こんなことが通用するのかと思と“
 怒り
よりも“寂しさ”の方が勝ると筆者は書いている。

 

 大連から北の鉄路は旧南満州鉄道だそうだ。当時の満鉄には、
 本で左翼活動していた人やリベラリストが流れつき、インテリが

 多く働いていた。岩波ホール総支配人の高野悦子さんの父上も
 鉄の技師だったとある。

 

 その後、東清鉄道で、途中満州里を経てロシアのカリムスカヤへ
 ここでシベリア鉄道と合流する。

 

 日清戦争で勝利した日本は、領土として得た遼東半島を露独仏
 どの三国干渉によって返還させられている。

 

 

     敷嶋の やまとますらを にへにして

 

        いくらかえたる もろこしの原

 

 

 上の短歌は、この時樋口一葉がよんだ1首だが、そこには戦争
 悲惨をうたったというより、血気さかんな明治の娘の歯がみの

 うにみえると森さんは書いている。

 

 さて。

 

 芙美子がパリ到着直後に、夫緑敏へ宛てた手紙が興味深い。

 

 「ロシヤ(当時はソ連になっていた)は驚木桃の木さんしよの
 だ(=本書のままの表記)。レーニンをケイベツしましたよ」

 

 革命が人民の名をかたりながら人民のものになっていないこと
 労働者、芙美子には見えていたのだろうと筆者は言う。

 

 明治という時代が終わるのをパリで知った晶子、パリで世界恐
 のはじまりに立ち会った百合子、満州事変の年に列車で満州
を走
 り抜けた芙美子、三者三様の「シベリア鉄道」の旅がそこに
はあ
 った。

 

 のるまんじいは、できるならば、北京発でモンゴルのウランバー

 トルを経由してイルクーツクでシベリア鉄道につながるルートで

 チャレンジしたらおもしろそうだと思った。こちらのルートの方
 が
より変化があるんだそうだ。

 

 蛇足ながらは百も承知の上で、こんなことを書き足したい。

 

 1月も末に、NHK総合テレビの「ワンダー、ワンダー」という
 番組
で、クラシックカーだけで37日間北京〜パリ間大陸横断レ
 ース
が行われたという放送があった。あれには、もうすっかりま
 いっち
まった。

 

 北京をスタートしてモンゴル、ロシア、キルギススタン、ウズベ
 キ
スタン等を通過、トルコ、ギリシャ、イタリアそしてフランス
 に至る
というユーラシアを肌で感じるものだ。

 

 この次のレースは2年後、どなたかこの役立たずおやじを一緒
 連れていってくれないかなあ。こっちも絶対におもしろいに違

 ない。

 

 「シベリア」回りもいいが、アジアの国々を通っていくこの南ル
 ー
トの旅もおもしろそうだと単純に思ったのだ。

 

 この本は、一般向け。352ページというこれだけの力作、ぐん
 ぐ
ん引きこまれはするが、それでも読み切るには根気も必要かと

 思う。表紙を飾っている、車両内の写真に何だかワクワクさせる

 ものがある。高校生にも読んでもらえると思う。そしておとなの
 ひ
とりでも多くの方に読んでほしいと思う。一読をお薦めする。  

      

 

  
 
===============================================

 

続きを読む >>

「日本<ヤーパン>の夏」

  • 2011.07.22 Friday
  • 09:50
JUGEMテーマ:オススメの本
 

 

  【こんな一冊の本】

 

 

 

 

   日本<ヤーパン>の夏

 



 

        

 

                子安 美知子/著

 

 

 

  
 ============================================================

 

   

 

 

 それは、今から31年も前の1980(昭和55)年のことになる。

 
20歳になるひとりのドイツ人の青年から、大学合格を果たした
 ら日本で3か月ほど生活をしてみたいと子安さんのもとに手紙が
 届いた。

 

 シュテファン・グマインドルというのが青年の名前だった。子安
 さんの長女のフミさんが当時の西ドイツ・ミュンヘンにあるシュ
 タイナー学校にいたとき、シュテファンは5年上の学年にいる、
 色白のひきしまった顔のさわやかな背の高い青年だったと紹介さ
 れている。

 

 このシュテファンが7月21日に日本の土を初めて踏み、そして10
 
25日に離日するまでの様子を記したものが本書である。

 

 来日した翌朝、筆者の家の近所で酒屋を営むおじさんからもらっ
 た「清酒・八重梅」と染め抜いたお気に入りのハッピを颯爽と羽
 織ってフミさんとまず向かったのは新宿だった。そこでお目当て
 のカメラを買い求めた。店員が勧めるオートマティックではない、
 日ごろ夢に描いていた、いわば芸術的創造性が発揮できるような
 それを買える範囲で手に入れた。

 

 買いものをひとつするのに、それほどしつこく選びきるという習
 慣のない日本でねばったのだった。

 

 その足で、5人の大学生が待つ喫茶店に。この5人は3日後から
 信州白馬で始まる「ドイツ語合宿」の幹事たちだった。これにシ
 ュテファンもフミさんも参加することになっていた。

 

 合宿での、初級、中級、上級別の授業を担当する中で、日本人は
 会話が苦手で文法が得意だということ、読解力としては相当難し
 いものがこなせることがシュテファンはわかってきて、いろいろ
 試してみるのだった。  

   

 最終日の夜には、4つのグループが秘密裡に練ってきた“ドイツ
 語劇”を披露した。半即興劇と言ってよかった。シュテファンの
 グループは「赤ずきんちゃんのバリエーション」というオムニバ
 ス風出しものを演じた。

 

 「赤ずきんちゃん・小学生になる」では、学校の先生、「赤ずき
 んちゃん・歯が痛む」では白衣をつけた歯医者がおおかみの役で
 ある。いずれもはじめは猫なで声で子どもを迎えたかと思うと、
 おそろしいテスト師になり
変わったり、法外な治療費を請求する
 というところが“ミソ”である。

 

 そして。

 

 Rotsexchen(ロートセックスヒェン・赤いセックスちゃん)
 る
見出しが登場した。「Rotkäppchen(赤ずきん)をもじったも
 のだ。

 

 舞台のベッドにはむつけき男性が、おばあさんに変装して、ふと
 んをかぶっている。そこへおどりでた「赤ずきんちゃん」は赤い
 フレヤースカートをなびかせ、胸もとを大きくあけた、17、8
 歳の成熟した少女である。しかもそのけばけばしい化粧に爆笑!
 もちろんシュテファンが扮していた。片手を口にあて、しなをつ
 くり……、かと思いきやスカートの裾をもちあげ、その毛ぶかい
 足を観客席につき出す。

 

 このやりとりのあとは、想像にお任せしよう。そうでもしないと
 紙面が尽きる(笑)。

 

 帰京して、休む間もなく、木村さんという見知らぬ一家のところ
 に1週間のホームステイに出発する。まったくたくましいなあの
 一言に尽きる。

 

 「聞こえる、昨日」

 

 ここでシュテファンの生い立ち、境遇。彼を取り巻く家庭環境、
 なぜシュタイナー学校に通うようになったのか、そして彼の根源
 にある考え方を紹介している。

 

 「眠る、緑と」

 

 長野県野尻湖畔の「神山、国際村」での子安一家との2週間の休
 暇。“別荘”ということばに日本人が持つ憧れや想像とは一味も
 二味も違った世界がそこには広がっている。「眠る」シュテファ
 ンに注目したい。

 

 「迷う、ヴィヴァルディ」

 

 フミさんがヴァイオリンを師事していた先生の主宰で、中学生か
 ら大学生の弦楽合奏グループが軽井沢で合宿するというので、シ
 ュテファンとフミさんは合流するが……。音楽に対する考え方が
 日独でこれほどまで違うのかと考えさせられたり、はたまた笑わ
 されたり……。

 

 さて。

 

 そのころ「敬老の日」はまだ9月15日だった。

 

 この日、シュテファンは子安さんと東武東上線で東松山駅を目ざ
 した。この駅から『原爆の図』の丸木美術館に向かった。ここで
 月末まで働きながら暮らすことになっていた。当時は『原爆の図
 』の丸木位里・俊ご夫妻も健在でいらした。

 

 日本でぜひ労働の体験をしたいというシュテファンの希望を叶え
 たものだった。汗を流さずに、一方的にお客として外国滞在をす
 ることは考えられないと言っていた。フランスではキウィを栽培
 する果樹園で、旧ユーゴスラヴィアでは普通の農園で働いた。

 

 芸術と労働を有機的に並行しておこなう小規模な生活共同体が丸
 木美術館の周囲にはあるはずだった。そこにあるイリさんが名づ
 けた「流流の家」がシュテファンの住み家となった。

 

 シュテファンはイリ先生自身が広島の出身で、父親や親類縁者を
 原爆で失っていることなどは知らない。

 

 翌朝、開館時間を待たず、『原爆の図』の前に立った。いきなり
 胸ははっとつかれて、息がとまりそうだった。人間の肉体の苦し
 みをそのまま表したひとつの顔が、今彼を迎えたからだ。大きな
 絵全体は、地獄の火に焼かれる人間の、ふりしぼるようなうめき
 声を発していた。

 

 とつぜん予告なく悪魔に襲われ、精神の尊厳をはぎとられてもた
 らされた人びとの異常な姿を描いていた。

 

 最後の部屋に、アウシュヴィッツの絵があった。ここにも人間の
 尊厳をもぎとられて、量産の裏返しである量殺へと強制
されてい
 く人間が表現されていた。この丸木美術館がヒロシ
マとアウシュ
 ヴィッツの絵を隣あわせておいていることの意
味を思った。

 

 ぼくは、すごいところにきた。もしかしたら、いまのこの気持ち
 を体験するためにこそ日本にきたのかもしれないと、シュテファ
 ンは感じた。

 

 滞在の残り時間は確実に減っていく。

 

 信州の合宿でいっしょになったカミオと北海道へ旅立つ。行き当
 たりばったりのユースホステルでの貧乏旅行だった。

 

 フィナーレが京都・奈良への旅だった。

 

 金閣。シュテファンが日本にくる、と決めてからの期待の頂点に
 あった。幼いときに、フリッツおじさんのみやげ話で初めてその
 名を聞いて以来、シュテファンの心に思い描かれる日本には、い
 つも「うつくしい金色の建物」が登場した。

 

 開いて間もない時刻に金閣と向き合った。

 

 やわらかい直線が、垂直に、水平に、無数に走る。大きな直線に
 は、どこかに曲線の流れをしのびこませて、やさしさと生命感を
 ふきこんでいる。そう感じた。

 

 この旅には、やはり合宿でいっしょだったヨ―コが同行してくれ
 た。ヨーコとは小説家の多和田葉子さんのことだそうである。

 

 さて。

 

 その後のシュテファンであるが、それについては子安さんが“あ
 とがき”で詳しく書いておられるので、みなさんにはそちらをお
 読みいただきたく思う。彼の考え方の中に、シュタイナー教育が
 色濃く反映されているようでそこも興味深いところである。

 

 のるまんじいは、もう10年以上も前に、この本をおそらく京王線
 の聖蹟桜ヶ丘駅ビルにある書店で求めたのだったろう。そのころ
 は乗り換えのために使った分倍河原駅の近くの書店とをよく利用
 していた。今本書を手に取ると、なんと京王百貨店の包装紙をブ
 ックカバーにしている(笑)。

 

 「ああ、年だなあ」と思いながらも、ふとここに登場するシュテ
 ファンとそんなに大きな年齢差がないことを思った。今、シュテ
 ファンは50代になったばかり。でも当時の青年が、早くいえば
 十分に“おっさん”世代になっているわけだ。どんなふうな“お
 っさん”になっているのだろう。

 

 そのへんを「続・日本<ヤーパン>の夏」として出版してほしい
 なあと思った。

 

 最後に。

 

 この文庫本には「子安美知子さんの御本が小さくかわいくなって
 もう一度出版されることをお祝いして」と丸木俊さんが文章を寄
 せている。なお、本書は1983年7月に晩成書房から出版されたも
 のを文庫本にして再
び世に送り出したものである。

 

 一般向け。中学生以上の方みなさんにお薦めしたい。特に、“お
 っさん”世代のみなさんに20歳のころを思い出していただくのも
 いいだろうと思うし、また今青春真っただ中のみなさんに生き方
 やものの思い方の差異を感じてもらってもいいと思う。一読をお
 薦めする。

 

 

    
 ===========================================================



 
続きを読む >>

PR

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< September 2017 >>

にほんブログ村

ブログランキング

selected entries

categories

archives

recent comment

recent trackback

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM