「歌え!多摩川高校合唱部」

  • 2015.07.10 Friday
  • 00:00
JUGEMテーマ:オススメの本


 
 
 
   【こんな一冊の本】
 
 
 
 
 
 
   歌え!多摩川高校合唱部
 
 
 
 
     
 
 
 
                  本田 有明/作
 
 
 
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      新入生勧誘が早くも始まる――
 
   4月9日の昼休み。1年3組。
 
   いきなり教室の扉が開いて、飛び込んできたのは男子4人組。
 
   横一列に並んで、
 
   「サッポロ一番、みそラーメン♪」
 
   声をそろえてハモった。 
 
   あっという間に引っこみ、入れ代わりのように今度は女子6
   人が合唱部の勧誘を始めた。
 
   ここで女子部員とことばを交わした陸上志望の飯島猛と前か
   ら合唱をやっていて、この学校の合唱部に入ろうと思ってい
   た乙川光太が本書の大きな枠組みの中で主人公といっていい
   だろうか。
 
   舞台が合唱部だけあって、それぞれ生徒たちが活躍し、思い
   悩み挫折しながら、それでも作品を作り上げていこうという
   姿を描き出すので、主人公といかないまでも本書はほかの作
   品に比べて生き生きと細かく描かれていく。そここでスポッ
   トライトがあたりまるでソロのパートのようなきらめき。飯
   島も乙川もその中にあって、普段はパイロット役かも知れな
   い。それであえて、“大きな枠組みの中で”と書いた訳だ。
 
   陸上部の部室を見学に行くという飯島に、乙川がくっついて
   ゆくという形で教室を出たのは勧誘の10分後だった。さあ、
   昇降口から出て行こうというときに、さっきの合唱勧誘メン
   バーの女子生徒に呼び止められた。
 
   飯島はここで「いい声してるね。バリトンかな」とほめられ、
   さらに女子生徒から気になることを起こされ、陸上部見学が
   いつの間にか合唱部室へ誘われ、飯島の合唱部入部へと結び
   つく本人曰く「奥多摩の出会い」へとつながっていく。
 
   詳細は本書をお読みいただきたい。「奥多摩の出会い」は作
   品の最後まで登場してくるから。
 
   さて。
 
   神奈川県立多摩川高校合唱部について説明しておこう。   
 
   県内有数の進学校で、合唱部は2年に一度の割合で神奈川県
   代表として関東大会に進出している。
 
   この年は特にNHK全国学校音楽コンクール(通称Nコン)に
   力が入っていた。大会で課題曲の詩を公募するという初の試
   みがなされ、昨年3年生だった多摩川高校合唱部員の詩が選
   ばれ、これに三枝成彰氏が曲をつけたのだった。
 
   だから。
 
   特に現3年生は去年核であるべきはずの自分たちの力不足か
   らNコンの県予選で敗退してしまったことに申し訳なさを痛
   感じていた。先輩に、そして転任していった前顧問に。
  
   合唱部の伝統をしっかり受け継ぎ、後輩たちに託すのは自分
   たちだとの責任感も生じた。
 
   それが反動となって新しく顧問となった小倉詠子先生に対し
   て敵対的な感情が芽生えた。
   
   1年生が親睦の遠足に出かけた4月下旬、2・3年の合唱部
   員と詠子先生は対峙することになった。現三役が新しい顧問
   の力量を見定めようと話し合った結果だった。
 
   3年生から先生に合唱の指揮をしてみてほしいと何曲かの楽
   譜が渡されて、詠子先生はそこから『ばら・きく・なずな』
   を選んでいた。
 
   当日の様子を飯島と乙川は2年生の錦野ユカリ先輩から聞い
   たのは5月も下旬のある日、音楽室でだった。
 
     
     淡い花は母の色をしている…
 
 
   あとはハミング――。
 
 
   思わず飯島が
 
   「もしかして、歌詞、わすれちゃったんですか?」とユカリ
   先輩に声をかけたのがきっかけだった。
 
   あの日、詠子先生が部員たちに話したこと――。
 
 
   「淡い花って、どんなふうに淡いのかしら?」
 
   「目の前にしっかり花が見えなくては、母に似ている、なん
   てうたえないわよね?」
 
   「ハミングだからって、さらっと流さないでほしいの」
 
 
   この結果、部員たちと詠子先生の間にあった溝はどうなって
   いっただろうか?
 
      切磋琢磨とはこのときのためにあるのだろうか?
 
   合唱部は文化系ではなくて運動系だとあり、声を無理なく腹
   式で出すための特訓。合宿で行われた「伝説の腹筋地獄」。
   それが本書には書かれているがこれは事実なんだろう。
 
   また、口から前に声を出すのではなく、顔の内側に響かせて
   頭から遠くへ声を飛ばすという頭声発声を身につけるヴォイ
   ス・トレーニング。
 
   合唱部OBの「おじいちゃん」はそれを、「ドラえもんのタ
   ケコプターみたいな感じで」といい、同じOBの「マッキー
   パパ」は「ゲゲゲの鬼太郎が頭の先からピピッと髪の毛を飛
   ばす要領だ」という。詠子先生は「ウルトラセブンの武器の
   アイスラッガーのように飛ばす」のだと言った。
 
   ところで。
 
   Nコンの自由曲を決めるのに紆余曲折があったとある。そう
   でなくても課題曲「あしたはどこから」は高音域の発声箇所
   が多く、負担が大きかった。だから普通なら自由曲はもっと
   違うおとなしい曲を選びたかった。しかし、詠子先生がそれ
   をよしとしなかったのだ。その結果選ばれたのが、松下耕作
   曲「混声合唱とピアノのための四つの日本民謡『北へ』」に
   収められた「俵積み唄」だった。
 
   ピアノのためのというだけあって、ピアノの聞かせどころも
   多い。
 
   ここでは、テノールソロの
 
 
     ハァ 目出度いナー 目出度いナー
 
   
   にもドラマを持たせている。
 
   のるまんじいは今回本書を読むのに、『ばら・きく・なずな
   』、『あしたはどこから』、そして『俵積み唄』を聴いてみ
   た。
 
   それにしても合唱っていいなあ、そう心の底から思わせてく
   れた。
 
   「声」は人間にとって1番身近な「楽器」だと言うからか、
   同じ曲を作り上げていく合奏(管弦楽や吹奏楽)も好きだけれ
   ど、合唱の方がきかも知れない。
 
   優しさや温かみがより感じられるかもしれない。音痴でさえ
   なければ、すぐにでも歌いたいのだがみんなで作り上げてい
   くとすると邪魔をしてしまいそうになるから、聞くだけに止
   めている。甚だ残念だけれど。
 
   さて。
 
   合唱経験1年生飯島、乙川、そしてDJボーイと呼ばれる山
   吹を含むベースの行方はどうなっていくのだろうか?
 
   神奈川県立多摩川高校合唱部はNコン県予選を突破すること
   ができたのだろうか?興味はつきない。
 
   本書は2013年度の青少年読書感想文全国コンクール課題図書
   高等学校の部に選定された。
 
   ということで、高校生向けということにしよう。だからとい
   って中学生でも、大学生以上どの世代の方が読んでもおもし
   ろい作品になっていると思う。ぜひ、ご一読をお薦めしたい。 
 
 
 
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     新実 徳英作曲
     星野 富弘作詩
 

 
     混声合唱とピアノのための
 
 
          花に寄せて
 
 
 
                ばら・きく・なずな
 
 
 
     https://www.youtube.com/watch?v=l2l5rX1wQhw
 
 
               (女声合唱です)
 
 
 
 
 
     平峯 千晶作詩
     三枝 成彰作曲
      
 
 
          あしたはどこから  福島県立橘高等学校 2003
 
 
              https://www.youtube.com/watch?v=HonGW6pzEGo
 
 
 
               (女声合唱です)
 
 
 
 
      俵積み唄
 
 
      
https://www.youtube.com/watch?v=V6miccEq8Qs
 
 
 
 
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     nコン 2015
 
 
 
     http://www.nhk.or.jp/ncon/
 
 
 
 
     星野 富弘/著
 
 
 
     「山の向こうの美術館」
 
 
             富弘美術館/刊
 
 
 
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   歌え!多摩川高校合唱部
 
 
 
 
     
 
 
 
                  本田 有明/作
   
 
         
      
           2012年6月 初版 河出書房新社刊
           2013年6月 3刷
 
 
 
          河出書房新社のホームページは
 
 
        http://www.kawade.co.jp/np/index.html
     
   
 
   
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「一瞬の風になれ 1 イチニツイテ」

  • 2015.05.20 Wednesday
  • 00:01
JUGEMテーマ:オススメの本


 
 
   【こんな一冊の本】
 
 
 
 
 
 
       一瞬の風になれ 1
 
 
 
 
     
          イチニツイテ
 
 
       
 
 
 
 
 
                  佐藤 多佳子/作   
        
 
 
 
 
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   こういう小説、いいなあ。心からそう思った。
 
   サッカーにひたむきに全身全霊をかけている、はずだった。
 
   それが自分自身にも、兄貴の健ちゃんにも、そしてこれまた
   健ちゃんを応援している両親にとっても「ベスト」なはずだ
   った。
 
   ただ、ひたすら健ちゃんと同じ「海嶺」高校のユニフォーム
   を着て、同じチームで、そして試合でプレーするのが人生最
   大の夢だった。
 
   そのために並大抵でない努力をグラウンドでも、外でもして
   きた。
 
   「海嶺」――
 
   中学受験の失敗。そして2か月前に受けた編入試験の不合格。
   
   「ああ、これで、もう本当にダメなんだって。」
 
   それぐらいからか、サッカーに対する微かな違和感を感じ始
   める。
 
   この小説の主人公、神谷新二。
 
   本書、『一瞬の風になれ 1 イチニツイテ」の序章の一部
   である。
 
   今回、本作を取り上げたことについて、「何で今さら、これ
   ほど一世を風靡した作品を」と思われた方も少なくはないか
   も知れない。
 
   確かに。2007(平成19)年の本屋大賞、そして吉川英治文学新
   人賞を受賞し、注目され、テレビドラマ化までされた作品で
   あることはのるまんじいといえど重々承知している。
   
   このめるまがの読者で、のるまんじいの同志ともいうべきお
   ひとりが本作品を国分寺の紀伊国屋書店で、「本屋大賞、取
   ったから読んでめるまがで紹介して」とアドヴァイスしてく
   れたのはまだまだ本書が世に広く知られる前だった。
 
   そして嵐のようなブームが起き、それでも何年も経つとさす
   がに落ち着いてくる。それは『ハリー・ポッター』でもそう
   だし、アニメのあの『となりのトトロ』でさえも変わりはな
   いようである。
 
   だから。
 
   今、まさに中高生の世代のみなさんに本書を読んでほしいと
   、そう思うのである。
 
   ゴ―ルのテープを、そしてバトンを待つ次の走者に渡すため
   に走る同世代の生き方を一緒に走る気持ちで読んでもらい、
   それこそ「風」を感じてほしいと思うのである。
 
 
   一瞬の風になれ――
 
   何と思い切りのいいすっきりとした題名だろうか。
 
   内容が皆目見当つかなくても、思わず手に取ってしまいたく
   なる、そんな題名である。
 
      ところで。
 
   新二はどうしてサッカーを思い切って、陸上をすることにな
   ったのだろうか。
 
   それには幼なじみで親友の一ノ瀬連の存在があった。
 
   中学時代、東京に住んでいた連が高校受験間近になって、ま
   た新二が住む神奈川県相模原の、それも近所の祖母の家に引
   っ越してくることになった。
 
   連は中学時代陸上部で、2年で全国大会に出場し、100mで
   は決勝にまで残った。それが部活動で何かがあったらしく、
   ぷっつりというか潔くというのか辞めてしまっていた。
   
   そんなふたりが奇しくも県立春野台高校に進学することにな
   る。何だか舞台が整った気がする。
 
   新二が連の親友と知って、同級で陸上部の根岸が新二のとこ
   ろへその世界では有名だった連を勧誘してほしいと頼みにく
   る。
 
   そればかりか、
 
   「ついでというわけじゃ……あるけど」、自分まで勧誘を受
   ける。
 
   そんな時にあったのが体育の授業での50mのタイム走だった。
   連と一緒に走ることになり、俄然、連の「マジな」走りをこ
   の目で見たくなった新二は連に、
 
   「思い切り走れよ」とたきつけるのだった。
 
   結果。連の背中しか覚えていない。置いていかれたという強
   烈な感覚と。
 
   そんな連の走りに感じた新二は連に陸上部入りを勧める。
 
   「嘘だろ?走んなきゃ」と。
 
   根岸を始めとする陸上部の輪にいた新二は連から
 
   「新二も走る?」と尋ねられる。
 
   その瞬間、何か強烈な熱い風を胸に吹き込まれた気がした。
 
   「おう」
 
   運命のようなものを感じたとある。のるまんじい的にいえば、
   ミイラ取りがミイラになったと思った。
 
   が、まさに運命の瞬間であったのは、本作品を読んでいただ
   けば、ご理解いただけるはずである。
 
      この後、本格的に陸上部の練習、そして大会の話は登場する。
 
   ここで注目すべきは、個性あふれる登場人物たちであろう。
 
   作者の佐藤さんはこの登場人物たちの描写を隅々まで心をい
   きわたらせ、そこに生命の息吹を感じさせる。新二や連の周
   りを脇役たちが磐石の布陣で固めているのである。
 
   ここで細かくいうのはもったないのでやめにするが、陸上部
   顧問で生徒たちから「みっちゃん」と呼ばれる三輪先生の何
   と人間くさく大きく描かれていることか。
 
   おそらくテレビドラマだけで終わってしまっている方が本書
   を読めば。違った世界が広がってくるだろうと思う。ビジュ
   アル化してしまうと人物像が頭から離れなくなってしまうが
   ここはいい意味で一度清算して読むのもおもしろいと思う。
 
   部内「恋愛禁止」を言い渡される新二たち。
 
   「恋愛がしてえよー」と叫ぶ、部員たち。あくまでここに登
   場する高校生たちは健全である。
 
   この部員たち、他校の陸上部員たち、それを取り巻く顧問た
   ち。おもしろくない訳がない。抱腹絶倒、請け合いである。
 
   本作品は、
 
 
     1 イチニツイテ
 
 
     2 ヨーイ
 
 
     3 ドン
 
   
   と、三部作になっており、それぞれ新二たちの学年が1冊ず
   つ上がっていく。
 
   陸上に青春をかける若者たちの群像。読み応えがある。それ
   でも、自分も400mリレー、4継(ヨンケイ:100m×4)の走
   者のひとりとなってバトンを次に渡すように風を感じながら
   本書を読んでいる。気づいたら、あと残り数ページといった
   感じであった。
 
   何がのるまんじいをそこまでさせたのか。
 
   生来、不器用がついてまわるのるまんじいは体育の種目は全
   般的に苦手なものばかりであったが、単純な「走る」「泳ぐ
   」に関しては意外にもそうではなかった。
 
   ことに「走る」においては、「短距離走」だけれども、小学
   校の高学年あたりから、ほかに比べてさほどひけを感じなく
   なっていた。100m走で前に出てくるものが少なくなり、や
   がてリレーなんぞも走ることになった。
 
   中学でも変わらなかったし、高校でもある部活から「足をい
   かせるから」と勧誘されたこともあった。
 
   考えてみれば、やっぱり背中を見ながら走るよりも、ゴール
   テープを切るのが楽しかったと思う。
 
   本書にも出てくるが短距離走はスタート勝負。いかに上手な
   スタートが切れるかで、後半が決まってくる。
 
   選手たちが懸命にトラックを走る姿が浮かんでくる。その中
   に若き自分も重ね合わせているのだろう。
 
   風を感じながら走るのは気持ちがいい。
 
   風とともに走れたら言うことなしだろう。
   
      もちろん、オリンピックや世界陸上のような大きな大会の短
   距離走の試合をみることが好きである。スタート前のあの緊
   張感はたまらない。
 
   しかし。
 
   それは、NHKのEテレで放送する高校生や中学生の大会で
   あったとしても、同じである。手に汗を握るとでもいおうか
   、つい夢中になってしまうのである。
 
   100m走、200m走、四継はことにスピードがあって視聴者に
   とってたまらない。思わず声援してしまいたくなる。
   
   「がんばれ!」と。
 
   何しろ今ならあの図書館のリクエストの順番待ちを何十人も
   しなくても、すぐに読むことができる。こんないいことはな
   い。
 
      どうして今回この時期に、本書を取り上げたといえば、単に
   読み終えたからではない。のるまんじいの思いは本作をお読
   みいただいてわかっていただけたら、幸いである。
 
   今現在の中学生、高校生にはぜひ読んでいただきたい作品で
   ある。そして、その昔陸上部で汗を流していた方々を始め、
   あらゆる世代の方に今一度、一読されんことをお薦めしたい。
 
   
 
     
 
  ==============================================================
     
 
 
 
 
     佐藤多佳子の連絡板   です
 
 
 
     http://www001.upp.so-net.ne.jp/osasisuto/
 
 
 
 
 
     たまには書きます    佐藤さんのブログです
 
 
 
     http://umigarasu-to.blog.so-net.ne.jp/
 
 
 
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       一瞬の風になれ 1
 
 
 
 
     
          イチニツイテ
 
       
 
 
 
 
 
                  佐藤 多佳子/作    
 
         
      
           2006年8月 初版 講談社刊
           2006年11月 4刷  
 
 
 
          講談社BOOK倶楽部のホームページは
 
 
         http://bookclub.kodansha.co.jp/
     
   
 
   
   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
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「香港の甘い豆腐」

  • 2013.08.17 Saturday
  • 00:00
JUGEMテーマ:オススメの本





   【こんな一冊の本】





   
香港の甘い豆腐







                          大島 真須美/作



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    17歳の夏のある朝、銃口を突きつけられるようにパスポート

  とエアチケットを握らされ、私は香港に連れて行かれた。



  『香港の甘い豆腐』はいささかも甘くなく(笑)、まるで何か

  差し迫ったことでも起こったかのように始まっていく。   


  私を香港くんだりまで連れて行った犯人は母だった。


  実はこれに至るまで、かくかくしかじかの訳があった。して

  その“かくかくしかじか”の訳とは…。


  私の名前は彩美。


  高1の終わりごろからちょくちょく学校をさぼるようになっ

  ていた。友だちから離れてみたら気持ちがすっきりした。そ
  れが引き金になったのだろうか、学年をまたいでじわじわと
  さぼる日数が増え、1学期の終わりに担任から母親に連絡が
  入り、とうとうばれた。

  
激昂し、留年するかも知れないと言い募る母。

 
 聞く振りをしていたけれど、それにも疲れてこう言った。


  「どうせ父親も知らない私ですから」、と。

  言われた母親は面食らい(そりゃあそうだろう、そんなこと

  言われるとは夢にも思ってみなかっただろう)黙り込んだ。

 
 なんとなく、うまくいかないのはすべてそのせいじゃないか
  と思っていた。人付き合いがへたなのも、自分に自信がない
  のも、頭が悪いのも、溌剌としないのも、夢がないのも、希
  望がないのも、全部そのせい。


  あの頃は疲れていた。疲れて疲れて死にそうだった。


  この母娘の近くに祖母が住んでいる。祖母がいる実家のそば

  に住んでいると言った方が正しい。この祖母と母の関係もま
  たいろいろあって。


  出発の当日、香港行きを告げられて、反抗を試みるも「あん

  た、父親に会いたいんでしょう?」と。


  「香港にいるらしいのよ。だから行こうと思って休暇を取っ

  たわ」


  空港から祖母に電話すると一緒に行きたかったと駄々をこね

  られ。父親に会いに行くと伝えたら「どついて、蹴りたおし
  て、成敗しておいで」だと。


  この祖母、母、娘の3代、強いは。それぞれがそれぞれに芯

  が太く、強い。自分を曲げそうにない。それぞれ「母譲り」
  だな、きっと。亡くなった祖父もちょこっと出てくるぐらい
  でホントに味付けの塩ぐらいに存在感はない。となれば、彩
  美の父親だって…。


  ここでちょっと寄り道を許されたい。


  ある人が言うに、梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』(新

  潮社/刊)に登場する主人公を含めた女3代を読んでいてとて
  も強く感じたと。その時は何気に聞き流していたが、本書を
  読んでみて、成る程なあそうかもしれないと再確認した。そ
  の「強さ」とやらを比較して読んでみると、これまた面白く
  双方今までと違った読み方ができるように思う。


  一言でいってしまうのは、いささか乱暴な話だが)、本書に

  登場する彩美たちの方が「あっけらかん」としていて、どこ
  にもいそうで、笑い飛ばせるように思えるのだが。みなさん
  はどう読まれるだろうか?


  初めて訪れる香港の空港で、


  ガッツよ、ガッツ。


  負けるものかって。へこたれそうになる自分自身や、自分の

  運命、に。


  そんな彩美に母は「懐かしい気持ち、する?」と訊ねる。よ
  く読むととっても意味深長なことばで、さらに「遺伝子に町
  の記憶は入ってないのね」と追い打ちをかける。読者はこの
  言葉の意味をきちんとしかも即座にすくい取らなくてはいけ
  ない。そうしないと読む楽しみが減るから。


  そこは。


  日本とは違う風景。異質な匂い。違う言語。


  まさに「異国」だった。

  
ホテルのテレビでまずけたたましい広東語の洗礼を受ける。


  夜、母の古い友人というマリィと食事をするという。今まで

  に聞いたこともない人。


  この旅行で、今まで知らなかった母の姿をいろんな場面で見

  ることになる。それは彩美の成長にとって欠かすことのでき
  ないことだろう。いや、旅行そのものがそうだったに違いな
  い。

  例えば、マリィとの食事中に出たこと。

  「ほんとうに何年経っても麻也子を理解するのは難しいわね」


  同じことを奇しくも祖母が口にしていたのを思い出した。


  「何考えてんだろうねえ、あの子は。肝心のところがどうも

  よくわからないんだ」


  母の生き方、考え方をここで深く彩美は考えていない。どう

  してだろうかと。もう少し、母のことを考えてもよさそうな

  ものを。きっと心に余裕がないんだな。

  さて。


  祖母との国際電話で、自分の父親が日本人ではないかもと告

  げ、不安な胸中を伝える彩美。素の17歳が出ている。一方、

  祖母にとってもそれは寝耳に水で。それでも会話の中で祖母

  の年のいったしたたかさが出ていて、小気味がいい。こんな

  ばあちゃん、いいねえ。


  マリィは20年ほど前、日本に留学していたときからの友人だ

  そうだ。マリィが日本出張のとき、都合をつけて食事をして

  いた、その話も初めて聞くのだった。

  

   

  「麻也子は忙しすぎます」


  これは、日本に流れている時間と香港に流れているそれとの

  違いを言っているようで、やはり私たちは“忙しくして「心

  」を「亡くして」いるのではないだろうか”と、不安になる。


  ふたりの会話中、「ロイ」という名前が飛び交うようになる。

  どうも彩美の父親のもであるらしかった。

  
とっても深刻な話のようだが、そこは香港。3人はマリィの

  お薦めの焼鴨(シウアップ)を脂まみれになって食べ尽くしな

  がらの話である。父親に会いたくないと頑強に言い張る彩美

  に対して、あんたの話は、私にとってはこの焼鴨ほどには興

  味が持てなくてねって、というマリィの反応がこれまたいい。


  このマリィ、亡夫の残してくれたマンションに3人で暮らし

  ている。姪と姪の朋友(パンヤウ)。朋友はゲイで客室乗務員。


  それぞれに「生きる」目標や生き方がはっきりとしていて、

  半彩美と関わってくる中で、彩美に刺激を与えていく。こ

  の時はルームメイトなんてごめんだと思っていたのにね。


  あっという間に母の4日間の休暇は過ぎていく。ロイとの対

  面はどうなるのだろう。大体、これで終わりになる訳がない

  じゃないか。


  些か唐突だが、ここで章立てをご紹介することにしよう。


  おおよそここまでが、


    第1章  香港上陸


  彩美の「抵抗」、第2弾がこれから勃発しなくてならない。


    第2章  香港ホームステイ



  でも、「抵抗」とこれからの香港滞在編は直接お読みいただ

  きたいと思う次第である。


    
第3章  香港離陸



  ひと夏の成長を私たちは見逃してはならないのである。父親

  との対面もさることながら、個性の強いマリィとマリィの同

  居人、そしてなんといっても真夏の香港が舞台なのだからこ

  こは最後までガツン、ガツンと読み進めたいものだ。


  さあ、もう幕がおりるぞ。


   
あれから何年になるのかな?

   それは秘密。      

   とはいえ、私はまだあの夏をしっかり抱えたまま、今ここ
   にいるような気がする。


      (事情があって、中略)


   17歳の夏に、私は香港にいた。

   とりあえず、それだけは言える。


   ところで。

  「香港の甘い豆腐」はどうなったか。これに釣られて本書を

  読み始めたのるまんじだもの。

  
「豆腐花(タウフファ)」というらしい。作り方は「豆腐花」

  で検索していただくと出てくるので、そちらに譲りたい。


  彩美が作った「豆腐花」を食べた母のことばがふるってる。


  「自分の人生だから、思ったように生きられるかって言った

  らそうでもないのよね。今、自分がどこにいるのかさえわか

  らなかったりするんだから」と。


  作者自身の胸にしまってあったことばを麻也子につぶやかせ

  てように思うがいかだろうか。


  ああ、食べてみたい!

  
日本の中華料理店で定番のように供してくれる「杏仁豆腐」

  は、香港では殆どその姿を見ないらしい。「豆腐花」の方が

  一般的なのだという。

  
のるまんじいにそういう拘りは一切なく、美味しいものがい

  ただけるならほかにいうことないのである。


  実は、現在トゥーランドット游仙境の総料理長を務める脇屋

  友嗣氏が立川市にあったリーゼントパークホテルにいた頃、

  「杏仁豆腐」を食べたことがあった。何て美味しいんだろう

  と虜になってしまった(笑)。それから数回、杏仁豆腐を求め

  て通ったのだったが、ホテルが廃業してしまったのだった。


  今でも懐に余裕があるなら、足を運んでみたい脇屋氏の店で

  ある。


  それにしても。


  香港――


  近くにあるのにまだ訪れたことのない香港。


  いつの日か、輩(ともがら)と広東語の坩堝の中に身を置きな

  がら中華料理に舌鼓を打ちたいと願うきょうこの頃である。


  それも夏がいいかなあ。


  香港の夏。


  一般向け。ではあるが、図書館によってはYAコーナーに置

  いている所もあるところから、主人公の彩美と同世代の高校

  生向けに分類させていただく。しかしながら、最前から書い

  ている通り、祖母や母、麻也子の視点からも読めるので、お

  となのみなさんにも一読をお薦めしたい。



 ==========================================================




    脇屋友嗣氏の赤坂 一笑美茶楼が素敵です

           

      http://www.wakiya.co.jp/restaurants/ichiemi/





   ==========================================================





    香港の甘い豆腐

                 大島 真須美/作

   

         

      

             2011年6月 初版 小学館文庫刊





         小学館のホームページは

 

     
         http://www.shogakukan.co.jp/ 





 

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「踊る小人 〜「はじめての文学 村上春樹」から〜」

  • 2013.07.06 Saturday
  • 00:00
JUGEMテーマ:オススメの本

 

 

  【こんな一冊の本】

 

 

 

 

        踊る小人

 

        

      〜「はじめての文学 村上春樹」から〜

        



 

 

   

                     村上 春樹/作

 

 

 =================================================


  夢の中で小人が出てきて、僕に踊りませんかと言った。


  夢の中で?それも小人が?踊らないか、だって?

 

  何で夢の中なのさ?小人ってどんななの?小人は何か別の意
  味
を持っているんだろうか?「踊る」?これにも何か隠され
  てい
る?

 

  もし、何の情報もなくこの作品を読み始めたなら、ドキッと
  す
る出だしだ。

 

  幸いにしてのるまんじいは事前に『踊る小人』のあらすじを
  聞
かされていた。あれは5月のある日のこと、何気なく小悪
  魔ク
ンがのるまんじいに尋ねたのだった。『踊る小人』を読
  んだこ
とがあるかと。

 

  筋を淀みなく語るその内容を彼から聞きながら、えらい難し
  そ
うで「読めたら(理解できたら)ブログに書くよ」と答え
  な
がらも、主題を目前にして“料理ができるだろうか”と頭
  を抱
えてしまった。

 

  それに村上春樹作品である。以前『風の歌を聴け』を読んで、
  
ごめんなさいをした経験があった。大丈夫だろうか、正直そ
  う
思った。

 

  そして、本書を手に入れて、開けた出だしがいきなり上の「
  夢
の中で〜」だったのだ。

 

  夢の中で小人は踊る。自身で持ってきたのかポータブル・プ
  レ
イヤーを地面において。かけたレコードから流れる音楽に
  あわ
せて次から次へと踊る。

 

  「北の国から来た」と話し出し、北の人間は誰も踊らないし、
  
そもそも踊りを知らないと。でもあたしは踊りたかった、と。

 

  この“あたし”だが、性を表しているようには思えない。た
  だの
一人称だろう、そう思った。

 

  そしてそこには“あたし”から強い意志の力のあるを感じる。

 

  どんな踊りを“僕”に披露したかは直接読まれたい。

 

  「こんなふうに踊りたかった。それであたしは南に来た。」
  踊
りが評判になって、皇帝の前でも踊った。革命の前だけど。
  革
命で皇帝がなくなり(おそらく処刑され)、町を追われ森
  の中
で暮らすようになった。

 

  ここでまた参ってしまった。

 

  北と南の意味するもの。“皇帝”。“革命”。そして追われ
  た
先の“森”。すべてを考えなくてはいけないように思った。

 

  読んだ瞬間、「ロシア革命」が頭に浮かんだ。

 

  ここまでが、油絵のようなあの漆黒の闇の中、ぽつんと明か
  り
が点されているそんな風に感じられたからかもしれない。

 

  “森”は権力から逃れたものを優しく包み込む包容力のある
  空
間。『白雪姫』のように。それでいた妖しい者たちの存在
  する
ところでもある。『ヘンゼルとグレーテル』の魔女のよ
  うな。
秘めた不思議な空間。そこに逃げ込んだ小人。

 

  僕はこの出会いを偶発的なものと捉えるが、小人は僕にやが
  て
一緒踊ることになると。誰も運命を変えることはできない
  と。
予告というより、一種脅迫めいたことばを残す。

 

  ここで夢から覚める。

 

  いかがだろうか?

 

  このあと、僕の日常が語られる。

 

  工場で“象”を作っていると。一段とシュールな世界だが、
  そ
れでいて細部で昔の社会主義体制での労働をさもありなん
  と如
くに語る。確かそんな話を聞いたことがあるような、と。  
  “象
”は模型ではなく、生身のそれのようである、あるがま
  た味わいのある
雰囲気を描き出す。

 

  皇帝やそれに類するもの、そして小人の話は巷ではタブーに
  な
っていた。

 

  そして。

 

  それから、どうなっていくのか。

 

  それは、みなさんに本書を手に取ってお読みいただきたく思
  う。

 

  今回は、「はじめての文学」という当代の人気作家の作品を
  作
家別に自選で取り上げてそれぞれ1冊にしたものをテキス
  トに
した。出版社では読書対象層として中学生、高校生あた
  りを想
定しているように思われる。

 

  “あとがき”、「かえるくんのいる場所」で作者、村上春樹
  氏
は「(短編小説の)選択作業はそれほど難しくなかった。
  (中
略)そういうタイプの作品はあえて選ぶまでもなく、向
  こうか
ら自然に浮かび上がってきたからだ」と書いておられ
  る。

 

  それでは、ここで本書のラインアップをご紹介させていただ
  こ
う。みなさんの既読の作品があるのではないだろうか。

 

 

    シドニーのグリーン・ストリート

 

    カンガルー日和

 

    鏡

 

    とんがり焼の盛衰

 

    かいつぶり

 

    踊る小人

   

  

    鉛筆削り<あるいは幸運としての渡辺 昇 

   

    

    タイム・マシーン<あるいは幸運としての渡辺 昇◆

 

    ドーナツ化

 

    ことわざ

 

    牛乳

 

    インド屋さん

 

    もしょもしょ

 

    真っ赤な芥子

 

    緑色の獣

 

    沈黙

 

    かえるくん、東京を救う

 

  各作品について、作者自身のコメントが載っている。

 

  ということで、再び『踊る小人』へ。

 

  象を作る工場の話を一度くわしく書いてみたいと思った。(
  中
略)僕としてはむしろ普通の現実的な物語を書くような気
  持ち
で書いた。

 

  さらに。

 

  最後の方に生々しくグロテスクな描写がある。僕はこのよう
  に
幻想の裏側にある激しい暴力性や、避けがたい腐敗や、救
  いの
ない崩壊ぶりに強く心を惹かれるところがある。

 

  とある。

 

  これだけでこの作品の向かうところが気になるのではないだ
  ろ
うか。

  

  何だか今回は食いつきが悪いなあ、妙にあっさりしているじ
  ゃ
ないかと訝しく思われる方もおいでかもしれない。実はの
  るま
んじいこの作品を読んだ後で、パソコンで『踊る小人』
  につい
ての関連したことを探していたら、こんなところに行
  き当たっ
たのだった。

 

  それが、中山幸枝氏の「村上春樹『踊る小人』論 ― 近年
  の
作品につながる社会的モチーフ・暴力・自己の問題―」で
  ある。

 

  著者ご自身をのるまんじいは存じ上げないが、恐らく広島大
  学
に関係がおありの方のようである。

 

  のるまんじいは今回、この自身の記事を書く前に中山氏の作
  品
論を読んでしまい、「なるほどなあ、そうかあ」と納得を
  した
が、氏の論の影響がもし出たらそれは如何かと思った。
  自分の
ものとして書いたつもりがとんでもなかったは失礼で
  ある。

 

  関心を持たれた方は、本書を読んでからアクセスなさったら
  い
かがだろう。   

 

  のるまんじいとしては、「難しい、でも惹かれる」そんな作
  品
となった。

 

  『シドニーのグリーン・ストリート』は、心の中で絶えず突
  っ
込みを入れながら読んだ。

 

  『かいつぶり』これがのるまんじい的に一押しだろうか。肩
  が
凝らなくていい。

 

  『ドーナツ化』シュールだなあ。たった2ページの物語。

 

  『ことわざ』そうか、村上さんって京都の出身だったんだあ。

 

  『もしょもしょ』これもいいなあ。

 

  『真っ赤芥子』これまたシュール。でも、好き。最後がすご
  い
()

 

  『沈黙』作者はこう語る。「この話の語り手が体験したのと
  同
じような心的状況を、僕自身一度ならず経験したからであ 
  る。
」作品集の中に「こっそりと忍び込ませた」という作品
  だとい
う。いったい何が書かれているだろうか。それは秘密
  である。

 

  のるまんじいにとって最初不安だったものは、すっかり杞憂
  だ
とわかった。これからも作者が年少者に読んでほしいとい
  う作
品を読んでみたいと思う。

  
中・高校生向き。本音を言えば、高校生にぜひ読んでほしい。
  
ただ、大人が読んだ方がおもしろみは分かるような気がする。
  最終的には、境目なくみなさんに読んでほしい、そう思うの
  で
ある。

 

   

 

 =================================================

 

 

 

   中山幸枝氏の「村上春樹『踊る小人』論 ― 近年の

   作品につながる社会的モチーフ・暴力・自己の問題―」

 

  

   http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/kiyo/AN00065309/kbs_45_83.pdf

 

 


  ===============================================

 

 

 

        踊る小人

 

        

      〜「はじめての文学 村上春樹」から〜

        

 

 

   

                   村上 春樹/作

 

         

      

             200612月初版 文藝春秋刊

             2007年5月4刷

             

 

 

            文藝春秋のホームページは

 

        http://www.bunshun.co.jp/

     

   

 

  

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「森の幼稚園 シュテルンバルトがくれたすてきなお話」

  • 2013.04.20 Saturday
  • 12:31
JUGEMテーマ:オススメの本

 

 

 

 【こんな一冊の本】

 

 

 

 

        森の幼稚園    

 

 

        シュテルンバルトがくれたすてきなお話

 

 

 

 

                 今泉 みね子/著

                 アンネッテ・マイザ―/著

 

 
 ================================================

 


   

 本書を高校生に読んでほしいと思い、紹介することにした。  

 
4月ともなれば、毎朝森の駐車場でもいろいろな鳥の歌が聞こ
 るようになる。

 

 たとえば、シジュウカラであったり、全身真っ黒でオレンジ色
 くちばしから「ヒユール、ヒユール」とさえずるクロウタド
リで
 あったり。

 

 この森には、ほかにロビン、ミソサザイ、キツツキがいる。朝
 森はまるで音楽会が開かれているようだ。

 

 時間になれば、いつもと同じように親に連れられた子どもたち
 やってくる。

 

 新年度が始まったばかりの9月には甘えん坊だった3歳児のフ
 リックスも、小さな哲学者ハンスやベスもそれからパブロも
それ
 ぞれ親に連れられて三々五々やってくる。

 

 秋には葉を落として、すっかりはだかんぼになって枝をさらし
 いた木も、今ではうす緑色の小さな芽を吹かせ始めている。
子ど
 もたちがそう呼ぶ“森のソファー”があるところも明るく
て暖か
 く、とても快適な食堂になる。
10時ごろ「朝ごはん」
と称して軽
 食を摂る習慣があるドイツならばこそ。日本でもお
ひるまで我慢
 できない食いしんぼさんにとっては羨ましい限りだね。   

 

 森の幼稚園では、その「朝ごはん」を1年を通してここ「森の
 ファー」で食べる。少しぐらいの雨もようでも子どもたちは
気に
 しないのだ。というか、わたしたがよく知っている幼稚園
の建物
 そのものがここにはないのだから。

 

 建物がない幼稚園!

 

 食べたら、さあ、いつものように森の中の探検に出発だ!

 

 銀の小川がカーブしているところにすきとおったゼリーのボー
 のようなものがプカプカ浮かんでいるぞ!気持ちが悪いよう
なそ
 れでさわってみたいような変なもの。3、4歳ならそう思
うかな
 ?

 

 それがカエルの卵だということを先生から教わり、ぷよぷよの
 たちがおたまじゃくしになり、おたまじゃくしから足が出て
きて、 
 しっぽがなくなり、やがてカエルになってピョンピョン
跳ねるま
 での変化を日ごとに、こどもたちは感じていく。

 

 またあるときは、「においあてあそび」に興じる。駐車場のそ
 にあるリンゴの木はかわいい桃色の花をつける。ハンの木は
赤茶
 色のふさのような花を垂らし、ノイバラのピンクの花はい
い香り
 を漂わせている。

 

 森の地面のとこどころには白い花が咲いている。ベアラウフ(

 クマのネギ)と呼ばれ、日本のギョウジャニンニクに似ている
 か。スパゲッティにまぜたり、パンといっしょに焼くと教わ
る。
 中には、持って帰ってママに作ってもらおうと考える子も
いる。

   

 摘み草がここでは生きている!

 

 さてさて、「においあてあそび」が始まることになる。木の皮、

 葉っぱ、コケ、木の実、土、石をてんでに集めてきて。それぞ
 のにおいをかぐ。葉っぱを折ったり、石でつぶしたり、先生
にア
 ドバイスしてもらって。つぶしたモミの葉からは、紅茶の
ような、 
 薬のような匂いがあることを、モミの種からはレモン
と紅茶のか
 おりが入りまじったような匂いがあることを子ども
たちは知った。

 

 それから2人1組になって、「においあて」。

 

 というように、この本では3歳半になったフェリックスが、ド
 ツの新学年が始まる9月から初めて「シュテルンバルト(星
の森)
 幼稚園」に通い始め、そこで季節を追いかけながら、た
くさんの
 体験をしていくことを、1年の終わり、夏休み前まで
が書かれて
 いる。

 

 この幼稚園でフェリックスが学んだことと同じ経験をした日本
 子ども、そして親世代はまずないだろう。そして、「ああ、
これ
 おもしろそうだなあ」となるだろう。

 

 この本は、小学生向けに書かれたもののようで、中ではそれほ
 「森の幼稚園」について詳しく説明はされていない。だから
ちょ
 っと読むと3歳の男の子の「幼稚園日記」のように読めて
しまう。  
 ややもすると小学生はそう読んでしまうかも知れない。

 

 そのことは、ちょっと脇に置いて。

 

 そもそも「森の幼稚園」は1950年代(昭和20年後半から30年前半)
 中ごろ、デンマークで「子
どもたちに幼いころから自然と触れ合
 う機会を与え、自然の中
でのびのびと遊ばせたいというひとりの
 母親の行動から誕生し
たのだという。

 

 その後、1968(昭和43)年にドイツでも最初の「森の幼稚園」が開
 園し、本
書の執筆時には150以上の「森の幼稚園」があったとい
 う。そ
してそのほとんどをNPOが経営しているのだそうだ。

 

 ここでは、1クラスしかない場合も多く、1クラスは多くても15人、
 8〜
10人という規模が多く、付き添う先生は2人になる。

 

 教室のない森の幼稚園では、子どもの精神がのびのびとし、攻
 性が少なくなるのだとか。一方、「創造力」「空想力」が育
ち、
 運動能力も高まるという。ここにはデメリットの部分には
触れら
 れていないことは書き添えておこう。

 

 「土に還るもの、帰らないもの」、「川の水量の変化とリンゴ
 流される速さの季節による変化」などということも実践的に
ここ
 では教えていることが描かれている。

 

 翻って、日本の幼稚園をみると、今でもそうだろうか、「知育
 に重きを置いているように見える。いわゆる「お受験」でも
「字
 が書けること」を前提に出題していた私立小学校もあった
くらい
 だから、ともかく「知育」をということなのかもしれな
い。

 

 だいぶ前のことだが、のるまんじいが「シュタイナー教育」を
 入れた時にそれにかなり興味をひかれたのだったが、その頃
はま
 だ小学校は日本にはなくて、それが少しずつ開校し始めた時、

 分と羨ましいと思った。

 

 教育の中で、特に「幼児教育」や「初等教育」は人間を作り上
 る過程においてとても大事な時期だと思っている。

 

 今回、この「森の幼稚園」があることを知って「幼稚園」まで
 いが及ばなかったことを悔いている
()。「促成栽培」なら
ぬ「
 促成教育」よりも「熟成教育」の方が望ましいだろうと思
う。

 

 「熟成教育」という意味合いで考えると、この「森の幼稚園」
 1つの選択肢であるように思う。なにしろ日本各地にこの「
森の
 幼稚園」やその運動があることを知って「なるほどなあ」
と遅ま
 きながら頷いている次第である。

 

 これから幼稚園に上がるお子さんをお持ちの家庭やそれにつな
 る方には、お調べいただいてもいいように思う。但し、あく
まで
 も無責任オヤジの発言であるので、そこのところはご容赦
いただ
 きたい。

 

 ということで、本書は児童向きであるのかも知れないけれど、
 般向けのものとして読むことができる。将来保育士や幼稚園
教諭
 を目指したいというそろそろ進路を考えようかという高校
生にぜ
 ひ読んでほしく思う。ある市立図書館では本書を“高校生向き”
 に分類してある。

 若いパパママ、これから家庭を
つ方にもお薦めさせていただきた  
 い。もちろん、おじいちゃん、
おばあちゃんにもだ。

 

 


 
==============================================

 

 

 

        “森の幼稚園”を知っていただくために

 

 

  いずれも発祥の地、デンマークの記事です。

 

 

 

  http://www.flighttodenmark.com/theothers/forestkindergarten.html

 

   http://www.asahi-net.or.jp/~ph6j-sngw/2001_Summer_Forest-kindergarten.html

 

 

 

 ==============================================

 

 

 

 

        森の幼稚園    

 

 

     シュテルンバルトがくれたすてきなお話

 

 

 

 

                今泉 みね子/著

                アンネッテ・マイザ―/著

   

 

           

             200310月 初版 合同出版刊

             

             

 

 

              合同出版のホームページは

 

        http://www.godo-shuppan.co.jp/index.php

 

     

     

   
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「図書館の神様」

  • 2013.03.13 Wednesday
  • 13:56
JUGEMテーマ:オススメの本

  

  【こんな一冊の本】

 

 

 

 

        図書館の神様    

 

 

 

 

                 瀬尾 まいこ/作

 

 

 

      
 ================================================

 

   

   

 やっぱり、図書館には神さまがいる。

 

 のるまんじいは、そう確信した。

 

 何度も同じことを書いて恐縮だけれども、この男小5のときか
 高2まで委員会活動といえば、“図書委員会”一筋だった(
笑)。

 

 そこに、当初は“打算”も働いてはいたが、それでも純粋に“
 書室”が好きだった。

 

 図書室がきらいな人にとって、そこは薄暗い空間に古い本が並
 でかび臭いにおいがするぼやけた場所にしか過ぎなかった
だろう。 
 だが、図書室好きからすれば、それは一転して、穏や
かな時間と
 空気が流れ、それに身を任せきれるそんな存在とな
ったのだった。

 

 後年、PTAの活動を通して子どもの小学校の図書室や市内の中
 学校の図書室に足を踏み入れる機会を持ったが、いずこも
蔵書数
 は相変わらず少なかったけれども、それでも居心地のい
い空間で
 あることに変わりはなかったというか、往時よりも明
るくより快
 適な場になっているように感じた。

 

 さて。

 

 この小説の舞台になっているのは、公立高校の図書館である。
 者の瀬尾まいこさんは京都府の高校で国語の先生をなさって
おい
 でだそうだから、そんなことを頭の片隅に入れておくとよ
り細か
 なことが理解しやすくなるだろうか。

 

 前置きが長くなったついでといってはなんなのだが、ここには
 図書委員”も“司書教諭”も1度として顔を出さない。これ
もま
 た新鮮でいいかも知れない。読み終わった後で、「そうい
えば出
 てこなかったなあ」ってな具合だった。別に「だから何
よ」では
 あるが。

 

 さて、である。

 

 主人公、早川清(きよ)。漱石の『坊っちゃん』に両親が傾倒
 ていたからついた名前ではないと、その由来から語り始める。

 

 新卒で、4年後には統合されることが決まっている鄙びた公立
 校の国語科の非常勤講師として採用された。(瀬尾さんご自
身が
 長く非常勤の職にあったらしい)

 

 そもそも高校の教師になりたいと思って、試験を受けた訳では
 かった。「国語を教えたい」などともさらさら思ったことも
なか
 った。

 

 ただ、人に甘えることが恐ろしく心地よいということを教えて
 れた浅見さんから勧められて、3回生のとき慌てて教職課程

   の授業を受けて、今の結果があった。

 

 浅見さんとは、弟の拓実のことばを借りれば、現在のところ“
 倫”の関係にある。

 

 しかし、私、早川清は、小さいころから名前の通り“清く正しい
 
”人間だった。真面目一筋。アルバイトだって無遅刻無欠勤だっ
 たし、嘘も陰口を聞いたこともなかった。いつも正しくあ

 ること。悩まず迷わず戸惑わず、単純明快、即断即決。

 

 (言い換えれば、猪突猛進、ほかが見えていないってタイプだね)

 

 そんな私はバレーボールに夢中になった。脇目も振らず全身全霊、
 バレーボールに打ち込んだ。高校では、早くから中心的役
割を果
 たしていた。自分にも当然厳しかったが、他のメンバー
にも厳し
 くあることを求め。それが当然だと思っていた。いい
加減な気持
 ちで練習するのを嫌った。ある意味、融通が利かな
かったし、他
 の人の気持ちを考えるゆとりを持ちあわせなかっ
た。

 

 国体に出場を果たし、将来は体育大学に進む“はず”だった。

 

 大差を相手チームにつけていたある練習試合で、監督が高3で
 欠の山本さんを投入した。いわゆる温情というやつ。試合に
慣れ
  ない山本さんがミスを連発し、それをきっかけにこてんこ
ぱんに
 負けた。「ちょっと言い過ぎたんじゃない」と仲良しに
釘をささ
 れるぐらい反省会で言ったようだったが、そんなこと
はないと自
 分では大して気にはならなかった。

 

 それが、

 

 翌朝、山本さんが自宅のマンションから飛び降りて死んだこと
 知った。

 

 自殺の原因は何も考えられないということだった。あれ以外には。

 

 歯車が狂い出したら、もう止められなかった。

 

 私が殺したのではない。誰も表だって何も言わなかったが、し
 し責められているのがわかった。不信感が募る。クラブで
孤立、
 退部、あれほど期待をかけていたはずの顧問の慰留すら
そこには
 なかった。

 

 バレーボールを見るのもいやになっていた。卒業までの日を指
 り数えていた。地方の小さな私立大学を受けた。

 

 そして、今がある。

 

 無気力な生徒たちがいる。そして、無気力な授業をする私がいる。

   

 そんな私に部員ひとりの“文芸部”の顧問というお鉢が回って
 た。それにもうんざりだった。やる気なんか起きやしない。

 

    ひとり部員の高3の垣内君は、快活な笑顔の似合う、いかにも
 動向きの心身ともに健康そのものの青年だった。なぜ“文芸
部”
 なんかにいるのか不思議だった。

 

 それには、垣内君がこころに秘めていることがあった。が、そ
 を知ったあとでも、お互いにそれにふれることはなかった。

 

 最後まで、徹頭徹尾、あっさりしているのである。「えっ、こ
 で終わっちゃうの?」そんな感じである。

 

 考えてみれば、それが心地よかった。

 

 ひとり“文芸部”の垣内君と何気ない日々を過ごしていくこと
 よって、再生、成長していく清がいた。

 

 そして、彼女を取り巻く人物たち。不倫相手の浅見の存在。“
 んかなあ”という見かたは、のるまんじいの男性的な視点に
立っ
 たものだろうか。どっちにしても捉えどころがなかった。

 

 そして、清の弟の拓実。

 

 家を出ると告げたとき、「姉ちゃんは悪くないのに」と言った。

 

 飄々としていながら、どこかで冷静に周囲を見ている。それで
 て寛大でこころ優しい青年とのるまんじいは読んだが、いか
がだ
 ろうか。

 

 事件の後、居心地が悪くなったのは、清だけではなく拓実も同
 だっただろうに。

 

 ところで。

 

 この小説の舞台が“文芸部”ということもあって、瀬尾さんは
 名な作家たちを本書に登場させ、内容に深みを与えている。

 

 川端康成の『抒情歌』『骨拾い』に共通する“鼻血”。いやは
 清と垣内君のやりとりがおもしろい。三島由紀夫のボディビ
ル通 
 い。清は、それが“編物教室”だろうと関係ないと言って
いるが。  
 あの三島が“編物教室”?これは瀬尾さんの計算?

 

 垣内君から、山本周五郎の『さぶ』の話題をふられたときに、あ  
 ちらの『さぶ』を持ち出す清も作者のご愛嬌かな?これが
わかる
 人はある程度の年代で、しかも……
()

 

 とまあ、物語は進んでいくのだが、終盤の13、14章がいい。
 
ともかくいい。ここに描かれている垣内君のスピーチは一読に値
 する。やっぱり図書館には神さまがいる。

 

 言い古されたことばかもしれないが、「青春小説」と言ってい
 だろうか。実際、街の図書館ではYAコーナーに置かれてい
たの
 だから。一言でいえば、すっきりとしたというか爽やかな
“一陣
 の風”が吹いた、そんな読後感である。

 

 おませな中学生なら読めると思う、というか垣内君みたいなク
 ルなこころを持った中学生に読んでもらいたい。しかし、こ
こで
 も高校生向けの1
冊としておこう。もちろん、群制度が
跋扈して
 いた
(東京都の話だけれど)高校時代を懐かしく思うよ
うなおとな
 世代の方にもぜひ手にとっていただきたい、そんな
1冊である。

 

 一読をお薦めする。      

 


 
==============================================

 

 

 

         図書館の神様    

 

 

 

 

                 瀬尾 まいこ/作

   

 

         

      

           200312月 初版 マガジンハウス刊

           2005年4月 10

             

 

 

              マガジンハウスのホームページは

 

        http://magazineworld.jp/

     

   

   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇    ===============================================

 

「ぼくはこうして大人になる」

  • 2012.06.27 Wednesday
  • 08:06
JUGEMテーマ:オススメの本
 

 

 

 

 【こんな一冊の本】

 

 

 

       ぼくはこうして大人になる

 

 


 

                 長野 まゆみ/作

 

 

 
 ================================================

 

   

  

 ぼくが、七月(なつき)を初めて見かけたのは、6月のとある
 のことだった。

 

 制服で出かけてくるようにと、10歳年長の姉から呼び出され、
 ち合わせをしたのは、都心部には不似合いな風格のある山門
の構
 えの寺だった。

 

 と、その前に。

 

 姉は百(もも)という名前で、医学部で脳科学を専攻している、
 将来、町医者という家業を継ごうなどとはさらさら考えて
ない。
 この姉は双子の片割れで、十(みつる)という名の兄がい
る。こ
 の兄だって司法試験に受かって弁護士事務所に就職してい
る。2
 人ともぼくに家を継がせようと考えているらしい。

 

 ぼくの名は、印貝一(いそがい はじめ)、この夏15歳を迎え
 自分で言うのはなんだが、生意気でユウウツな中学3年生だ
。少
 年と云ってのけるには厚かましく、青年にはほど遠い未青
年(未
 青年に傍点あり)の一時期を、皮肉屋でありながらも相
応に周囲
 との折り合いをつけ、可もなく不可もない日々を過ご
そうとして
 いた。 

 

 いいね。この“生意気でユウウツな”、“少年と云ってのけるに
 
は厚かましく、青年にはほど遠い未青年”という表現。まさし
 そのころの「男子」を言い当てている。

 

 ぼくは幼い日、この聡明な兄姉から自分が女であると思い込ま
 れて育った。人格が危うくなるほどの悪質な嘘を、大人たち
は見
 て見ぬふりをしていたように思う。

 

 これに関しては、なぜこうなったかを、本書の最後で“謎”明か
 し
しているので、ここには書くまい。

   

 小学校へ上がった日のぼくの“不幸な現実”という名の狼狽を
 像されたい。

 

 まっとうな男になろうとして近くに住む従兄・亜細亜を見習い
 さらに道を誤った。うーん、亜細亜クン、君ねえ……(苦笑)。

 

 どんなことを亜細亜が教えたかって?。それはねえ……。

   

 この日の葬儀には、百にも十にも関係があるようだった。そし
 知らされてはいなかったがぼくにもあったようだ。    

 

 斎場からの帰り道、休みなく降りしきる雨の中佇むひとつの人
 があった。白の開襟に薄鼠のズボンを組み合わせた少年の姿
は小
 暗い蔭にあった。髪も滴を受け、水気を含んだ制服の槻衣
(シャ
 ツ)に、素肌が透けて見えた。頬を伝う滴が雨水なのか
涙なのか
 も区別がつかない。その思いつめたようすは、強く印
象に残った。

 

 これが、七月を見かけた最初だった。

 

 それから時を待たずに、七月があろうことかぼくの学校に、い
 クラスに転校してきたのだった。

 

 それから、ぼくの日々の歯車は坂道を転げ落ちるような速さで
 っていった。止めることもできずに。

 

 七月の無愛想な態度は周りを敵に回すほどだった。ぼくに対し
 は、介意(かま)われたくないそぶりが、その全身から感じ
られ
 た。

 

 そんな6月下旬、ぼくたちは2泊3日の修学旅行に出かけた。

 

 トラブルの連続、班長のぼくの手を焼かせるクラスメート、ま
 で理解がなく雑用を万事まかせっきりの担任、七月の不可解
な反
 発に、身も心もずたずたになりながらの旅行。

 

 幼馴染でお互いの秘密を握りあう健との微妙な関係。ある時は
 立し、体調を崩して苦しむ令哉をぼくが介抱していると「気をつ
 け
ろ食われちゃうぞ」と笑う。かと思えば、協調関係に戻る、つ

 かず離れずといったところか。

 

 それ以来、ぼくに反発する令哉。その反発の訳は、やがて本人
 口から語られることになるのだが。

 

 そんな中での奈良市興福寺国宝館へおもむいたときの“ぼく”
 書き表し方が何とも素晴らしいとのるまんじいは思う。はじ
め、
 そこの部分だけしか読んでないのにグッときたのだった。

 

 そこをご紹介しようと思う。

 

 ふだんは北円堂にある運慶の無著(むちゃく)菩薩立像が国宝
 に特別展示されていた。ここで出逢うとは思わなかった。嵌
入(
 かんにゅう)の玉眼は、光のかげんで生き生きと潤んで見
える。
 身近にいた誰かのような、穏やかで滋味のある表情。

 

           (中略)

 

 でも今、不甲斐ないぼくは、自分の価値をいっこうに見いだせ
 い。何もかもまちがっている。べつに誰も、手を貸してほし
いと
 頼むわけぢゃない。ぼくが勝手に手を出し、空回りしてい
る。実
 際、ぼくが困り果てても、誰も寄ってこないぢゃないか。

 

           (中略)

 

 もう一度、無著菩薩に目を凝らした。玉眼の潤みは、しだいに
 く自身の潤みになる。莫迦げている。……こんなことで情け
ない
 思いをするなんて。

 

           (後略)

 

 「こう略ばっかりで、どう読み取れって言うんだい?」

 

 そんなお声が聞こえてきそうである。

 

 しかしながら、表面上クソ生意気を気取っている未青年の時間を
 過ごしている“ぼく”の内面にあるガラスのように壊れやすく
 細なこころの描き方を「うまいなあ」と思うのである。あの
年代
 の“少年”にだけ存在する“心の揺れ動き”。さすがに長
野さん
 だと思う。

 

 興福寺の国宝館が新しくなって、現在かの「阿修羅像」を始め
 してガラス越しでなく直に対面できるようになった。ガラス
に当
 たる余計な照明の反射を気にしなくてよくなったことの意
義は大
 きいと思う。

 

 首都圏の公立中学校の修学旅行の目的地は「京都・奈良」が今
 も多いと聞くとホッとする。中には東北地方で「農業体験」
とい
 ったものも聞こえてくる。(これはこれでおもしろいと思
うが)

   

 日程を洩れ聞くに、われわれ“オジジ”世代に比べて見学する
 院の数が「お寺なんか見たってどこも同じ」という中学生た
ちの
 希望によってか、しぼられているのだそうだ。その
結果、行った
 にもかかわらず、世界遺産と評されるような寺院
を一度も目にし
 ないままで“いい歳”になってしまうことも多
いのではないだろ
 うか。

 

 確かに興味を持てないまま、あっちこっちと連れ歩かされるのは
 “苦行”のほかならないかもしれないが、それでも見学する
“意
 義”があるのではないだろうか。

 

 のるまんじい自身、ここに登場する「興福寺」を中3の修学旅
 で初めて訪れてから、今に至るまで何度も足を運んだが、「
もう
 これでイイや」というような感想を持ったことは未だかつ
て1度
 としてなかった。常に「新しい発見」があるように思う
のだ。

 

 興福寺、春日大社、東大寺のあの広大なエリアの中を彷徨い歩
 だけでも気分がよい。

 

 前回訪れたときは、東大寺へ正倉院の裏手の方から歩き出して
 その後奈良国立博物館に立ち寄り、興福寺へと足を向けたの
だっ
 た。あの時は、すでに正倉院の校倉造を間近で目にできる
時間が
 過ぎていて、遠くの隙間から「確かにあれがそうだよね」、
「今
 度は近くで見ようね」と同行してくれた人と約したのであ
った。

 

 散策に疲れ、宿に戻る道すがら、「平宗」で吉野名物の柿の葉寿
 司を連日買い込んで、“夜食”にしたのであった。

 

 そんなことを思い出した。

 

 長野さんの作品は、時どき私立中学の入試問題の素材文として
 場してくるが、先程ご紹介させていただいた興福寺の場面が
先年、
 都内の有名人気の男子校、本郷中で使われたのだった。

 

 なにはともあれ、ぼく「一」と、転校生「七月」ふたりの物語
 これからが気になるところである。それは読んでこそのお楽
しみ
 ということにしたい。

 

 一般向け。早熟な中学生なら読めるだろうか。高校生以上に読
 でいただきたい。“未青年”時期をとうに過ぎ去ってしまっ
たあ
 なたにはほろ苦かった“あの頃”を思い出させてくれる1
冊にな
 ると思う。一読をお薦めしたい。

 

 

 ================================================

 

 

    興福寺のホームページです。阿修羅像が出迎えます。

 

    http://www.kohfukuji.com/

 


    東大寺の公式ホームページです。

 

    http://www.todaiji.or.jp/

 

 

    柿の葉寿司の平宗です。

 

    http://www.kakinoha.co.jp/

 

 

    本郷中学・高校の公式サイトです。

 

    http://www.hongo.ed.jp/

 


 

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「文豪だって漢詩をよんだ」

  • 2012.06.20 Wednesday
  • 00:00
JUGEMテーマ:オススメの本

 

 

 
 【こんな一冊の本】

 

 

 

 

     文豪だって漢詩をよんだ      

 

 



                 森岡 ゆかり/著  

 

 

   

 ===============================================

 

     


 今回、アップさせていただくものは、読者の方に
とってもちょっ
 とばかり「異色」な分野の1冊ではないだろうか。

 

 これなら読めるぞっていう児童図書を探しに図書館にいつも足
 運ぶのだが、その時ついでと言ってはなんだが、のるまんじ
はあ
 なぐまのごとくに図書館中をあっちに行ったり、こっちに
きたり
 とともかく決まってうろうろする。そうしていると思い
がけない
 収穫に与れるものだ。

 

 そんな風にして見つけた1冊が今回ご紹介させていただく『文
 だって漢詩をよんだ』になる。ヤング・アダルトコーナーに
なん
 かひっそりと置かれていたような気がする。

 

 「えっ?漢詩」って思った?

 

 そう、漢詩なの。

 

 日本の近代文学を代表する7人の文豪にスポットライトを当て
 、その人たちが、どんな具合に漢詩に親しんで、そして、漢
詩か
 ら素養を身につけていったかがここには楽しく書いてある。

 

 とは言うものの、「国語、きら〜い」「漢字だけなんてまっぴ
 だ〜」「授業だけだってうざいのに〜」なんて言い出しちゃ
う高
 校生にはちとつらいかなあ。でもなあ、食わず嫌
いばかりしてる
 と新しい世界は広がらないよなあ。「まずはちょ
っと我慢してつ
 きあってよ」っていうところである。

 

 さて、さて。

 

 まず、登場したのは、徳富蘇峰だった。えっ?「徳富蘇峰って誰
 よ」って、そうだよなあ。のるまんじいにとってだって
、そんな
 に近くに感じないもんなあ。なんでこの人からなのか
なあって思
 ったもんなあ。

  

 一口でいえば、「国民新聞」を創刊したジャーナリストで、の
 に政界に転じた思想家と言えばいいだろうか。そういったっ
て「
 う〜ん、わかんねえ〜」って、喚かれそうだし。『不如帰
(ほとと
 ぎす
)』を書いた徳富蘆花(ろか)のお兄さんだよって言
ったってね
 え、「じゃあ、蘆花って誰よ」ってなるだろうし。『
不如帰』が 
 「浪子」と「武男」の悲恋の物語でベストセラー
になったと言っ
 て、それでぴんとくるのは少なくてものるまん
じいの親たちの世
 代だろうしなあ。

 

 これじゃあ、「バイバイ」されちゃうんじゃないかって要らぬ
 配をこちらがしてしまう。

 

 蘇峰さんは文久3年(1863)に生を享け、8歳になるまで熊本
 水俣で暮らしていたという。『蘇峰自伝』には幼い日に母の
膝上
 で「月落ち烏啼いて霜天に満つ」を聞かされて覚えたとい

 う。

 

 あっ、これ著者の森岡さんが書いておられることだとお断りし
 おかないといけないよなあ。

 

 おじいちゃんとかが、「詩吟」をやっていると、聞いたことあ
 ぞってなるか。「詩吟」なら天津木村が「吟じます」ってや
って
 るあれねっていうかな。それにしてもテレビの世界は、
浮き沈み
 が早過ぎる。天津木村さんだって、このごろとんと
お見受けしな
 くなった。まあ、それはさておいてといてと。

 

 

 

     「楓橋夜泊」         張継

 

 

    月落烏啼霜満天   月落ちて 烏啼いて霜 天に満つ

    江楓漁火対愁眠   江楓 漁火 愁眠に 対す

    姑蘇城外寒山寺   姑蘇城外の 寒山寺

    夜半鐘声到客船   夜半の鐘声 客船に到る

             

   

 これはさすがに知っている。有名だもん。七言絶句で「天」「眠
 」「船」が韻を踏んでいるって、高校の古典の時間にや
ったなあ
 。「月落ち」は起句だったよなあ。

 

 烏は夜が明けるのを告げる鳥。「あれっ?もう夜明けなの?」
 て思ったら、寒山寺から真夜中の鐘の音が聞こえてきた。
「なあ
 んだ。まだ夜なんじゃん」とひとりごちたようだ。これ
にはもっ
 と艶っぽい解釈がなされていて、そちらはこの本をお
読みいただ
 くことにしよう。

 

 この艶っぽい解釈をパロったのが江戸時代は田沼期の狂歌師の
 田南畝
(なんぽ)だったと森岡さんは続けている。

 

 

     「永久夜泊」    太田南畝

 

 

  鼻落声鳴篷掩身   鼻落ち声鳴って (とま) 身を掩(おお)

  饅頭下戸抜銭緍   饅頭 下戸 銭緍(ぜにさし)を抜く

  味噌田楽寒冷酒   味噌田楽の寒冷酒(かんざまし)

  夜半小船酔客人   夜半の小船 客人を酔わしむ

 

 

 船饅頭とは船で客を取る私娼のことだそうで。これでどんな解
 を下地にパロったかわかっちゃうか。ちなみに「永久」とは
現在
 の箱崎町あたりにあった橋のようで、そこからの水の豊か
な風景
 を蘇州に重ねたようだ。

 

    蛇足かもしれないが。

 

 中学受験を目指そうとしている小学生たちに進学塾で国語を教
 ている、のるまんじいの悪友の「悪魔のささやき」のぼやき
を思
 い出した。

 

 一時期、宮本輝さんの『泥の河』を入試問題の素材文として取
 上げる学校が多くあったという。この作品を読まれた方はご
存知
 のことだろうが、大阪の安治川の河口に両親と住む信雄少
年は舟
 で暮らす少年と友だちになるが、両親からつきあっては
いけない
 と釘を刺される。少年が舟で自分が暮らしているという場
面まで
 素材に出てきたとそやつはいっていた。

 

 作品は素晴らしいものだし、問題の素材として取り上げられる
 もわかるというのだ。その後で、『泥の河』全編を小学生に
推薦
 図書にしていることをぼやいていたのだ。おわかりのよう
に少年
 の母は舟で春をひさいで生活しているわけで、そこまで
読ませる
 必要があるのかと言っていた。確かにな。

 

 蘇峰は、成人した後、蘇州を2度訪ねている。

 

 次に森鴎外が登場する。それがまたぼやく、ぼやく。「どんなぼ
 やきだ
?」って、これは本書を読んでいただこう。

 

 さて、次に顔を見せるのが夏目漱石というのは想像に難くない。



 

      「無題」

 

 

  淋漓絳血腹中文   淋漓たる絳血 腹中の文 

  嘔照黄昏漾綺紋   嘔いて黄昏を照らして綺紋を漾す

  入夜空疑身是骨   夜に入りて空しく疑う 身は是れ骨かと

  臥牀如石夢寒雲   臥牀 石の如く 寒雲を夢む

 

 

 ううっ、さすが漱石さんだよな、漢字を探すのがめちゃ大変だ
 た
(苦笑)。

 

 それにしてもすごい詩だ。真っ赤な血が滴るって。晩年の漱石さ
 
んは胃潰瘍が原因で吐血する。その時の様子を客観的に突き放し
 
て自分を見て漢詩で残している。骨が痛くて仕方ないと言ってい
 
る。「すげえ〜」と口に出たきり、嘆息するのみだ。

 

 

 友人の正岡子規のことを詠じた漢詩に

 

   血を嘔()きて 始めて看る 才子の文

 

 という詩句があるのだそうだ。その時よりも、漱石さんは自ら
 吐血することで、それが文学創造の営みに似ていると実感
たのだ
 ろうと、そして、それを「腹中の文」と表現したのだろ
うと森岡
 さんは書いている。すごい、凄すぎる。

 

 このあと、中野逍遥が登場して、その後に小川未明が続いて出
 くる。   

 
小川未明さんといえば、『赤いろうそくと人魚』や『野ばら』で

 知られている。未明は数学がとっても苦手で、3度中学で落第
 経験するが、漢文の授業がそんな未明さんの心を支えたそうだ。

 

 余が好める秋の描写」という文章の中では、宋代に活躍した陸游
 の「秋思」を挙げた。

 

 

   桑竹成陰不見門   桑竹 陰を成して 門見えず

   牛羊文路各帰村   牛羊 路を分かち 各おの村に帰る

   前山雨過雲無跡   前山 雨過ぎ 雲 跡無し

   別浦潮回岸有痕   別浦の潮回りて 岸に痕有り

 

  

 これはまた美しい詩だなあ。未明さんはこの「秋思」をミレー
 レンブラントのエッチングを見るような感じだと述べている
そう
 だ。

 

 そして芥川龍之介と柴田錬三郎が読者を待っている。龍之介さん
 
のところでは、『杜子春』に出てくる仙人の鉄冠子と漢詩を関連
 づけていて、これがまたおもしろい。

 

 それにしても、著者の森岡ゆかりさん、楽しい本を世に送り出
 れたなあとのるまんじいは思うのである。

 

 あとは、受け手の高校生がどうするかである。

 

 一見すると、とっつきにくいようにみえる、漢詩である。なに
 ろ身近に存在するものではないのだから。

 

 だけれど、敲かなくてはもったいない世界ではないだろうか。

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「シェイクスピアを盗め!」

  • 2011.11.08 Tuesday
  • 07:44
JUGEMテーマ:オススメの本

 

  【こんな一冊の本】

 

 

        シェイクスピアを盗め!

        

 

        

                ゲアリー・ブラックウッド/作

                安達 まみ/訳  

 

 

     
  ===============================================

 



  ぼくの人生を大きく変えたのは、以前から知っていたが、本当

  はわかっていない言葉だった。

 

  それは、正直、信頼、忠実、友情。

  家族。そして、家庭。

 

  ぼくは、天涯孤独の孤児だった。かあさんもとうさんも知らな
  い。

 

  そのぼくが、いかにしてこれらのことばを知り得たのだろうか

  ?そしてまた、手に入れたのだろうか?

 

  ぼくには家族ができた。そして、サンダー、ジュリアといった

  かけがえのない友だちも得ることができた。ただ、この友だち

  がさらに発展していきそうなそんな匂いがする。

 

  ぼくが生まれたのは、1587年。かあさんは、ぼくが生まれた年

  に亡くなった……というのが、事実にいちばん近いらしい。

 

  ちょうど豊臣秀吉が洛中に聚楽第を完成させた年にあたる。

 

  孤児院にひきとられたとき、マクレガーさんが「まあ、かわい

  そうなちびぬけくん(ビッグ・ウィッジョン=ちびのぬけ作)

  と叫んだのがきっかけで「ウィッジ」と呼ばれるようになって

  しまった。親がつけてくれたはずの名前の記憶はなかった。

 

  おいしいものもろくに食べたこともなく、どうやって鞭打ちを

  まぬかれるか、いじめっ子からどう逃げられるかだけを考える

  だけの毎日。満腹になるなんて夢のまた夢の話だった。

 

  7歳の時、新たな展望が開けた。

 

  人間には、7年ごとの運勢や健康に大きな変化があって、これ

  を転換期とか厄年とかいうのだそうだ。

 

  ヨークシャーの近くの小さな村バーウィックの牧師ブライド博

  士が徒弟を求めにやってきたとき、ぼくは選ばれたのだった。

 

  だから、幸せだったろうって?確かに孤児院にいるよりは、と

  答えておくことにしよう。

 

  何しろぼくは博士の「所有物」だった。博士は冷たい人だった。

  友達なんかいなかった。だから後に同じぐらいの少年たちと出

  会ってもどうやってつきあったらいいか勝手がわからなかった。

 

  “イギリスは女の天国、召使いの牢獄、そして馬の地獄”とい

  うことわざがある。徒弟にいたっては、あまりにも卑しくて、

  ものの数に入らないらしい。

 

  そんな中で、ぼくは博士から英語、ラテン語の読み書きを習っ

  た。そればかりか博士が発明した「速記術」まで厳しく仕込ま

  れた。なんて心優しい博士だろうって?

 

  冗談じゃない!科学的なメモを取ったり、毎週の説教を書き留

  めたりする仕事が待っていたんだ。ここまでになるのに2年は

  かかった。

 

  でもそのころのぼくは、ヨークシャーの、さらにはイギリスの

  かなたの大きな世界を発見して、自分の目で確かめてみたいと

  あこがれをつのらせていた。

 

  14歳のとき、また厄年がめぐってきた。

 

  3月にあるひとりの見知らぬ男が博士のもとへやってきた。ま

  るで壁の影か、ぼくをさらいにきた亡霊あるいは死神か悪魔か

  と目を疑うような男だった。この男の名前がフォークナーだと

  知ったのは何日かしてからだった。声はまさしく亡霊にふさわ

  しく、低いうつろな声だった。

 

  「速記術」を自由に使いこなせるということで、ぼくはこの男

  に金貨10ポンドで売られた。ちなみに10ポンドといえば、

  博士の1年分の稼ぎを越える大金だった。やっぱりぼくは「物

  」でしかなかったんだ。

 

  すでに夜だった。自分だけ馬に乗るフォークナーに、びくびく

  しながらついてただ歩き出した。「どこへ行くのか」、ほかに

  もいろんなことを聞きたかったが、男はそれを許さなかった。

 

  鬱蒼と暗く、不吉な感じの森を恐怖を抱えながらただ歩いた。

  州じゅうの非情な盗賊や飢えた猛獣どもが潜んでいることは知

  っていた。だが、得体の知れぬこの男の方がもっと恐ろしかっ

  た。

  

  2回目の夜が過ぎて、やっと目的地へ着いた。あまりの街の立

  派な様子にロンドンかと思ったが、そこはレスターという町だ

  った。

 

  ここでの「新しい主人」はサイモン・パスと名乗った。この人

  はぼくに、新しい任務としてロンドンへ出かけ、『デンマーク

  の王子ハムレットの悲劇』を観に行って、「速記術」で芝居を

  すべて書き写し、それを主人に届けるというものだった。

 

  主人はある一座で金もうけをしているらしい。そこで今当たっ

  ている芝居をかけたら、えらくもうかるというのだ。そのため

  に『ハムレットの悲劇』を作者のシェイクスピアの手からかす

  め取れというのだった。

 

  台本を盗めというのか!やっぱり、ここでもぼくは「物」なん

  だ。

 

  『ロミオとジュリエット』や『タイタス・アンドロニカス』が

  誰かの手によって奪われたように。

 

  それもあのフォークナーと一緒にだ!

 

  ぼくがものごころついてから、誰もがロンドンのことを話すと

  きは、天国のことを話すときにしか使わないような、うやうや

  しい口調だった。ぼくたちの小宇宙の中心はロンドンだった。

 

  そのあこがれのロンドンにやっと行けるというのに、よりによ

  ってフォークナーと一緒だなんて。天国と地獄がいっぺんにや

  ってきたような感じだ。

 

  ぼくこと孤児で徒弟のウィッジは、そこに向かって進んでいる

  のだった。オールダーズゲイト通りから街に近づいた。生まれ

  てこの方見たこともないような景色に呆然としているとフォー

  クナーから「口を閉じろ、魂が逃げ出すから」と笑われた。

 

  『ハムレット』がかかる日まで旅籠でぶらぶらしながら待った。

 

  1日中道を眺めてすごした。

 

  粗末な荷馬車から豪華な馬車までおよそ考えられるすべての乗

  りものとあらゆる階層の人びとが通りかかった。

 

  物売りの声が混じりあって異国の音楽のように聞こえた。

 

  「上等のセビリアのオレンジやレモンはいかが?」

 

  「熟れたキュウリだよ、よく熟れてるよ!」

 

  「煙突掃除はいらんかね!(中略)お粥の鍋に煤が落ちないよ

  うに!」

 

  この場面を読んでいて、のるまんじいの脳裏に浮かびあがって

  きたのは、映画「オリバー」(1968年/キャロル・リード監督

  /イギリス映画)の1シーンだった。

 

  チャールズ・ディケンズの原作『オリバー・ツイスト』を映画

  化した作品で、主人公で孤児のオリバーをマーク・レスターが

  演じたミュージカル作品だ。このオリバーが、初めて祖父の家

  で夜を明かした朝、(まだ祖父だとは知らなかったのではなか

  っただろうか)、窓の外からバラ売りの歌が聞こえてくるのだ

  った。

 

 

      Who will buy my sweet red roses?

      Two blooms for a penny.

      Who will buy my sweet red roses?

      Two blooms for a penny.

 

      Will you buy any milk today, mistress?

      Any milk today, mistress?

 

 

  この美しい、女性の歌声にたくさんの歌声が少しずつ重なって
  い
き、やがて大画面いっぱいになるのだった。幸福な朝の訪れ
  だ
った。

 

  この作品では、産業革命当時のイギリスの孤児院の様子も登場

  する。子どもたちは、1杯の粥しか与えられなかった。ウィッ

  ジがいた孤児院も時代は違うけれども大同小異だったのではな

  いだろうか。

 

  閑話休題。

 

  いよいよその日がやってきた。テムズ川をボートで渡った。

 

  塩入れのおばけのような建物で、入口の上には、巨人のアトラ

  スが肩に地球儀を背負った絵があった。劇場の名前、グローブ

  座にちなんでなのだろう。

 

  ひとりで劇場に入ることになった。

 

  「とにかく捕まらんように気をつけろ。全部書き取れ」との命

  令とともに。

 

  だが、ウィッジは芝居に夢中になり過ぎてその任務を果たせな

  かった。そこでフォークナーに頼みこんで再度もぐりこむこと

  になる。そこで、とんでもない事故に巻き込まれて……。

 

  そして、苦し紛れで言った、その一言がウィッジの運命を変え

  ることになる。

 

  どうやら、長々と書いたここまでが、幕開きと言えよう。

 

  これからが少年ウィッジの新たな世界との出会いになるだろ  
  う。

 

  本書では、シェイクスピアやエリザベス1世を始めとして多く

  の実在の人物が登場してくる。それも興味深いところだ。

 

   

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「ちぐはぐな身体」

  • 2011.07.26 Tuesday
  • 09:12
JUGEMテーマ:オススメの本

  

  【こんな一冊の本】

 

 

 

  

  ちぐはぐな身体

 

 


        〜ファッションって何?〜



        

 

                鷲田 清一/著

 

 

 

 

 ==========================================================

   

 

 

  「ちぐはぐな身体」


  まず、この題名に引っかかってしまった。

 

  「ちぐはぐな」

 
  
近ごろとんとお目にかからなくなったことばの突然の出現に、
  軽
い戸惑いを覚えた。

  

  「ちぐはぐ」

  
声に出してみたい。すると、言いにくいというか、「ち」の
  音か
ら始まるからか強い印象を受ける。そして「ぐ」の音の
  繰り返し
で、強さをまんまるなボールのようにくるっと包み
  込んでドリブ
ルでもしているように感じる。

  
「ちぐはぐ」な身体だって?

  
「ちぐはぐ」ということばが持つ意味って?

  
“食い違っていたり、調和していなかったりするさまとか、
  ふぞ
ろいなさま”を「ちぐはぐ」という。

  
本文を探訪しながら、筆者の言う「ちぐはぐ」に出会うしか
  ない
ように思った。

  
それだけではなく、副題に「ファッションって何?」とあっ
  た。
表紙絵には、耳に3つ、鼻に1つ、舌に2つ、乳首に1
  つ、へそ
の脇に2つピアスをして、その上腰パンでサンダル
  をはいた少年
が描かれている。その隣には夏物のセーラー服
  の制服のスカート
のすそをあげ、ルーズソックスをはいた茶
  髪の女子高生がいる。

  
その上、意味ありげに

  
Pourquoi s’habille-t-on? と書いてある。

  
<人はなぜ服を着るのか>、そういう意味なのだって。

  
そればかりじゃない。表紙裏には、こう書いてある。

  
服を着るというのは、与えられた服をわざと、ちぐはぐに、
  だら
しなく着くずすことからはじまるしかない。外すこと、
  ずらすこ
と、くずすこと。それはダンディズムの極であると
  同時に、弱き
ものの抵抗であり、着るひとの第一歩なのだ。 

  
そうか。「身体」と題では書きながら、その「身体」を包み
  込む
もの、そして包み込む行為まで考えようということなの
  だな、と。

  
さて。

  
本書のはじめで「つぎはぎの身体」という章で筆者の鷲田さ
  んは
「身体」について取り上げていた。

  
ちなみに鷲田清一さんは、今年8月まで大阪大学総長の職に
  あっ
て、専門は哲学だそうだ。

  
それにしても、最初から刺激的な文章だと思った。こんな具
  合だ。

  
からだってこまったものだ。

  
ちっとも思うようにならないし、ぶかっこうだし、一生懸命
  いじ
ってもたいして変わりばえしないし、見せたくなくって
  も隠しき
れないし……。どうしてこんなみっともないもの、
  ひきずってい
るのだろう。いいかげんいやになる。

  
これは、思春期に入って、自我に目覚め始めた多くの中高校
  生た
ちが思う「悩み」の1つではないだろうか。

  
(いきなりこうきたかと思った。)

  
けれども、もっと困ることがある。(こう続く)

  
それはじぶんの身体がじゅうぶんによく見えないということ
  だ。
(確かに!)腋の下となるともうなかなか見えにくくて、
  腋毛を
処理するときなんて頸と眼がひきつって、ほんとにく
  たびれる。
(中略)腋に毛が生えはじめたときには何度もの
  ぞきこんで肩を
凝らした思い出があるから、想像はつく。

  
(男の子も見えないところのそれが気になるもんだ)

  
なんといってもいちばん困るのは、顔が見えないこと。他人
  に向
けられたじぶんの生の顔はぜったい見えない。じぶんの
  感情の微
細な揺れがそのまま出てしまうそのじぶんの顔を、
  ぼくらは、コ
ントロール不可能なまま、それをそのままいつ
  も他人にさらして
いる。

 
  
(なんか「これでもか」とばかりにダメ押しされているよう
  な気
持ちになるなあ)

  
さらに。

  
いろんな強迫的な観念[オプセッション]によって金縛りにな
  って
いるケースを取り上げる。

  
異物に触れるのがこわい、おじさんが近くにいるだけで気も
  ちわ
るいという接触恐怖、じぶんの体臭や口臭がひとにいや
  な感じを
与えているのではないかという不安(口腔神経症と
  いうことばが
ある)、肌がべとついたり脂ぎったりするのが
  耐えられなくなっ
て暇を見つければシャワーを浴びたりシャ
  ンプーをしたりするい
わゆる清潔シンドローム、じぶんのか
  らだが標準サイズから外れ、
醜いものと思いこんでダイエッ
  トにいそしむ痩身願望、そしてそ
れがこじれ食欲がついに制
  御不可能になった拒食症や過食症……。

  
これらだどて、決して“対岸の火事”のできごとでなく、こ
  とに
若い世代にあるとき、だれの心の中にも潜んでいること
  ではない
だろうか。それが、何かをきっかけに「ポン」と表
  面に顔を出す
と……。誰だって1つや2つそんな経験がある
  のではないだろう
か。

  
「若いからこそ」という、そんななにか。

  
見えない身体。じぶんの身体とは自分が想像するもの。つま
  り<
像(イメージ)>でしかありえないことになる。見るに
  しろ、触
るにしろ、じぶんの身体に関してはつねに部分的な
  経験しか可能
ではないので、そういうばらばらな身体知覚は、
  ある1つの想像
的な「身体像」を繋ぎ目としてたがいにパッ
  チワークのようにつ
ながることではじめて、あるまとまった
  身体として了解されるの
だということだ。

  
そして、身体はその意味で想像の産物、解釈の産物でしかな
  いか
らこそ、もろいもの、壊れやすいものなのだ。

  
それであるから、ひとは<像>としての身体のもろさを補強
  する
ために、いろんな手段を編み出すことになる、と論を展
  開してく
る。

  
皮膚感覚を活性化することで、見えない身体の輪郭を浮き彫
  りに
しようとする。

  
イメージとしてのじぶんの存在を、社会的な<意味>で何重
  にも
包装し、強化していく。<像>を強化するためにからだ
  に切れ目
を入れる。

  
いちばん重要な「切れ目」は他人に見せてよい部分と見せて
  はい
けない部分の境界だろうと書く。紙面が尽きてきたので
  この先は
本書をお読みいただくことにしよう。

  
それにしても高校生に「身体」と今一度きちんと向き合わせ
  させ
ようと著者の考えがここに表れてはいないだろうか。「
  見ないふ
り」をするのではなく直視しようという。

  
次の章からいよいよファッションの話になっていく。


    
2 みっともない衣服

  
ここで、「服を着くずす――ファッションの発端」「非風―
  ―フ
ァッションの究極」について書く。制服については「自
  由の制服
」「不自由の制服」「隠れ家としての制服」と視点
  を変えながら
著している。

  
1つだけ書きたい。

  
制服というと、ふつう「不自由」の代名詞のように言われる。
  規
律による拘束のしるし、画一性と没個性のしるしだと。

  
のるまんじいやそれに近い世代の方々は多くの高校で「制服
  撤廃
」「服装を自由に」という運動が起こっていたことを覚
  えておい
でだろうか。それはまさしく上と同じ理由からだっ
  たに違いない。
それがである。年月が過ぎて、制服の善し悪
  しが受験者の多少に
影響が出る時代となった。

  
筆者はここで金子光晴の「さくら」という詩を思い出す。戦
  時中
婦人運動家たちが身だしなみの「自粛」運動を展開し始
  めたころ
に書かれた詩だそうだ。

  
「水仕業、ぬひ針、世帯やつれて、/あるひは親たちのため
  に身
うりして、/あるひは愛するがゆゑに却(しりぞ)いて、
  /あき
らめに生きる心根のいぢらしさ」に思いをはせ、「ふ
  まれたさく
ら。/泥になったさくら。」でしかない女たちに
  向かって、次の
ように歌ったのだった。


    
さくらよ。
    
だまされるな。

    
あすのたくはへなしといふ
    
さくらよ。忘れても、
    
世の俗説にのせられて
    
列女節婦となるなかれ。

    
ちり際よしとおだてられて、
    
女のほこり、女のよろこびを、
    
かなぐりすてることなかれ、
    
バケツやはしごをもつなかれ。
    
きたないもんぺをはくなかれ。


  
最後に。

  本書を知った経緯であるが、ここによく顔を出してくれる中
  
2の小悪魔クンからこの前会ったときに、「中学の先生から
  
紹介されて、こんな本を読んでるよ」とさりげなく文庫本に
  
なったものを見せてもらったのだった。その時は、「フーン、
  
そうかあ。じゃあ、おっさんも読んでみようかな」と軽く思
  
ったのだったが……。

  
高校生向け。であるが、水先案内人がいてくれるなら中学生
  
にも読んでほしい。また、大学生諸君にもお薦めする。それ
  
以上の世代のみなさんにも楽しみながら、お読みいただける
  
と思う。

 

 

 

 =========================================================

 

 

       

    

    ちぐはぐな身体

        

 

    

        〜ファッションって何?〜

        


 

 

                

                鷲田 清一/著

 

        

      

             

             1995年10月 初版 筑摩書房刊

             

             

 

 

             筑摩書房のホームページは                    


          
http://www.chikumashobo.co.jp/

 

 

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