「目のつけどころはシニアに学べ」

  • 2015.12.06 Sunday
  • 15:41
JUGEMテーマ:オススメの本




  【こんな一冊の本】






     目のつけどころはシニアに学べ








                  根本 明/著   




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  自分が「シニア世代」を意識し始めたから、この1冊
  を手にした訳では、決してない。

  では、ないが…。

  表紙に目をやると、正しくシニア世代、大分シニアの白
  髪の男性と、方やパーカー姿で囲碁の碁盤に向かい対局
  する若者の姿が描かれている。

  にこやかな2人の表情、何を語らっているのだろうか。
  一見すれば、まるで祖父と孫のようにも見える。

  しかし。

  これだけだったら、のるまんじいは本書をおそらく手に
  取らなかっただろう。

  なにせ、囲碁は未知の領域。ここは門外漢は失礼しよう
  と。

  それがだ。

  帯の部分(実は帯ではないのだが)に、こんなことが書か
  れていた。



  年上の友人をもつと、こんなに楽しい!


  世代を超えた「友情」をそだてる


  囲碁でひらかれるシニアの世界


  ん?


  と、思った。

  「年上の友人?」

  「世代を超えた友情?」


  常日頃からのるまんじいが思っていることと同じよう
  なことが目の前の本に印刷されている。


  のるまんじいは、自分がジュニアの頃から年上の人た
  ちから多くの場面で可愛がってもらってきた。年齢の
  間隔が短ければ、2・3歳、長ければ50・60歳年
  上ということもあった。

  それも普通にいう近親縁者ではない、人生の先輩たち
  だった。

  そんな実体験者ののるまんじいがいた。

  だから。

  のるまんじいが普段何気なく考えていることを、この
  著者がどんな風に捉え、考えているのか俄然興味を持
  った。興味ということばは失礼かもしれないが。本来
  なら「関心」をといった方がいいのだが。

  ちなみに裏表紙裏の著者紹介欄には1970(昭和45)年生
  まれとあるから、日本初のあの大阪万国博覧会が開催
  された年になる。

  ということは、のるまんじいとある程度年が離れてい
  ることになる。この歳の差が感覚として考え方にどん
  な違いをもたらすかにも興味が湧いた。

  それはさておき。

  まずは、いつものように章立てをみてみることにしよ
  う。



  ■ はじめに


  ■ プロローグ


  第1章  シニアは背中で教えてくれた


  第2章  「常識を疑え」はシニアに教わった


  第3章  シニアに教えて気づいた「教えるとは何か」


  第4章  シニアビジネスでつかんだ「柔らかい視点」


  第5章  そして人生で大切なことは、シニアに学ぶ


  ■ あとがき


  さて。

  著者の根本さんはまず最初にこう読者に質問をする。


  あなたには今、何歳年上の友人がいますか?


  と。


  そしてこう述べる。


  若いうちから積極的にシニアとの交流を広げ、シニア
  の友人を作り、シニアの視点を学ぶことが、人生をよ
  り楽しいものに輝かせてくれる。この本では、この思
  いを皆さんに伝えていきたい。

  と。

  そして、根本さんはこうも書く。


  僕がシニアに学んだ視点は、大きく2つある。


  「言葉の感覚」と「時間の感覚」だ、と。


  著者は中学生のころから、囲碁に親しみ、町の碁会所
  に出向き、そこでおじさん、おじいさんに可愛がって
  もらった、とある。

  この頃から「シニア世代」と対峙し始めたのだろう。
  しかし、これはまだ「始めの一歩」に過ぎなかったの
  だろう。


  さすれば、著者根本氏が多くのシニアたちとの数々の
  「触れあい」の実践を通して、「学んだ」ことを私た
  ちも読んでみることにしよう。

  ややもすれば、「自己啓発」的な臭いがしてしまいそ
  うな本書ではあるが、著者の持つ文章のセンス、もっ
  と平たく言ってしまえば、若いくせに「オヤジギャグ
  」を連発させるなどして、あくまでも「エッセイ」だ
  としていて、読み易い。

  やっと、本文である(笑)。

  いきなりおもしろい。


  題して「37歳上の親友」。


  根本さんが新入社員として入社したて。相手は会社の顧
  問のSさん。この方との年齢差が37。ふたりを結びつ
  けたのが「囲碁部」だった。当時Sさんが囲碁部の部長
  だった。

  「囲碁部」という趣味の領域とはいえ、それは会社の組
  織の一部。

  最初はその枠組みを越えてはいなかっただろう。時間が
  確実にふたりの関係を変えていく。

  そこには著者の人間性があっただろうと思う。それこそ
  「シニア」と向き合う訳だが、おそらく著者にはS氏を
  して親友にした魅力が備わっていたのだろうと思う。

  その結果が、秋になっても夏休みを取れなかった新人根
  本さんを中国への囲碁ツアーに誘うS氏の姿に現れてい
  る。詳細はお読みいただくに限るが、こんな出来事は例
  外中の例外だろうな。

  著者はS氏からこんな言葉をもらったという。

  「人は3つの場、修羅場、土壇場、正念場を経験して成
  長するものだ」

  また。面白さの1つに。

  具体的にここに書いてしまうと、あまりにも惜しいと思
  うのが著者の母上の存在。息子として優しい視線を向け
  ながら、素材としての母上を上手に料理しているつもり
  が、根本氏にあるようだ。

  だが、この母あって、著者が今あるような、難しくいえ
  ばDNAをしっかり引き継いでおられるように思われて
  しかたない。

  それに対してお父上が登場されなかったのは、やはり息
  子と父親の関係だろうか。それはあまりにも詮索し過ぎ
  だろうか。

  残念ながら、本書を読んだからといって、そう易々とシ
  ニアとの関係を一朝一夕に誰もが築けるものではないだ
  ろう。

  しかしながら、「シニア」という存在が、価値のない者
  として、ただ黙々と人生の終末に向かっていて、、でな
  いということが本書をお読みいただけばおわかりいただ
  けるだろうと思う。

  そうでなければ、20代の若者だって、30代だって自身に
  やがて必ず来る「シニア」世代が楽しくないではないか。

  こ難しそうに頑固にしている「シニア」たちと向き合う
  方法は、千差万別。アプローチの方法も数限りなくある
  と思う。まずは、一歩を踏み出すことが大事だろう。

  これだけ読むと、対男性だけのようだが、もちろんそん
  なことはない。対女性ももちろんある。ただ、女性の方
  が異世代交流を上手になさっておいでのようで心配がさ
  ほどないかと思うが。。

  最初に著者も言っていたように 「人生をより楽しいもの
  に輝かせてくれる」ようにしてみよう。

  まずは、若い世代のみなさんに一読をお薦めしたい。そう
  して向き合う側に位置しているわれら「シニア」世代のみ
  なさんにもご一読をお薦めしたい。


  最後に、蛇足と知りながら。


  下に著者、根本氏が主宰する囲碁サイト「石音」のアドレ
  スを書く段になって、「石音」っていい名前だなと思った。

  漢詩の「唐詩選」あたりに出てきそうだ。



       ○○聴石音 (○○石の音を聴く)


             とか



       ○○○石音 (○○〜する石の音)




  とか。


  完全に妄想の世界である(爆笑)。




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     著者・根本さんが主宰する





     囲碁サイト「石音」は






 

     http://www.ishioto.jp/







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     目のつけどころはシニアに学べ








                  根本 明/著      




     2015年 11月 初版 平成出版刊





       平成出版のホームページは



    
http://www.syuppan.jp/



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「たっぷり生きる」

  • 2013.06.20 Thursday
  • 08:08
JUGEMテーマ:オススメの本

 

 

         たっぷり生きる       





                                      日野原 重明/著
                                     
金子  兜太/著    

             

 

 

     
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  「たっぷり生きる」

  
まず、この題名がいいですねえ。なんというのでしょうか。
  大
きなものに包みこまれるような「優しさ」を感じました。
  これ
が「たっぷりと生きる」だったらどうでしょう。「と」
  がある
のとないのとではこんなにも読み手にとって感じる“
  大きさ”
が変わってきてしまう気がします。

  
俳人の細谷喨々さんが「若輩ながら前座をつとめさせていた
  だ
きます」ということで「はじめに」欄を担当されています。

  角川学芸出版の後押しで若い子育て世代のお母さんを主たる
  対
象にした「パラソル句会」の1周年記念大会のゲストに招
  かれ
た喨々さんが打ち上げの席でこんなことを言ったのです
  って。

 

  「うちの理事長と金子兜太さんに対談してもらったら面白い
  だ
ろうなァ」

   

   

  このことばがきっかけで、まさに「瓢箪から駒」いえいえ「
  パ
ラソルから怪人」ということで、世紀の快(怪)老人対決
  なら
ぬ対談が実現したそうです(笑)。

 

  ちなみに、細谷さんは聖路加国際病院副院長で小児科部長だ
  そ
うです。

 

  ともかく、読んでみるとおもしろいんです。

  
本書は東京築地にある聖路加国際病院名誉院長で白寿の日野
  原
さんと今年92歳の俳人の金子さんの対談集となっていま
  す。

 

  生い立ちから、生活環境、大学、趣味、職場、ありとあらゆ
  る
ものが重なり合うことないようなそんなお2人が互いの今
  と来
し方行く末を、ユーモアたっぷりに語りあっています。

 

  なんとなくお2人を対照的に読者に捉えさせて本書を手にし
  て
もらおうといった動きを感じるのですが、正直「そんなの
  小せえなあ」と思ってしまいそうな対談
です。

 

  司会進行をした黒田杏子さんはこう書いています。

 

  人生の大先達を前にやや緊張きみの様子の兜太先生が、日野
  原
先生の限りなく柔軟なお人柄に包まれ、一点の翳りもない
  すこ
やかに明るい人生観に触れてゆかれるうちに、すっかり
  寛いで
しまわれたようでした。おふたりが少年のように純真
  に、率直
に真剣に語り合われるようになったとき、人間とし
  ていささか
もお茶を濁すことなく、誠実に闊達に長く長く生
  きてこられた
人生の達人の一語一語の重さ、尊さが私の全身
  にしみわたって
きました。

 

            (中略)

 

  日野原先生のスピリット、兜太先生の言霊が響き合い、長寿
  者
おふたりの放つ得がたい「気」が部屋に満ち溢れてきます。

 

  最後に兜太先生が日野原先生に出会った印象で昨年の暮れに
  作
った句を載せておきましょう。

 

    明るさよ薄氷の街大股に

 

    青き踏む明快に歩きてやまず

 

    白寿を越えて紅梅木五倍子(きぶし)咲くままに

 

  今回は敢えて本書の中身については触れませんでした。よそ
  の
方のブログで多く書評が載っていますので、参考にしてい
  ただ
くのもよろしいかと思います。なお、年齢、役職等は出
  版当時のものです。

 

  一般向け。熟年層と言われる世代以上の方にはもちろんのこ
  と、
若い方にもお薦めしたい1冊です。自分と違った世代が
  どんな
生き方をしてきたか、考えてきたか。おそらく役立つ
  本になる
でしょう。

 

 

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        たっぷり生きる






                   
日野原 重明/著 

                   金子  兜太/著    

 

 



            
2010年8月 初版 角川学芸出版刊

             



 

           角川学芸出版のホームページは

 

      http://www.kadokawagakugei.com/

 

 

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「京都で、本さがし」

  • 2013.03.09 Saturday
  • 12:54
JUGEMテーマ:オススメの本

 

 

  

 【こんな一冊の本】

 

 

 

 

       京都で、本さがし

 

 

 

                 高橋 英夫/著

 

  

     
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 まず、題名にぐっときっちゃった!

 

 だって、『京都で、本さがし』でしょ。音の響きがとってもよ
 て堪えられないし、ああ〜、妄想がどんどん広がっていく!

 

 ヤバし!

 

 ところが、さらさらっと読み始めて間もなく、甚だ僭越だけれど  
 「いい文章だなあ〜」とため息をついてしまった。

 

 流れるようなリズムの連なり。気品を感じることばのつながり。
 
そして話題の1つ1つに心が踊る。まさに“おとなのエッセー”
 
である。

 

 この本は心を落ち着けて取り組まなくちゃいけないなと改めて
 った。

   

 のるまんじいは、著者の高橋英夫さんを存知上げなかった。文
 評論家で以前、近畿大学の教授を務めておられた方だそうで
ある。
 教授当時のエピソードが本書に綴られていてとても楽し
んだ。

 

 代表的著作には亀井勝一郎賞作品の『批評の精神』、『疾走す
 モーツァルト』などがおありだとか。

 

 こうくると、「ワォ!」とばかりに後ろに引いてしまいそうに
 る(笑)。それをグイっと引きとどめてなくてはならない。

 

 それから。1930(昭和5)年のお生まれだと知って、「ああ、
 ういう文章をなすには、これだけの歴史が必要なのかなあ」
とさ
 らに嘆息するのみだった。

 

 とまあ、いささか長い前置きになったが、そこはご容赦をいた
 きたい。

   

 少しばかり、中をご紹介させていただこう。

 

 まず、『京都で本さがし』である。

   

 京都でしょ。それだけで独特な文化的な匂いがするじゃない。
 本さがし”とて京大を始めとして同志社大あり、立命館大あ
り、
 ほかにも多彩な大学が割拠する京都ゆえ、本屋もまた暖簾
を競い
 合っているだろうから「どれ、ひとつのぞいてみようか
」といっ
 た気分にもなってくる。

   

 筆者はこう語り始める。

 

 ありふれているが京都は好きである。この15年ほどの間に20
 上行っただろう。

 

 その筆者が家族で京都を旅した時も、家族3人を知恩院境内に
 たせておいて、京大前の古本屋を見て歩いたのだという。

   

 本屋巡りがお好きな方は同じような経験をなさっておいでにな
 だろうが、のるまんじいなんぞ一端店に足を踏み入れると時
計の
 針の進みなど頭の中から木っ端微塵に消え失せてしまうの
だった。
 連れがいたりすると顰蹙を買うのが常である。

 

 この時は、吉岡書店でドイツ文芸学の大家シュタイガーの『詩
 の根本概念』を求められた由である。ここがのるまんじいと
は大
 きな違いになるのだが。

 

 それはともかく、旅の空の下の本屋歩きは楽しいものである。

 

 次に『天竺幻視』に注目したい。(なぜ、天竺なのかは本書を
 読みいただきたい)

 

 1998(平成10)年に東京国立博物館で開催された「院展創立
 年展」において下村観山作の『弱法師(よろぼし)』に高橋
さん
 は初めて出逢ったのだそうだ。

 

 『弱法師』といえば、能の演目のそれが頭に浮かぶ。

 

 能の大成者、世阿弥の息の観世元雅の作品と言われる。

 

 人の中傷を鵜呑みにした父・通俊から家を追い出された俊徳丸は、
 悲しみのあまり盲(めしい)になってしまう。そして、乞
食坊主
 として暮らさざるを得ない身の上となった。盲目のよろ
よろとし
 た姿を見て、人びとから「弱法師」と呼ばれる。

 

 陰暦の如月彼岸の中日、真西に沈む夕日を拝もうと、俊徳丸は
 阪の四天王寺に出向く。当時、四天王寺の西門が極楽浄土の
東門
 と向きあっていると信じられ、落日を拝む“日想観(じっ
そうか 
 ん)”をすることによってことで極楽浄土に行けると信
じられて
 いたのだ。

 

 六曲一双の屏風仕立てで、俊徳丸が満開の白梅の古木の傍に佇
 して、落暉を想っている情景を観山が描き、現在重要文化材
に指
 定されている作品だと解説が続く。

 

 この作品と出会ったとき、「また俊徳丸に出逢った」と思った
 筆者は書く。

 

 近畿大学の文芸学部は東大阪市の地にあり生駒山脈を目前にし
 いる。この近くには俊徳町という町名も、また俊徳道という名の
 
近鉄の駅もある。さらに筆者は大阪出身の折口信夫(しのぶ)
 著作の『身毒丸』を授業で取り上げたことがあった。

 

 この『身毒丸』は説教節の「信徳丸」に拠ったものだそうで、
 大の文芸部長だった後藤明生さんはご自身の著書の『しんと
く問
 答』で「折口信夫という学者は相当に毒気が強く、『身毒
丸』は
 いかにも毒の利いたパロディだと思った」と書いている
ので、折
 口を読みながら、後藤さんのものにふれたり、考えら
れる限りの
 脱線を授業の中でやったりしたそうだ。

 

 超文系人間にとっては、なんとも羨ましい授業だとつくづく思
 た。もぐりこみたかったなあ。

 

 そんな俊徳づくしの日々の中で、観山の「弱法師」に出逢った
 だった。なんとも味わいのある話ではないだろうか。

 

 『司馬遼太郎の葉書』

 

 読売文学賞を一緒に受賞したときに出会ったのが縁で、著作を
 馬さんに寄贈したところ、その度に著作の内容に触れた感想
を記
 した葉書を貰ったそうだ。僅か2、3行で相手の気持ちを
射抜く
 人間通だったという気がしたと書かれてある。

 

 そんな司馬さんが亡くなってすぐ、東大阪のいつも泊っていた
 ンションからお宅まで歩いて行ってみたことがあり、外から
弔意
 を捧げた。戻りの道で、司馬さんは著者の求めていた大阪
人だっ
 たのだという思いがしみじみ胸にこみあげてきたという。

 

 こんな話を読むのも味わい深いなあ。大阪ゆかりの人物として
 述の折口信夫のほかに、梶井基次郎、谷崎潤一郎を取り上げ
てい
 る。

 

 のるまんじいは、梶井さんを『檸檬』からか、京都の人と勝手
 思い込んでいたが、大阪市西区の靱(うつぼ)公園の近くの
生ま
 れだそうである。この地を訪れた筆者は不気味な幻想を描
いた『
 桜の樹の下には』という短編を思い出したという。

 

 のるまんじいも読んでみたいと思った。

 

 随筆を読む楽しみには、ひとそれぞれいろいろあるだろうが、
 の文章をそのまま味わうことのほかにそこから「未知」のも
のに
 出会い、それを「既知」のものにするきっかけをもらえる
ことも
 楽しみの1つのように思う。

 

 そんな思いを新たにさせてくれた“1冊”だった。

 

 いかにも渋いおとな向けの本だが、10代の若い方から筆者と
  年代、いやそれ以上の方々にまでお読みいただける1冊だと
思う。 
 ご一読をお薦めする。

 

 

 

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              京都で、本さがし

 

 

 

                 高橋 英夫/著

   

 

         

      

             1999年5月 初版 講談社刊

             

             

 

 

            講談社BOOK倶楽部のホームページは

 

        http://shop.kodansha.jp/bc/

 

 

 

 

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「楽老抄掘,佞錣佞鏘命誉検

  • 2012.10.06 Saturday
  • 07:36
JUGEMテーマ:オススメの本

 

 

   【こんな一冊の本】

 

 

 

 

   楽老抄掘,佞錣佞鏘命誉検                      

 

 

 


 

                          田辺 聖子/著    

    

 

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 「楽老抄」である。

     

 『楽老抄供,△瓩鵑椶僕捨』をご紹介させていただいたのが
 年ぐらい前のこと。

            

 今回の1冊は、いろいろな書籍、雑誌から求められておせいさ
 が書いたエッセーをまとめたもので、“文学”について書かれ

 ものが多く、前作とは随分と違った印象を受けるが、それは
それ。
 さらに奥深い内容となっている。

 

 さて。

 

 1979(昭和54)年というから、もうずっと前のことになるが、
 ご自身の少女時代をえがいたNHK銀河テレビ『欲しがりませ
 勝つまでは』が放送されたのは。その中でもあったように“
軍国
 少女”であったおせいさんは、終戦後、世の中がアメリカ
文化一
 辺倒になっていたなかで、王朝文学に傾倒していった。

 
 そして<記・紀恋い>へ、やがて“ますらおぶり”ではない“

 おやめぶり”の<萬葉恋い>と移っていった。 

 

 この本では、おせいさんの「源氏物語」――“男”を勉強する
 源氏物語』、ときめくGENJIの世界へ、『枕草子』――
魅惑
 の女・清少納言、――が比較して描かれていてとてもおもし
ろい。

 

 おもしろいといえば、川柳を取り上げておられることだろうか。

 

 大阪は現代川柳の盛んなところで、おせいさんが川柳作家・岸
 水府とその周辺作家を書いた『道頓堀の雨に別れて以来なり
』(
 中公文庫)がある、そうだ。

 

 『楽老抄 掘戮忘椶辰討い襪發里鬚いつか挙げてみると、

 

  

      役人の子はにぎにぎをよくおぼえ

 

 

 (みなさんもよくご存じの1句。今も変わってなかったりしてね。
 当時の役人も思わず苦笑い?)  

   

      

      菅笠で犬にも旅のいとまごひ

 

      これ小判たつた一晩居てくれろ

 

 (わかるわかる() 笑えるけど、その後でちょっとしんみり)

 

 現代川柳として、

 

      
     会社でのスカタン妻も子もしらず   (岩井三窓)

 

     法善寺芝居のような雪が降り     (織田作之助)

 

 

 “スカタン”とは、罵られること、そんな意味らしい。

 
法善寺といえば、森繁久弥と淡島千影の『夫婦善哉』が目に浮
 ぶが、これが浮かぶのはどうもかなりの“アダルト”だろう
けど
  (
)、原作者の織田作之助の川柳だとわかりひとりで納得し
てし
 まった。“包丁1本晒しに巻いて”の世界とは一味違う。

   

 
これだけで物語している。

 

 いいなあ、絵になっている。ふたりの屈託のない会話が聞こえ
 くるようだ。

 

 そして、また古川柳、

 

 

      泣きなきもよい方をとる形見わけ

 

 (思わずギャハハだね。でも中学受験の国語のテキストにも載
 ていた)

 

 そして<ひねくれ一茶>の世界である。

 

 

      やれ打つな蠅が手をすり足をする

 

 

 「打つなよ打つなよ、まあご覧よ、手を擦ったり足を擦ったり
 て、気持ちよさそうにしているじゃあねえか」という俳人の
金子
 兜太氏の解釈におせいさんは賛成している。なるほどなあ
とのる
 まんじいも思うのである。

 

   

      名月や江戸のやつらが何知って

 

 酸いも甘いも噛み分け、それこそ清濁あわせて飲み込んだ後の
 ての肚の奥底からの叫びのような句。

 

 

      亡き母や海見る度に見る度に

 

 3つの年に母と死別した一茶。その一茶の句。

 

 おせいさん、水原秋櫻子の俳句も取り上げて。秋桜子さんは「
 柿」から高浜虚子の主宰した「ホトトギス」で活躍した俳人
で、
 ここでは<軽み>を取り上げている。

 

   

      嵩(かさ)もなき菜の花和えや赤絵鉢

 

  (色彩的なだけでない1句。酒の友として突き出しか)

 

 

      鱧鮨(はもずし)をひらくやはしる山椒の香

 

  (これはまたいかにも関西の夏らしい1句)

 

 

      蕪まろく煮て透きとほるばかりなり

 

  (一転して冬の句。葛餡をかけた煮物椀の一品。ほっこりとし
  た
温かさが湯気とともに立ち上る景色。いいなあ)

 

 

      塩鮭の塩きびしきを好みけり

 

   

 塩鮭はおとなの味。ガキンチョだったのるまんじいはあんな“
 ょっぱい”鮭は好きではなかった。「食わされる身もなって
ほし
 い」と真剣に思った。歳暮になると決まって新巻鮭を届け
てくれ
 る方があった。それを思い出した。今からすれば、どれ
だけあり
 がたいことだったか。おやじよりも随分と年長の方だ
ったが、か
 なりの距離を自転車にまたがっておいでくださって
いた。それな
 のに、である。

 

 秋櫻子は晩年、病床で厳しい食事制限を受けて、かえって食べ
 のの句を作ったらしい。

 

 

 ふたたび、川柳、それも岸本水府の作。

 

 

      飲みにこぬぼんち賢うなりゃはった

 

   (ぼんちとは、ええとこの坊(ぼ)ンのこと)

 

 

      日本中空腹だったよく転(こ)けた

 

 

   (欲しがりません勝つまでは――みんな腹を空かせてた)

 

 

      大阪弁ほろぶ証拠は“いらっしゃい”

 

   (どっかの落語家さんのセリフでしたなあ)

 

 

      西出口というたがなイヤ聞いてない

 

   (漫才文化が花開く土壌であるなあ)

 

   

      もの思ひお七は白い手をかさね

   

 お七とは、八百屋お七、恋焦がれた相手の寺小姓に逢いたいば
 りに付け火をしてしまう娘である。おせいさんはこの川柳か
ら、
 文楽の「お七の小さい胸は、まあどれほどせつなく痛んで
いるこ
 とであろう」と記す。

   

 大阪は文楽の地でもある。

 

  
    首あらん限りのばして泣く太夫   (古下俊作)

 

 

    文楽の哀れは三の糸で攻め     (中村銀糸)

 

 

 住大夫(すみたゆう)さんの太く渋い声に清治さんの太棹の三
 線が近づき、離れとふたりの共演、もしかすると競演だった
かも
 しれない人間国宝同士が作り出す義太夫の世界を以前NH
Kで放
 送していたなあ。その住大夫のお加減が気にかかる。今
のところ
 舞台復帰は未定だという。

 

 ありゃりゃ、調子に乗っていたら際限もない。酒も飲んでいな
 のに少しばかり酔っただろうか。「ひとのふんどしで」なん
とや
 らと言われそうである。

 

 それにしてもこの本、1冊に“よき大阪”がつまっている。

 
こうやっておせいさんの本を読んでいくと、“大阪”は“京都”
 や“奈良”とはまた随分と味わいが違うなあとわかってくる。
 戎にとってはどうしても一括りにして「上方」とか「関西」
と言
 って片づけてしまいがちだが、いやはやどうしてどうし
て、とん
 でもない誤解であるなあ。

 

 なお本書の副題「ふわふわ玉人生」のエッセーはフィナーレ近
 に収められているので、お読みいただきたい。

 

 帯には、

 

 祝 文化勲章と書かれてある。まことにおめでたい。

 

 なお、

 

 一茶、漱石、折口信夫、井伏鱒二、太宰治。チェーホフやサガン
 ……。

 

 言霊の幸う国、ことばの豊饒なる国で幼き頃より親しみ愛した
 語や書物への言祝ぎ。

 

 

     もろもろの恩かがふりし一生(ひとよ)かな

 

 

 と書いてあった。

 

 お元気で、そしてますます健筆であることを祈念したい。

   

 このたびの表紙絵は小倉遊亀さんの鉢に入れたピンクの色鮮や

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「人生、70歳からが愉しい」

  • 2012.09.15 Saturday
  • 07:58
JUGEMテーマ:オススメの本

 

 

 

 【こんな一冊の本】

 

 


 

       人生、70歳からが愉しい

 

 

 

 

 

 

                  中村 嘉人/著

 

 

 

    
 ===============================================

 

   

   


 よくよく考えてみれば「敬老の日」が近づいたからだろうか、

 つも足を運ぶ図書室に注目本として、何冊か表紙をこちらに
向け
 て立ててあった。そんなことにとんと気づかぬ鈍感人間の
のるま
 んじいはおもしろい本が置いてあるなあぐらいに思って
手に取っ
 ていた。

 

 しかし、そうかと頷けば、ちょっとほかに話題の本があるかと
 になり調べてみたところ、おやおやあ、あった!『人生、7
0歳
 からが愉しい』なる本を見つけた。のるまんじい的に言え
ば、“
 大発見!”になるのだが。

 

 手許に届いた本書を早速一読して……。

 

 本書が誕生したきっかけはと言えば、まずこれだ。

 

 著者は70歳のとき、『定年後とこれからの時代』(共著)と
 う本を世に出した。それから10年経って傘寿を迎え、から
だは
 いよいよガタがきたが、この世は一向に嫌にならず、「8
0代も
 やってみたら面白い。まんざらでもないよ」と「日刊ゲ
ンダイ札
 幌版」編集長に口走ったら、「後期高齢者の快適生活
術というの
 を書いて」と間髪いれずに言われたのだそうな。

 

 本書の著者、中村さんは、本書の題名を『人生、70歳からが
 しい』ではなくて、『80歳からのエンジョイ』にしたかっ
たら
 しいと読んで、それもまたいいなあと思ったのだ。みなさ
んには、
 本書の内容から考えてどちらがよりふさわしいかは、
読んでいた
 だいてからご判断を願いたいと思う。

 

 とはいえ、“70歳”にしろ“80歳”にしろどちらも「すご
 なあ」と思わせてくれる。

 

 のるまんじいなんか、自分の老化が顕著に見えてきて、ささや
 ながら虚しき抵抗を始めているが、のるまんじのそれなんか
著者
 の中村さんからすれば、お笑いの種でしかないだろうと思
ってし
 まった。

 

 閑話休題。それで、新聞に載った原稿をまとめたのが本書とい
 ことになる。

 

 抱腹絶倒、といっても品よく、そして温かく、年を重ねた方だ
 らこそこんな味のある文章を紡ぎ出せるのだろうとひとりご
ちた。

 

 いつものように章立てをここに記そう。まずはご覧あれ。

 

 

     第1章  朝、目が覚めたら

 

     第2章  いと小さきもの達よ

 

     第3章  いくつになっても新しい人生がある

 

     第4章  正餐

 

     第5章  女探偵と私

 

     第6章  カレーの悦楽

 

     第7章  心はいつも旅の空

 

     第8章  生きているのが面白い

 

     第9章  今はあの頃よりずっと若い

 

 と、こんな具合だが、残念だけれどこれでは具体的に想像でき
 いよなあ。ということでこれまた例によってのるまんじいが
特に
 面白かったところをちょこっとつまみ食いでご紹介させて
いただ
 くことにしちゃおうと思う。

 

 まずは、「朝、目が覚めたら」から。

 

 みなさんは、朝、目が覚めたら、初めに何をなさるだろうか。
 きなり元気に起き上がるのはよろしくないらしいから、ゆっ
くり
 と布団から離れよう。結構みなさんそんなこと実践してお
いでで
 ない?

 

 のるまんじいは“ド近眼”だから、まず寝床の中から手をモソ
 ソ伸ばしてメガネをかける。メガネがないと1日が始まらな
いの
 である。

 

 筆者はと言えば。

 

 ゆっくりとベッドを出でて、まずはコップ1杯の水を少しずつ
 んで、眠っていた胃を刺激するのだそうだ。

 

 何故ならば、気持ちのいい大便からスタートするのが気持ちよ
 1日を過ごすコツらしい。

 

 思わず“ブヘッ”と吹かれただろうか。でも、でもだ。思い起
 せばいつの頃からか、若いときのようにスルスルっと行かな
くな
 って苦労しておいでの方が存外多いのじゃないかなあ。誰
も自分
 はお腹の中に“ウンコ”をたんまり貯め込んでいて大変
だなんて
 顔に書いてないから、他人のことはわからないけど、
この朝1番
 の行事がすんなりと終われば、確かに気持ちも軽く
なって朝食も
 さぞや美味だろう。

 

 大体、あんなもん貯めといたって、毒ばかりを排出して、いい
 となんかこれっぽちもないそうだから、それこそ……だ。水
を飲
 んだ筆者は座椅子にもたれて“便り”を待って、それでや
おら紀
 州の殿様よろしく、トイレへお国入りだそうだ。(ここ
のところ、
 若い方はわかるだろうか)

 

 いきなり「排泄の悦楽」、これである。

 

 ところで。

 

 本書の挿絵が何とも言えぬ“味わい”があるんだなあ。“哀愁
 が漂い、はたまた“哲学的”で、とぼけていて、くすりと笑
えて。
 先程のところでは、羊飼いの老人が果てしなく広い草原
で、独り
 羊の背に乗り、うつらうつら寝ぼけながら釣りを楽し
んでいる図
 が描かれている。しかも三日月が。

 

 この絵を担当されたのは、札幌在住で「キッチン&バー浪漫風
 のマスターをなさっている佐藤勇基さんなのだそうだ。

 

 そうそう読み進めていくとわかるのだが、筆者の中村さんも札
 市民でらして、もっといえば、「亜璃西(アリス)社」も札
幌か
 ら全国に向けて発信し続ける出版社の1つである。

 

 さて。

 

 自分の老化を情けないと思う気持ちより、面白いと思う気持ち
 方が遥かに勝ったと筆者はいう。

 

 あるとき。

 

 利き腕の右手を患ったのだそうだ。指が麻痺し、力を全く失った、
 と。歯は磨けない。シャツのボタンがかけられない。ドア
ノブも
 回せない。箸もペンも持てない。よく見れば、まさに骸
骨の手だ
 と。「ギオン管症候群」と診断された。暗に治らない
と医師から
 宣告された。筆者はこれに敢然と立ち向かった。人
手を借りない
 で生きるために工夫した。

 

 幸いなるかな、ちょっと目先を変えたおかげで、これを完治さ
 てくれる人が現れた。すさまじい戦いの果てに、だったが。
これ
 についての一部始終は本書を読まれたい。

 

 また。

 

 “老いの価値”について。

 

 日なたぼっこの楽しさを知った!

 

 時間の観念が変わった。今や筆者の体内時計までが「不定時法
 になっている、と。可笑しくて仕方がない。

 

 また、また。

 

 「カレー遍歴」の中で、蕎麦談義。口卑しきのるまんじいはこ
 までも、食べ物についての記事を読みながら、妄想の世界を
さ迷
 っていた。もちろんここでもだが。

 

 筆者は酒が飲みたくなるとそば屋のノレンをくぐるという。蕎
 と酒の切っても切れない関係については今までもよく目にし
てき
 た。下戸には逆立ちしたって何をしたって経験できない境
地であ
 る。

 
そば味噌か焼き海苔をあてに、ゆっくりと杯を傾ける黄昏どき
 一刻は値千金だと書く。

 

 筆者にたね物(たねに傍点あり)で飲むコツを伝授したのが、
 制高校の恩師、野崎孝さんだったそうだ。ここで鈍いアンテ
ナが
 ちょいと待てよと告げてきた。野崎さんって?……と考え
ていた
 ら、サリンジャー作の『ライ麦畑でつかまえて』を訳し
たあの方
 だった。そうかあ、そうなのかあと。

 

 でも。そんな野崎先生伝来のそのコツも、先生にまつわる思い
 もここでは控えておこう。

 

 「心はいつも旅の空」を読んで。生意気だけれど、「うまいな
 」のただ一言に尽きる。こんな文章が書きたいものだ。

 
ささやかだが時間に縛られない気ままな旅の楽しさを江戸時代
 期の歌人橘曙覧(たちばなのあけみ)のこんな和歌を使って
書き
 始める。

 

    たのしみは あさおきいでて 昨日まで

 

           無かりし花の 咲ける見る時

 

 

 

    たのしみは 昼寝せしまに 庭ぬらし

 

           ふりたる雨の さめてしる時

 
そして、琵琶湖西岸を走るJR湖西線の旅は、読んでいてこれ
 た楽しい。平均年齢77歳のレディ3人との大阪駅発の日帰
り旅
 である。面白くない訳がない。これも直接お読みいただき
たい。

 

 「生きているのが面白い」では、歌舞伎のおもしろさをこれま
 軽妙洒脱な筆運びで話される。

 

 「月も朧に白魚の……」の名ゼリフで名高い河竹黙阿弥作の『
 人吉三』とこれが描かれた黒船来航の時代を眺めまわし、未
曾有
 の転換期の混乱の中、おそろしくしたたかで、日々の楽し
みをよ
 すがに生き抜いた江戸の庶民たちを描き出す。

   

 三人吉三や白浪五人男は江戸に開いた悪の華、だとも。

 

 そんなことで。

 

 年を取ったからと歎くことなかれ。確かに自分の周りをよく見
 みれば、元気な人生の先輩たちが多くおられる。80歳を越
えて、
 デイパックを背負って、帽子をかぶり背筋をしゃんと伸
ばし颯爽
 と歩くご婦人とよく行きあうが、あんな年の取り方を
羨ましく思
 う。

 

 心身ともに健康であれば、思うように外へふらふら出かけて行
 る。たとえ、そうでなくても……。そんな風に思えるように
なっ
 た。

 

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「空の絵本」

  • 2012.09.08 Saturday
  • 07:40
JUGEMテーマ:オススメの本


 

  

  【こんな一冊の本】

 

 

 

 

 

        空の絵本

        

 

        

 

 

                 あまん きみこ/文

                 松成 真理子/絵  

 

 

 

 ===============================================

 

   

 
 
青い空、白い雲。一面の菜の花畑。そして今を盛りと咲く桜の花。
 その樹々の幹も枝もさくら色に染まる中、野原で
話しているのは、
 おかあさんと小さな娘さんだろうか。

 

 厳しい残暑のころなのに、いささか季節外れのようだが、それ
 も松成真理子さんの描くこの表紙絵はふうわりと暖かく手に
取る
 ものをあの季節へと誘ってくれる。

 

 突然だが。

 

 『車のいろは空のいろ』という物語を覚えておいでだろうか?

 

 タクシー運転手の松井さんが乗せたお客さんは読み手にとって
 れも楽しかった。時にそれがくまの紳士だったり、きつねの
兄弟
 だったり、男の子の帽子から逃げ出したモンシロチョウが
姿を変
 えた人間の女の子だったりした。

 

 これだけで、「ああ、知っている。知ってる」と頷く方は多い
 ろう。その昔に教科書で習ったことがある方もおいでだろう。

 

 この松井さんが登場する物語を紡いだのが、本書の著者、あま
 きみこさんだ。

 

 のるまんじいにとって大好きな作品がいくつもあって、ここに
 つか登場してもらおうと思っている。だから、その題名を今
は明
 かさないでおきたい。

 

 ところで。

 

 本書が、あまんさんにとって、初めての随筆集だと書いてある
 あとがき”を読んで、少なからず驚いてしまった。

 

 帯にもあるが、“あとがき”の中にある次のことばには惹かれる。

 

 人生の細い道のなかばで、私は時々「歩かなければ道はできない」
 と小さな声で呟くことがありました。この言葉は誰にもら
ったの
 でしょうか。   

 

             (中略)

 

 少しずつ歩く日常で、私は有り難くあたたかい出会いを沢山も
 いました。その方達や、家族の笑顔――笑顔の記憶が、私の
芯を
 いつも支えてくれた――どうもそんな気がするのです。

 

 西の方にまっ赤に燃える空を背景にそうある。

 

 ああ、何と美しい文章だろう。

 

 もくじを見れば、洗ったばかりのような青空に――


 

     1 ある日 ある時

 

        

        花を摘む  

 

        天気予報

 

        自転車をおりる

 

        秋がくると

 

 

     2 思いだすままに

 

       

        あじみの手伝い

 

        原風景

 

        思いだすままに

 

        花びら笑い

 

 

     3 この道より 歩く道なし 

 

       

        1冊の絵本から

 

        幼ものがたり

 

        夢、あれこれ

 

        うつむきながら

 

        空の絵本

 

 と、印刷されている。

 

 読み始めれば、あまんさんの文章のどれもが美しく、そして温
 い。       

   

 幼い日の春の朝、濃紫のすみれを見つけ、摘むのに夢中になって、
 学校に遅れてしまったあの日。授業中の教室に入れず、休
み時間
 になって、先生に「さあ、早く入りなさい」と穏やかな
声をかけ
 られたという。それまで張りつめていたものが解かれ
て、あふれ
 出す感情。先生も生徒もやさしかったと、「花を摘
む」で書いて
 いる。 

 

 タンポポの指輪、白ツメ草の首飾りが印象的に描かれている。

 

 幼い日、目の前のことに夢中になってしまって、時間が経つの
 うっかり忘れてしまったなどという経験は誰にも、大なり小
なり
 あるのではないだろうか。

 

 ここで思い出すのが、1枚の絵だ。それは京都画壇を代表する
 家、土田麦僊の『罰』(京都国立近代美術館/蔵)という作
品だ。
 著者と同じく登校時に道草を食って遅刻して、教室に入
れてもら
 えない男の子2人と女の子。女の子は悲しさのあまり
顔を覆って
 泣いている。その足もとに先程摘んだ花が寂しげに
ある。

 

 この子どもたちの時代は、あまんさんよりずっと前になり、先
 の態度に明暗が分かれる。子どもが大きくなったとき、どち
らの
 対応がよかったのか、それは語るべくもない。子どもの時
間を考
 えてほしいなあ。

 
少し遠い地で乗ったタクシーの運転手さんから、「夕方から雨
 降る」と告げられて、思わず外を見上げれば晴れている。訳
を聞
 いたところ……。運転手さんが幼い頃、おじいさんが天気
予測を
 するために空を見上げていたのを隣で見ていたという。

 

 じいちゃんを尊敬し、ほんのちょっと得意げに語る運転手さん
 著者の心の通い方がいい。昨今では、あの狭い空間で会話を
する
 のが苦手という人も少なくない。どちらかといえば、のる
まんじ
 いだってそうだもの。だからといって、つんけんした雰
囲気を漂
 わせる運転手さんのタクシーに乗るのも嫌なものだ。
あと何分の
 我慢だからなんて。

 

 絶妙の客あしらいができる運転手さんだったんだろう、この時は。
 あの松井さんを著者は思い出していたかも知れない。

 

 運転手さんのあたたかい笑い声をきいているうち、空をみあげ
 いる老人と小さい男の子が、くっきりと影絵のように浮かび
まし
 た。

 

 麦わら帽子をかぶった人と幼子が手をつないで山に向かってい
 松成さんの水彩画がまたいい。

 

 「自転車をおりる」では。

 

 幼稚園の園服姿の女の子と若いおかあさんとのお話。「どんぐ
 ころころ」を歌いながら歩くふたり。いつもなら自転車で送
り迎
 えのはずなのにと訊ねると、自転車に乗れなくなって気づ
いたこ
 とがあった、と。

 

 それは。同じ方向を向いて歩き歩きの方がずっといろんな話が
 きると。その日は、アリが忙しそうに近くにあった穴と穴を
出た
 り入ったりするのを見ていたY子ちゃんが、「アリが避難
訓練し
 ている」とおかあさんを呼んだ。その日、幼稚園で避難
訓練があ
 ったばかりだという。

 

 これって、子どもが小さいときにだけ親が味わうことができる
 権ではないだろうか。どんなに手がつけられない悪戯坊主で
も、
 「起きている時は悪魔、寝ている時は天使」というように
天使の
 部分はあって
()、この天使たちは親が予期しない時に
ハッとさ
 せることを呟く。“名言集”を拵えておけばよかった
と後のち思
 わせてくれる。

 

 子育てはこんなにも大変かと現在進行形で“格闘”しているお
 あさんたちには、「そんな楽しい時はもう先にないよ」と言
いた
 いなあ。

 

 あまんさんはそんなことを思い出させてくれた。

 

 あまんさんのもとに届いた百科事典ぐらいの大きさの大変軽い
 包。

 

 差出人には北の町の小学校のクラス名があったそうだ。さて、
 だろうと蓋をあけると……。

 

 クラス全員の子どもたちで書いた手紙に返事を出して、それで。

 

 そこには担任の先生の手紙があった。

 

 「あまんさんが手紙に“そちらの木の葉はもう赤くなりましたか?
 どんなでしょうね”と書かれてあったので、子どもどうし
で話し
 合って落葉拾いしてきたというので、1枚1枚子どもた
ちが拾っ
 たと思うと、みんなお送りしたくなりました」とあっ
た。

 

 「まるで秋の林の中」

 

 気がつくと、美しい落葉に取り囲まれて座っていたという。

 

 子どもたちの心の優しさに胸をいっぱいにさせる筆者がいる。
 どもたちの弾んだ笑い声や話し声を落葉に囲まれながら聞く
筆者
 がいた。

 

 なんて素晴らしい話だと思う。筆者からの返事に喜び、そして
 気なく書いたのであろうその部分から、秋を思いっきり筆者
に味
 わってほしくなって落葉拾いの相談をする子どもたち。そ
して澄
 んだ青空の下、黄色や赤や朱色に彩られた林の中に分け
入って汗
 だくになって拾い集めた葉っぱたち。

 

 それを見せられた担任の先生も子どもたちに劣らず心優しいなあ。
 子どもたちの想いを瞬時に感じ取り、筆者に届けようとし
たのだ
 ろう。まさに「優しさの連鎖」がそこにあるように思う。

 

 まだまだ、書きたいとは思うが、のるまんじいはこの辺でやめ
 がよいように思う。

 

 これから、筆者は幼い頃のことを描きだす。おかあさんとのあ
 これを……。そして……。これにああだこうだは野暮だろう。

 

 のるまんじいは、こんな素敵な本を紡ぎ出してくださったあま
 さんにただただ感謝したい。

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「津軽だベッ! 大都会への逆襲」

  • 2012.08.01 Wednesday
  • 00:15
JUGEMテーマ:オススメの本

 

 

 

 

  【こんな一冊の本】

 

 

 

 

        津軽だべッ!

 


 

       〜大都会への逆襲〜   

 

 

 

 

                伊奈 かっぺい/著

 

 

 

  
 ===============================================

 

   

   

 

 「津軽だべッ!

 

 いさぎいいねえ、この題名!

 

 現代はなんでもかんでもおそろしいほどの一極集中の時代である。
 いやいや、もっともっと集中させようとする力がいまだに
働いて
 いる。

 

 “地方”はどこに行ったんだべか?

 

 “首都”“中央”といったことばから“憧れ”のようなものを
 つポジティブな意味合いを感じられるようにといつの間にか
慣ら
 される。しかもそういったことばの底には“優越感”が匂
わない
 か。

 

 その向こう側で“地方”には中央と反対のベクトルを読み取ろ
 とする、そんな意識が無意識のうちにある。

 

 ただし、そんなこと、おっとどこいである。

 

 テレビという媒体を通じて、“関西弁”がどんどん流され、そ
 以外の地域の視聴者にもちっとも違和感がなくなっている。
はた
 また、沖縄出身のタレントたちの活躍によって沖縄ことば
独特の
 アクセントをよく耳にする。ただし、これが本物の沖縄
のことば
 かどうかは定かではないが。

 

 しかしながら、日本人たちが営々と築き上げてきたその土地そ
 土地のことばが大切にされているかといえば、はっきり「そ
うだ
 」とはとても言い切れない。どんどん標準語に席巻されて、独特

 の“味わい”が薄れつつあるというそんな危機感を抱かざるを
 ないのはこの野暮なのるまんじいだけだろうか。

 

 そんな標準語に浸食される時代にあって、もう随分と昔から津
 を発信地として活躍している「伊奈かっぺい」という人がい
る。

 

 伊奈さんのことを初めて知ったのは、今から四半世紀以上も昔
 ことであった。伊奈さんの出身地の青森県弘前市にちょこっ
と用
 事があってお邪魔したときに、五所川原市に住む知人が車
の中で
 長い時間の移動に退屈だろうからとかけてくれたのが伊
奈さんの
 ライブのカセットテープ(うぅ〜っ、カセットの時代
だよ)だっ
 た。

 

 始まったと思ったらさ、その車の中はもう津軽の吹雪がビュン
 ュン吹きまくっていた。津軽弁のことばのあらし。抱腹絶倒
とは
 このことか。「この前、こんなに腹の底から笑ったなんて
いつだ
 っただろう」そう思った。

 

 「わかる〜?」って笑いながらその友人も楽しんでいた。

 

 それがきっかけで、伊奈さんのトークにすっかりはまって以来
 何本もテープを買い求めて聞きまくった。その度に爆笑の渦、

 き飽きるということはなかった。

 

 そして叶わなかったが、13日の金曜日の度に青森市の「だび
 ん劇場」で催されるという伊奈さんのトークショーに“いつ
か”
 足を運びたいと思ったのだった。なにしろ平日で、しかも
青森だ
 もんね。そうやたらには行けないのだ。

 

 と思ってホームページを開けたら、な、なんと今でも青森市にあ
 る、ねぶたの家『ワ・ラッセ』で「13日の金曜日」開催とある
 
ではないか!これ、行きたいなあ!

  

 そんなトークの模様をテープに起こしたものを中心にまとめた
 がこの「津軽だべッ
! 〜大都会への逆襲〜 」である。

 

 読み始めたら、これまたすぐに津軽の風が吹き始めた()。「
 雪」でないのは、「音」にある、伊奈さん独特の語り口の世
界が
 惜しいかな出切っていないからである。しかし、奈何とも
仕方な
 いことだろう。それにトークを聞かれたことがなければ
、そんな
 勝手な不満を感じないだろう。

 

 伊奈さんご本人は、サブタイトルの“大都会への逆襲”なんて
 んでもないと書いている。それより、本人、大都会にカネを
持っ
 て遊びにいきたいあこがれこそあれ、逆襲なんて一度も思
ったこ
 とがないのだ、と。

 

 息子さんに「不思議」という名前をつけた人。長女:麻亜 ()
 二女:香奈(かな)、次男:真咲(まさか
)クンだもの。
だから
 「??」なのである。本気かな?って。

 

 そして、こうもあとがきに書いている。

 

 津軽訛(なま)りが多いテープを聞いて活字におこすのは大変
 作業だったと思います。生の原稿を見せていただきましたが
、あ
 ちこちに“聞き取り不能”とありました。   

 

 “聞き取り不能”だろうが、“表現不能”だろうが、そんなの
 ソくらえである
()

   

 随分とまあ前置きが長くなってしまったが、これくらい書かな
 とこの本を十二分に楽しんでいただけないだろうと思ったか
らだ。

 

 さて。内容である。

 

 

  ――あなたと私は固く結ばれている――

 

 津軽の人というのは、無駄なことは言わない。しかも津軽弁の
 徴は、口を大きくあけないことである。(ホホー)
大きな口をあ
 けてしゃべったりすると、口の中に雪が積もって
しまう。下手を
 すると、奥歯がしもやけになったりする。だか
ら……。

 

 第一人称は普通、ワタクシ、ワタシ、ワシ…。それが、津軽弁
 ら「ワ」。第二人称は、アナタ、キサマ、ナンジ、でも津軽
でな
 ら、「ナ」。(少ない音数で表現するんだね)

 

 あなたと私が固く結ばれている状態を「ナワ」というわけである。
 「ナワ」と「ワナ」、意味深が深い(深いに脇点あり)―
―こと
 ばなのである。

 

 

  ――日本人のなりたち――

 

 大昔のことである。日本人は九州の南のはじっこにいたそうな
 それが、人口が増えると住むところが狭くなる。そこで土地
をめ
 ぐってケンカになる。勝った者がそこに残り、負けた者は
逃げる。
 これを繰り返してどんどん北の方へ逃げる。なんで、
北へ逃げる
 のか?

 

 負けた人は北へ逃げる――つまり“敗北”ということ。そうい
 人がみんな、青森に集まってしまったのだった
()

      

 それでも負けたらどうなるか。北へ逃げても、海しかない。

  
 「あ、マイネ
!(前無)」

 

 あ、「マイネ」って津軽弁で「ダメ」っていう意味なの。チャン、
 チャン
!

 

 いやもう、伊奈流の笑いのつぼがいっぱいつまっている。近ご
 すっかり忘れてしまったエスプリのある笑いが。

 

 こんなのはいかが?

 

 

  ――地方発送うけたまわります――

 

 青森は本州の最北端だから相当な地方だと思っていたら、そう
 もないことがわかった。

 

 青森駅前のリンゴ市場がズ――ッと並んでて、1軒ずつ必ず看
 があった。“地方発送うけたまわります”と。ためしに聞い
てみ
 た。

 

 「バアサマ、この地方発送って書いてるけんども、どこさ送る
 が多いかな?」

 「うん、ほとんど東京だァ!

 

 チャンチャン!

 

 こんなのはどう?

 

 『かっぺいサンの殺し文句は?』

   
 『…殺すぞ
!!

 

 チーズ・バター これは乳製品  ブラジャーも…かな?

 

 そりゃそんだ 俺(オラ)だって立派な社会人

 
 きょうも仕事の鬼……ゴッコ

 

 そして、のるまんじいが大好きな『まどりのみどぐち』の話。
 あ、よじれる
!!これはもうお読みいただくしかない。

 

 こんな時代だもの、地方を大事にしようよ!地方の文化、風俗、
 習慣を大切にしようよ!

 

 ことばを大切に次代につなげて行こうよ。そう願うものである。
 お国ことばはそれぞれのアイデンティティだもの。

 

 そういえば、きょう8月1日から弘前ねぷたが始まる。青森のね
 ぶたほど多くの方に知られてはいないというが、それは
津軽の人
 びとの大層自慢で、期間中どっぷりと“ねぷた”に
はまっている
 ことだろう。

 
青森のそれとは、随分と趣が違うと聞いたことがある。“動”
 青森ねぶたに対して、“静”の弘前ねぷただと聞いたように
思う。
 その違いは、実際に祭りにふれて実感したいものだ。

 
いや、そればかりか五所川原には五所川原立佞武多があるのだと
 いう。津軽にもご無沙汰しっぱなしである。訪ねてみた
いものだ。

 

 一般向け。腹の底から思いっきり笑いたい方にお薦めさせていた
 だきたい。中高生のみなさんもこういう本を読んでほし
い。   

 

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「どくとるマンボウ青春記」

  • 2012.07.18 Wednesday
  • 07:07
JUGEMテーマ:オススメの本

 

 

 

  【こんな一冊の本】

 

 

 

 

        どくとるマンボウ青春記

        

 

        

 

                 北 杜夫/著

 

 

 

 
 
================================================

 

   

 

 北杜夫という作家をご存じだろうか。

 

 1年ぐらい前、どこかのサイトで「北杜夫という作家ももはや
 去の人といえるだろうか」と書いてあるのを見て、思わず「
そ、
 そんな馬鹿な……」と唸ってしまったことがあった。

 

 そういった話題にむくむくと抑えきれない感情が湧きだした。

 

 それで。   

 

 北さんは、アララギ派の大歌人で精神科医の斎藤茂吉を父に、
 山脳病院の娘照子を母に、
1927(昭和2)年斎藤家の次男とし
てこ  
 の世に生を享けた。兄は同じく精神科医で、エッセイスト
であっ
 た斎藤茂太であった。この家族については自伝的長編小
説『楡家
 の人びと』の中でモデルとして詳しく描かれている。

 

 旧制麻布中から、「日本アルプスに登りたいから」という理由
 旧制松本高校へ入学した。この松高時代と後の東北大学医学
部の
 頃のことを40歳に手が届こうとする時に回想の形で著し
たのが、
 本書『どくとるマンボウ青春記』である。

 

 ちょっとばかり、話は飛ぶが、ちょうどのるまんじいが中学生
 頃のことである。「小悪魔」どもは、「生きた化石」の如き
もの
 のように揶揄するが、のるまんじいにだってどっこい中学
生時代
 はあったのである
()

 

 「アポロ11号の月面着陸」や「大阪万博」で日本中がにぎわっ
 いた頃のことである。

 

 その頃、起こっていたのが「北杜夫」「遠藤周作」ブームであ
 た。当時は、愛読者たちが「遠藤周作・狐狸庵」
VS「北杜夫

 どくとるマンボウ」という図式で盛り上がっていた。今思い
返せ
 ば、出版社の思惑に乗せられただけだったのかもしれない
が、ま
 あそういったのんびりした時代であった。

 

 なお、遠藤周作ファンも『沈黙』や『海と毒薬』のような純文
 派と軽妙なエッセイを楽しむ「狐狸庵」派があったようだし、片
 
や北杜夫ファンの方でも『夜と霧の隅で』や『幽霊』に魅かれる
 派と爆笑の世界を楽しむ「どくとるマンボウ」派が存在し
ていた
 ように思う。

 

 のるまんじいとその周辺では、新刊が出版される度に先を争う
 うにして読み、「ああだこうだ」とみんなで感想を言い合う
とい
 った、「北杜夫」だったらどちらでもという「いい加減派
」だっ
 た。ゴキブリを主人公にした『高みの見物』もヒマラヤ・カ
ラコ
 ルム、ディラン峰登頂を描いた『白きたおやかな峰」も好
きだっ
 た。『楡家の人びと』を読んだのもこの時代だった。

 

 溺れるように読んでいたからだろうか、高校の時に、現代国語
 担当した教師から「文章の雰囲気が北杜夫に似ている」と言
われ
 思わずニマっとしたことを今でも思い出す。

 

 そんな北杜夫だったが、いつごろからだったか無意識のうちに
 ざかっていた。それが、ここ
10年ぐらい間に『幽霊』や『ど
くと
 るマンボウ昆虫記』の断片を読む機会があって、それがと
ても新
 鮮に映ったのだった。それでも、「今読み直してみよう
」とまで
 はならなかった。

 

 それが一昨年、新潮社が出版した『若き日の友情―辻邦生・北
 夫往復書簡』に出会って突如こころに変化が起こった。辻さ
んと
 北さんは松高時代の同級生で、若い時代に数多くの書簡を
やりと
 りしていたというのだ。「これは、読まねば」と当然のよ
うに思
 い、図書館から借り出した。

 

 口絵にある多くの「はがき」や「便箋」を見ただけで、感嘆の
 を上げたのは言うまでもないが、読み始めてすぐに「壁」に
ぶつ
 かってしまったのだ。書簡だから、相手が内容を理解すれ
ばそれ
 でいい訳で、そこに当時の背景は何ら説明されていない。
よく分
 からないというもどかしさに「宝の山」を前にしてお預
けをくっ
 た形であった。それでも、北さんが「どくとるマンボ
ウ」として
 水産庁調査船でヨーロッパに辿り着きベルギーのア
ントワープで、
 彼の地に留学していた辻さんと再会を果たすま
でのやりとりまで
 は、苦闘の末、読み終えたのだった。

 

 ああ、懐かしのアントワープ!『どくとるマンボウ航海記』で
 めて知ったのだった。どれだけ訪ねたいと思ったことか。

 

 「このままでは読み込めない」と思った。そこで、松高時代だ
 たら『どくとるマンボウ青春記』を読んで「復習」してから、

 度読み直すのが一番よい方法だろうと思いついたのである。

 
それと先に書いたような「抗いのこころ」に押されてここに本
 の紹介文を書きたいと思い立った。

 

 読み始めたまず感想というと「あれ?こういう本だったっけ?」

 だった。ちょっとばかり肩すかしを食った思いだった。余りに
 歳月は流れ過ぎた。ちっとも覚えていない。これは「初めての本
 」として当たらねば
と思い直したのであった。

 

 「青春記」ということばから、草の芽もふかぬ寒々とした河原
 光景を連想するとある。その土手を、黒いマントをはおり朴
歯を
 はいた痩せ細った1人の高校生が歩いてゆく。貧乏神にも
う1人
 貧乏神がとっついて、乾からびて、骨ばって、何日もも
のを食べ
 ておらず、栄養不良と厭世病と肺病にとっつかれてい
るような風
 貌である。それこそ「カントよりも哲学的な」と芥
川龍之介が言
 った旧制高校生の姿であった、と。

 

 その高校生は一種次元の高き存在として映った。おそらく彼は
 学なんていうものを読み、「治安の夢にふけりたる 栄華の
巷低
 く見て」深遠な瞑想にふけり、幽鬼のごとく冬の野をさ迷
ってい
 るにちがいない。

 

 そのときの私の心には、まったく未知のものに対する混乱と不
 解と、そして漠とした畏れおかすかな憧憬の念が浮かんだ。

 

 中学生時代には、学徒動員に明けくれ日々「生命の危険」と向
 合いながら生きていた。空襲警報のときだけが、私たちの息
抜き
 だった、と著者は書く。

 

 そんな中学生が合格した先の高等学校はどのようなものであっ
 か。それは、中学の時に思い抱いていたそれとは「天と地」
ぐら
 いの差があったやも知れない。しかしそこには「自由」と
「自治
 」の気風がみなぎっていた。特に著者がいた西寮はその
最たるも
 のかもしれない。

 

 食べるものにも困窮する中、そこで青春を謳歌するのである。
 れは他人から見れば、“無駄”なもののように映るかもしれ
ない
 がそれに没頭するのだ。今では修学旅行あたりで登場する
“布団
 蒸し”などが顔を出してくるが、それもかなり危険だった
ようだ 
 ヤバしである(笑)しかし、本を貪るように読んでいる。

 

 そうした中で、辻邦生さんに出会う。ドイツ語教授の望月市恵
 に、氏を介してトーマス・マンの作品群と出会うことになる。

 れも望月先生への暴行事件がきっかけで親しくなったとある。

 魔の山』や『マルテの手記』の訳者だった望月氏に対して研
究者
 として、また教育者とのあらゆる面に強く尊敬の念を抱き、
卒業
 後も交流は続いた。このことは本書に詳しく書かれている。

 

 こんなことを望月氏は西寮にいた北さんの友人にこう語ったそ
 だ。

 

 「斎藤君は、滅多に授業に出ないくせにこんな答案を書くのだ
 ら、普通に出ていたら一体どのくらいできるのでしょうね」

 

 北さんは、これをモチさんの老獪な術策だというが、こんなこ
 を言ってくれる教師に出会えることがどれだけ幸いだったこ
とか。

 

 「どくとるマンボウ」ファンののるまんじいたちは、当然の流
 のようにトーマス・マンにも憧れを抱くようになっていった。

 

 卓球部のキャプテンとして、インターハイに出場したことも書
 れているが、これはもう意外な一面に思えて楽しい。

 

 昆虫学を大学で専攻したいと熱望していた著者が、父茂吉に相
 するや否や一蹴される。これまで恐ろしいカミナリオヤジと
して
 しか存在しなかった父を優れた文学者として尊敬するよう
になっ
 たのも、松高時代があったからだそうだ。

 

 また別のある日。

 

 1時間以上も一所にうずくまったまま、頭をかかえるようにし
 苦吟していた姿。茂吉という歌人が全身をしぼるようにして
考え
 こんでいるさまは、私にやるせないような感銘を与えたと
著す。

 

 図書館でだったら、当時の中央公論社刊の単行本と出会えるか
 しれない。あの“カクっ、カクっとした”装丁に。今回使っ
た新
 潮文庫本であれば、俳人の俵万智さんの解説がついて、これ
がま
 たいい。

 

 その俵さんのあとがきから少し取り上げたい。

 

 滑稽にも見える若者たちの胎動を、がちがちの枠に押し込める
 ではなく、ゆるやかに牽制しつつ、どこかで苦笑いしながら
許し
 てゆく――そんな余裕が、いまの大人たちには、あまりに
も足り
 ないような気がする。

 

 もちろん、大人や社会のせいにだけしても、問題の解決にはな
 ない。結局は、主人公である若者たちが、きちんと滅茶苦茶
に時
 間を過ごさなくてはならないのだ。この「きちんと」と「
滅茶苦
 茶」との塩梅が、そのバランスが崩れていることが、大
きな問題
 なのだろう。

 

 

  万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校

 

 と、詠んだ1首を『サラダ記念日』に収めた俵さんのことばだ
 らこその重みがそこにある。

 

 さらに本書後半の日記に俵さんは注目している。これもここに
 くのは失礼であろうから、止めておこう。

 

 最後に。

 

 この記事を書いてから、半年もせずに北さんの訃報が流れた。

 あこがれ続けた北さんのご冥福を衷心よりお祈りしたい。

 

 中学生以上の方に1度は読んでほしいと思う。好奇心が強い中
 生、高校生ほど心を揺さぶられる筈だ。「北杜夫には縁がなく

 ねえ」という方や「青春時代」が遠く感じられるあなたにも
一読
 をお薦めしたい。

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「通になりたい」

  • 2012.06.09 Saturday
  • 00:14
JUGEMテーマ:オススメの本

 

 

 

 

  【こんな一冊の本】

 

 

 

 

       通になりたい

 

 

 

 

 

                 林家 こぶ平/著

 

 

 

    
 ================================================

 

   

   

   

 
  「通になりたい」

 
この題名にぐっときた。

 
「いっつも題名で選んでいそうだな」そんなお声が聞こえてきそ
 うだが
(苦笑)

 

 自分でも心のそこかしこで、「ああ、通になりてえ〜」と常日
 から思っていたに違いないのだ。それが、ひょろっと表に出
てき
 やがった。

 

 そんでもって、一呼吸おけばだ。

 

 当時のこぶ平さん(現林家正蔵師匠)も“通になりたい”って、
 
切実な思いを抱いていたんじゃないだろうかと思い当たったの
 った。何故、痛切だと感じるかはもう少し待たれたい。

 

 何しろ、「通」と「野暮」は紙一重。そう世の中は言い慣らす。

 

 「通になりたい」と思った刹那、そのこと自体が「野暮」にな
 果てる、そうのるまんじいも思ったのだ。

 

 そんなことは、こぶ平さん(その時その時で正蔵師匠という名
 使わせていただくので、そこのところご寛恕くだされたい)
だも
 の知らない訳があるものかと、だったらその辺りもひっく
るめて、
 読ませていただこうじゃないかとなった次第だ。

 

 本書の始め、「春夏秋冬」の“梅雨――雨は「河鹿」で決まり
 に早速こうあった。

 

 少しばかり長くなるが、引用させていただこう。

 

 世に通とは、ある物事に精通していることを意味する。しかし
 と野暮とは背中合わせ、ちょいと通ぶるとすぐ野暮天と名が
変わ
 る。また通には別の意味もある。

 

 人の機微に通じ、さばけていながらも思いやることができる、
 うだ。なるほど通人にこそ理想の男子像がある。

 

 ならば、通になりたい。粋と野暮との綱渡り、渡ってみせよう
 しげに、土手の柳は風まかせ、粋なオイラは口まかせだ。

 

 とまあ、こんな具合に語り始め、すぐあとに“通ぶり君”につ
 て言及している。

 

 それにしても、如何だろう。随分と文章の流れの生きがいい。

 

 寄席まで足を運ぶということが、なかなかできないものだから
 蔵師匠の落語を聞いたことが残念ながらないもので、落語で
の“
 切れ味”を知らない。いつもテレビ画面越しの様子からだ
ともっ
 さりとした口調や動作の印象を受ける。だから、改めて
本書を読
 んでいると、その違いに「アレっ?」と驚く。

 

 まことに小気味いい文章なのだ。おそらくこちらが本当の正蔵
 んの持ち味なのだろう。

 

 目次にはこんな風に記されている。

 

   春夏秋冬

 

 「梅雨」「昼寝」「ビール」「蚊」「銭湯」「一人酒盛り」「
 指圧」

 

   食通志願

 

 「カレー」「茄子」「おでん」「定食」「あしらい」「にんに
 」「ソフトクリーム」「お茶」「水割り」「酔っ払い」

 

   芸人は苫が命

 

 「爪切り」「髭」「パンツ」「財布」「ツッカケ」「手帖」「
 手洗い」

 

   江戸っ子

 

 「地下鉄」「映画館」「喫茶店」「パーティ」「趣味」「待ち
 わせ」「鼻歌」「ケチ」「お国言葉」「江戸っ子」「通」

 

   通を学ぶ

 

 所ジョージさんに「男の遊び」について教えてもらう

 

 古今亭志ん朝師匠に「通人」について教えてもらう

 

 雑誌『ターザン』に連載され、それをまとめた本書が出版され
 のが丁度
13年前ということになる。今よりもずっと若い正蔵
師匠
 が書いたと考えると、ちょっとばかり渋さを感じる。

 

 そんな渋さを感じさせてくれ、なお且つ「いいねえ〜」という
 をいくつか、ここでご紹介させていただくことにしよう。

 

  「昼寝」

 

 朝いちばんの新幹線で大阪から戻ったときのこと。近所に一歩
 を踏み入れた瞬間に、それまでみなぎっていた気力がハラホ
ロヒ
 レハレと萎んだという。乾いたすかしっ屁ごとく。

 

 (それにしても、懐かしいことばだなあ、「ハラホロヒレハレ
 なんて。頭のなかにある小抽斗からすぽっと飛び出てきた。
まし
 てや「乾いたすかしっ屁」とは)

 

 平日の昼下がりの街の景色というのは、間抜けだ。その間抜け
 は、野暮でもなく、粋でもなく、うすら寝ぼけたものだ、と
語る。

 

 こんな間抜けさに似合うのが昼寝だと。

 

 気の利いた昼寝の巣には、不思議と共通したところがあって、
 れは穏やかに吹くそよ風だともいう。

 

 そういえば、大通りであっても、緑陰のあるところ、運転席の
 を思いっきり開けて心地よさそうなまどろみに入っているタ
クシ
 ーや小型トラックの運転士さんたちがいる。そのまどろみ
は決し
 て犯してはならない雰囲気が漂っていた。

 

 神社のちょっとした日溜まり、猫が丸くなっている縁側、家人
 出かけて誰もいない居間、昼寝の巣はいたるところにあるも
のだ。
 なるほどなあ。

 

 このあと、野暮天の昼寝が語られているが、それは語らぬがい
 だろう。

 

 そうだなあ。昼寝を心地よく思うようになったのは、随分とお
 なになってからだろう。  

 

 子ども時分の夏休みなんか、昼におなかがくちくなっても、ち
 っと横になってというそんな親の期待虚しく、家の中をうろ
うろ
 していたから、さぞかしうざったかっただろうと今ごろに
なって
 思う。

 

 あのころは、ちっとも眠くなんかなかったもんな。

 

 愚息たちは小さかったころ保育園通いだったから、常にお布団
 参で出かけていた。それこそ眠くなくても、「はい、目をつ
むっ
 て。静かにしようね」という具合だったそうだ。

 

 そんな子どもたちもやがては、昼寝の醍醐味を知ることになる
 ろう。

 

 いけねえ、いけねえ次に移ろう。

 

  「ツッカケ」

 

 忘れていることばの1つだった。

 

 「ツッカケ」「つっかける」どちらも懐かしい響きがある。

 

 ちょっとそこまでもソコまでの距離にぴったりの連中。

 

 それは。

 

 ちょいと郵便受けに新聞や手紙を取りに行く時に使う健康サン
 ル。庭の水やりや打ち水する時に履く、正目が通っていない
まが
 いものの下駄。いつからそこにあるのかわからないプーマ
のニセ
 モノ。カカトが潰れたジョギングシューズ。

 

 これらを、師匠は、肩身狭そうに、それでいて「いつでもお役
 立ちまっさ」という忠義心だけはみなぎらせて並んでいる、
と記
 す。

 

 どこの家の玄関だって大同小異。数の多い少ないはあるだろうが、
 そんな顔を揃えているはずだ。 

 

 そのツッカケ、気取ったパーティにGパンにノーネクタイとい
 姿で出席した気恥かしさに似た、縮こまり感を醸し出してい
る、
 と。

 

 コンビニ、パチンコ屋、ママチャリ、赤提灯、公園のブランコ、
 ラーメン屋なんかが似合う。

 

 ツッカケとは、肩肘のはらない、もともと野暮なものだ。だか
 野暮に履てこそ粋がある、とまとめている。

 

 この2編だけでも正蔵師匠の隠れた魅力を感じることができる。

 だったら、ほかの文章もさぞかしと思っていただいて、間違い
 ない。

  

 「ケチ」

 

 こんなケチになりたいものだと思わせる「ケチ」が、ここでは
 かれている。間違えても「しみったれた」ケチにだけはなり
たく
 ないな。そんなことを思わせてくれた。

 

 兄貴のようでもあり時に親父のように接してくれるという所ジ
 ージさん、憧れの古今亭志ん朝師匠、それぞれとの対談も読
み逃
 すのは惜しい、と思う。

 

 古今亭志ん朝師匠の写真、いかにも落語家という粋な姿もご覧
 ただきたい。

 

 写真といえば、正蔵さんの高座の1枚が載っているが、これを
 て驚いた。父の初代三平師匠を彷彿とさせる。親子と言って
しま
 えば、それまでだがここまで似ておいでとは思わなかった。   

  

 師匠は最後にこう書く。

 

 通となるには、理想や経験、美学などの按配、頃合いってもの
 肝要だ。物事に通じなければ粋にはならず、粋がってばかり
では
 通じない。わきまえたり、抑えたり、ほどほどにしたり、
我慢し
 たり、そうした匙加減こそ人間の味となる。

 

 しかして、私の通への道のりはまだまだ遠いのでありました。

 

 ということは今でも、“その上の通”を目指しておられるのだ
 うか。

 
一般向け。手許にいつも置いといて、パラパラっと読むもよい。

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「幸田家のきもの」

  • 2012.03.03 Saturday
  • 00:07
JUGEMテーマ:オススメの本


 

 

 

  【こんな一冊の本】

 

 

 

 

        幸田家のきもの    

 

 

 

 

                 青木 奈緒/著

 

 

 

    
  ===============================================

 

   


 3月3日は雛の節句。

 

 本来は旧暦のころに祝う方が、桃の花も咲くように季節感もぴ
 たりで、よろしいと思うが、それはそれ。

 

 きょうは雛飾りを思い出しながら、本書を紹介したく思う。

 
春浅い日に撮った写真が1枚ある。

 

 当時まだ2歳だった著者と母とそしてその祖母の3人で写した
 ので、この組み合わせはあとにも先にもないと筆者は言う。

 

 母はエッセイストの青木玉さんで、祖母は作家の幸田文さんそ
 人である。その3人が曾祖父幸田露伴の手になる扁額の前で
撮っ
 た写真だという。

 

 それから35年以上の時を経て、ある出版社の写真室からひょ
 くり出てきたものだそうだ。

 

 奈緒さんがドイツ文学を専攻して、留学をしていたころ折にふ
 て絵葉書を祖母に送っていたのが、「あの子はその気になれ
ば書
 けるね」と便りを見ながら母にもらしたという。

 

 そんな祖母のあることの幸せ。母に厳しかった祖母のことは、
 さんが著した『小石川の家』に詳しく、未読の方にはそちら
もあ
 わせてお読みいただいたらいかがだろう。

 

 何年か前、男子御三家の武蔵中学校の入試問題にそんな親子の
 りとりが書かれた部分が出題された。

 

 それはさておき。

 

 祖母はきものを着る楽しさを教えてくれ、残されたきものは今
 もさまざまなことを伝えている。祖母の言葉もきものと同じ
だと
 もいう。書くことはひとりの作業と知っていた祖母が残し
ておい
 てくれた道しるべなのかもしれない。

 

 そんなふうに奈緒さんはまえがきに記し、この「幸田家のきもの」
 は始まっていく。

 

 母と一緒に色違いでこさえたきものを着たのは、もうすぐ13
 なる春のことだった。小学校を卒業したばかりで、名残惜し
さが
 そこにはあった。それを見越してか、祖母がお世話になっ
た先生
 方のところへ挨拶に行くよう勧めてくれたそうだ。

 

 そればかりか支度まで引きうけてくれた。希望をくんで紅色に
 ーモンピンクの染めの鹿の子を、母には紫に白のおそろいを
拵え
 てくれた。

 

 当日、さて着始める段になって起こった“事件”については、
 十三参り」の章を直接お読みいただく方がよいだろう。間違
いな
 くそれは、“事件”だったのだ。

 

 ここで、ああこんな習いがそういえばあったなあと思い出した
 とも書いておこう。

 

 いつものようにお勝手口ではなく、玄関から送り出された。そ
 にはもう出かけるばかりに、おろしたての草履がそろえて置
かれ
 ていた。

 

 いかがだろう。近ごろでは忘れ去られてしまった“玄関”の重
 がここには表れている。家人は普段は勝手口を使うのが約束で、
 “晴れの日”だからこその祖母の“心遣い”をここで感じていた
 だきたいと思う。そう思うとやはりのるまんじいという
男は古く
 さいヤツかもしれない。

 

 さて、向かった先の小学校では先生がにこにこ迎えてくださっ
 という。そして本断ちのきものの著者を前にこう言ったとい
う。

 

 「卒業後に親御さんも一緒にご挨拶にみえるのは、今どきめず
 しいんですよ。おそろいのきものは、十三参りのお支度です
か」

 

 この章で、著者はこんなことも書いている。

 

 小さな子どもにとって母親は一番身近な大人で、その母の着て
 るものは子どもの未発達な色彩感覚や柄の好みに少なからず
影響
 を与える。

 

 思わず、「ウーン」と唸ってしまった。

 

 ところで。

 

 この本の書評を書いておられる方が、きまって取り上げるのが
 本のきもの」のようだ。

 

 幸田文さんが1958(昭和33)年に全集を出版したときに、その装
 に染色家の故・浦野理一氏の力を借りたのだという。「茶と
薄鼠
 の子持格子」、のちに「幸田格子」呼ぶものを織り上げて
もらっ
 て、表紙に使ったのだという。それは、すべて手織りで
あったと
 いう。幸いなことに、これまた私たちは写真で見るこ
とが本書で
 できる。

 

 さて。

 

 ああ、なんてきれいなきものだろうとのるまんじいが嘆息した
 が濡れ描きの1枚であった。それは「夢に咲く花」に出てく
る。

 

 ちなみに、「濡れ描き」とは伝統的なぼかし染めの手法で、糊
 をしないで、湿らせた絹の上へ筆で直接彩色するとみずみず
しく
 にじむのだそうだ。湿り気と乾燥のあわいで一気に描き進
められ、
 一反を均一に仕上げるためには熟練の技はもちろん、
ひと思いに
 仕上げる集中力と潔さが必要なのだそうだ。

 

 大柄の「けし」の花にも見える色とりどりの花弁と淡いみどり
 ろの葉を全身にまとう姿は、可憐でまた華々しく美しい。

 

 筆者はこの1枚をフランス西部のナントという街で開かれたク
 シックの音楽祭へ出かけた時にお召しになったそうである。
その
 ときのエピソードがこれまたほほえましく書かれているの
は、こ
 の方の持ち味のせいかも知れぬ。


 こんな話題も筆者だからこそ書けるのだろうと思ったのは、「

 ながる縁」という章であった。

 

 きものを包む畳紙(たとう)には、それぞれの呉服屋さんによっ
 どれも少しずつ違っていて、どことない趣があると筆者は書
く。
 畳紙そのものにスポットライトをこんなふうに当てる人の
心優し
 さをのるまんじいはうれしく思うのである。

 

 畳紙が残るのみとなった呉服屋と、不思議なめぐりあわせ、そ
 先の縁を結んでくれた話をさりげなく取り上げている。

 

 また。

 

 いつもと変わりなく、いつものように誂えたきものが縫い上がっ
 てきて、祖母が袖を通してみるとなぜか「着にくい」といっ
たの
 だという。

 

 どこをどう改めても、寸法通り。唯一思い当たることが縫い手
 はなくはなかった。再度届けられたきものを祖母は納得して
身に
 つけた。ものさしでは判じきれない手縫いの加減を身体が
敏感に
 感じ取ったのかもしれない、こう奈緒さんは書く。

 

 さて、何がそこにはあったのか。それも本書でお確かめ願いたい。

 

 きものに関しては、青木玉さんも「幸田文の箪笥の引き出し」
 始めとしてお書きになっている。中には、同じような話題に
触れ
 ておられるが、それでも言い回しや表現は違い、それがと
ても興
 味深かった。

   

 一般向け。美しいものが大好きということであれば、中高生から   
 でもすんなりと読めるだろう。ただ、おとなになったと感じ
る世
 代がほっこりとした暖かさを感じる今ごろ、ゆったりと落
ち着い
 た心持ちで読むほうがなおいいだろうと思う。

 

 日ごろは飲まなくなった煎茶のちょっといいものを丁寧にいれて、
 ましてや茶碗にも少しばかり凝って卓の脇に置いておきた
いもの
 だ。

 

 一読をお薦めする。

 

 

 

   
  ===============================================

 

 

 

 

        幸田家のきもの    

 

 

 

 

                 青木 奈緒/著

   

 

         

      

             2011年2月 初版 講談社刊

             

             

 

       講談社BOOK倶楽部のホームページは

 

 

  http://www.bookclub.kodansha.co.jp/

      

   

  

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