「『茶柱が立った』と聞いて、江戸の旦那は腰を抜かす」

  • 2015.02.25 Wednesday
  • 00:20
JUGEMテーマ:オススメの本


 
 
 
   【こんな一冊の本】
 
 
 
 
 
      「茶柱が立った」と聞いて、
 
 
 
 
             江戸の旦那は腰を抜かす 
 
 
 
 
 
         言葉で読み解く日本の歴史と
 
 
 
             庶民の暮らし
                                   
 
 
 
                 古川 愛哲/著
 
 
 
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   「言葉」は心の化石だと本書の著者古川愛哲氏はいう。
 
   気持ちを込めた時間の積み重ねが堆積したものが言葉だと、
   そう語る。
 
   そこで、考古学者のように語源を発掘して、その意味の変化
   を時代ごとに並べ、歴史とつき合わせみると、ありとあらゆ
   る日本人の「心の歴史」が浮かび上がってくるのではないか
   と。
 
   というこで、わたしたち“雑学”大好き人間としては、心の
   化石を捜し求め、さらにそこから「温故知新」と参ろうでは
   ないか。
 
   さっそく本書の章立てに注目してみたい。
 
 
 
   第1章 「道理」より「非道」が大手を振って武家の時代に
 
  
       〜古代日本の真実〜
 
 
 
   第2章 「わけあり」女と「わけ知り」男の関係は
 
 
 
       〜男女のあれこれ〜
 
 
 
   第3章 人から「笑われる」ことが一番「嫌われた」
 
 
 
       〜日本人の暮らし〜
 
 
   第4章 「たかが知れている」と「たかを括って」武家は没
       落し
 
 
 
       〜知恵比べの勝者は〜
 
 
 
   第5章 「威張って」「難癖をつけた」のは江戸下級武士
 
 
 
       〜武士と役人の話〜
 
 
 
   第6章 「尻馬に乗る」のではなく「しんがり」を務めたい
 
 
 
       〜常在戦場の心構え
 
 
 
   と、どれもこれも興味をそそるものばかりであるが。
 
 
   ともかく、本書の題名
 
 
 
   『茶柱が立った』と聞いて、江戸の旦那は腰を抜かす
 
 
   というのを知って、何やらそこに「あちら」の匂いを感じた
   のは年のせいだろうか、はたまた元来備わっているアンテナ
   のせいだろうか。
 
   それで読んでみたいと思ったのであった。
 
   しからば、こちらから参るとしよう(笑)。
 
 
   著者は嘆く。
 
   時代劇を見ていて、呆れ返ってしまうことが多いと。
 
   その中の1つ。
 
 
   大身の武家が夫婦でお茶を飲んでいる。しかも煎茶である。
   大身の武家ともなれば、お手前のひとつもこなすだろうと。
 
   あげくの果てに、上品そうなその妻が持った茶碗を見つめ、
   突然目を輝かすと、
 
 
   「あ!茶柱が立ちました」
 
 
   筆者曰くこれだけでも唖然としてしまうが、これに主人が
   重々しい声で
 
 
   「うむ。なにか良いことがあるぞ」
 
 
   で、再起不能となると。
 
   読みながらもう分からずとも予想が立ってもう可笑しくてお
   かしくて。
 
   ここで著者古川氏の解説がはいる。
 
   そもそも「茶柱が立つ」とは、遊女や芸者の占いであったと
   いう。中野栄三氏の『陰名語彙』に、
 
 
   「花柳界の俗信には――茶柱が立つと縁起がいい――という。
   煎茶を茶碗に注いで、茶の葉の茎が湯の中で縦に浮かぶのを
   茶柱が立つというのである。茶柱が男茎の意ならば、それの
   立つのは商売繁盛となるかである」と。
 
   最近は老いも若きもこのことばを覚えめでたく口にするから、
   思わずフフフと相成るのである。
 
   テレビ番組の影響の大たるや計り知れないところがあるから
   製作スタッフには注意に注意を重ねていただきたいところで
   ある。
 
   煎茶については江戸時代、黄檗僧で煎茶の中興の祖と呼ばれ
   る売茶翁によって広められやがて時間をかけてその後期にな
   って庶民層までが喫茶するようになるはずである。
 
   最初にこういうネタでいったので、ことばは悪いがきょうは
   そっちの方で攻めてしまおうかと。
 
   ということで。
 
 
   第2弾。
 
 
   「ニヤケる」
 
 
   もうこのことばだけでにんまりしてしまったが。
 
 
   にやけた男の代表は若いころの世阿弥なり
 
   ああ、もう答えはわかったもののようだ(笑)。
 
 
   現代の用例として、
 
   酒の席で酔っ払った中年男たちの会話の一部
 
 
   「そうアイツ、最近の若いのはニヤケていけない。駄目!頼
   りない!」
 
   「飛ばすこともないよ、君。たっぷり可愛がってやれば……
   ム、フフフ」
 
   まあ、上司がよく口にする会話だが。
 
   「たっぷり可愛がってやるか」――
 
   にやけるの語源は「にゃけ(若気)」で、「しなやかで柔らか
   く、なびく」気を放つ存在のことであるが、その一方で、端
   的に「尻、肛門」の意味があった。
 
   つまりニャケとは「男色」の相手となった「少年」を意味す
   るんだって。
 
   その「にやけた男」の代表例として能楽の大成者の若いころ
   の世阿弥が挙げられている。彼は幼名を鬼夜又といい、舞台
   を見た二条良基(よしもと)が魅惑され、藤若の名を賜り、寵
   愛された。
 
   世阿弥の美意識は「幽玄」にある。気品ある「老体」、美の
   結晶の「女体」、動きの面白さの「軍体」といった三体が混
   じり合ったものだとされる。だから当時ニヤケた男は「幽玄
   」の境地にいたらなければいけなかったのかもしれない。
 
   ということで、この上司の含み笑いは捨て置けないものとな
   る(笑)。
 
   二条良基に初めて邸に呼ばれた藤若が床をともにする場面は、
   瀬戸内寂聴氏の『秘花』(新潮社/刊)にそれは美しく描かれ
   ているからお読みいただいたらいかがだろうか。
 
   さて、
 
   最後に、これまた、直截的なと言われてしまいそうだが。
 
   p17の
 
 
      古代史の謎、古代の都の寿命の短さを解明せよ
 
 
   という項がある。
 
 
   書こうと思ったが、あまりに忍びなくやめることにした。ま
   あ、お読みいただきたい。要はベルサイユ宮殿と日本の内裏
   の実情があまり変わらなかった、ということでご想像された
   い。
 
   飽きずにさらさらっと読めてしまって、面白い。ともかく語
   学系雑学大好きな方に一読をお薦めしたい。
 
   
 
    
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          波 2007年5月号より
 
 
 
      [瀬戸内寂聴『秘花』刊行記念対談]
 
      「花」と「声」のある小説
 
 
    佐渡での世阿弥の晩年 神仏も地獄の鬼も幽霊も
    立ち止まりながら読む 小説にも色気が欲しい 
 
 
 
 
          瀬戸内寂聴『秘花』
 
 
         川上弘美×瀬戸内寂聴
 
 
 
 
 
           
 http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/311222.html
 
 
 
 
 
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      「茶柱が立った」と聞いて、
 
 
 
 
             江戸の旦那は腰を抜かす 
 
 
 
 
 
         言葉で読み解く日本の歴史と
 
 
 
             庶民の暮らし
                                   
 
 
 
                 古川 愛哲/著
 
 
 
 
   
 
         
      
             2001年12月 初版 実業之日本社刊
            
 
 
 
            実業之日本社のホームページは
 
 
 
            
http://www.j-n.co.jp/
 
     
   
 
   
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「日本人の日本語知らず。 」

  • 2014.04.20 Sunday
  • 00:10
JUGEMテーマ:オススメの本


 

  【こんな一冊の本】

 

 
 

  日本人の日本語知らず。         

 

 

         

 

           清水 由美/著      

           ヨシタケ シンスケ/絵

 

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  「あなたは日本語を知っていますか?」

  なんて質問を街頭かどこかで突然されたとしましょう。

 
  
おそらくみなさんは、

  「日本人なんだから、日本語を知ってるのは当たり前でしょ」

  
何をいまさら戯けたことをおまえは訊くのだい?と訝るか、は
  
たまたムッとした表情が浮かんできそうですが、本当にそうで
  しょうか?

  
想いとは逆に意外とそうではないのではありませんか?オギャ
  ー
と生まれてこの方ずっとつきあっている言語ですから、改ま
  って
考えたことはあまり深くなさそうですよね。

  
確かに中学校で「口語文法」を国語の授業でやり、「文語文法
  」
を高校の古文の授業で取り組んだ記憶はあるけれど、だから
  って
なんだか右から左へ“ス〜ッ”だったなあではありません
  でした
か?無味乾燥な時間だったよなあとかお思いになりませ
  んでした
か?

  
筆者の清水さんは日本語教師になりたいという“日本人”に日
  本
語を教えておられるそうです。その清水さん曰く日本語教師
  志望
の方を見ていて、日本語を「知らない」と、日本の素顔を
  ご存じ
ないと書いておられます。

  
ならば、清水先生おっしゃるところの「日本語の世界」に遊ん
  で
みましょうよ。さすれば、多くの収穫があるに違いないでし
  ょう
から。

  
といいましても、紙面に限りがありますから1つだけ取り上げ
  ま
しょう。

 

         米洗ふ前を蛍の二ツ三ツ


  ここで問題とするのは助詞の「を」でして、これを「に」ある
  い
は「へ」にすると俳句の印象がどう変化するかということで
  あり
ます。

  
「に」としますと“前”という場所で止まったままで、蛍は「
  死
んでいる」そんなふうになると言われるのです。「へ」にし
  ます
とどちらからか飛んできて、そこまでの動きは感じるので
  すけれ
ど……。それが「を」になりますと、なんかこう蛍が右
  へ左に自
在に飛びかっているように読めますよね。

  
清水さんはいやいやそれでも「に」「へ」「を」どれも捨て難
  い
ものがあるとも書かれておられます。

  
最後に。

  
ヨシタケさんの素敵な絵が書かれた裏表紙に注目してください。

 

    このスカートのためにダイエット(目的)

 

    ダイエットしたためにリバウンド(原因)



  どんな絵か想像がおつきになりますでしょうか?

  ヨシタケさんの絵、たまりませんね。大好きです!

  
ごめんなさい。もう1つだけ。

  
本書の題名。最後に句点(。)があります。これも意味深です
  ね。


  一般向け。ではありますが、中学生以上の方に読んでほしいで
  す。


  ともかくおもしろいです。

 

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          ヨシタケシンスケ ページ

 

 

      

      http://www.osoraku.com/

 

 

 

 

  ============================================================

 

 

    日本人の日本語知らず。                  

 

 

 

 

           清水 由美/著      

           ヨシタケ シンスケ/絵



            2010年12月 初版 世界文化社刊
             


           世界文化社刊のホームページは

 

              http://www.sekaibunka.com/

 

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「十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を…」

  • 2013.08.03 Saturday
  • 20:29
JUGEMテーマ:オススメの本

 

 

 

  【こんな一冊の本】

 

 


   十頁だけ読んでごらんなさい。

 

  十頁たって飽いたらこの本を

  捨てて下さって宜しい。  

 

 

 

 

 

                  遠藤周作/著

 

 

 

 ================================================

 

   

   

   

   


  本書があることを知ったとき、まず題名の長さに驚いてしま
  っ
た。

 

  遠藤周作氏一流のユーモアかしら、とそう思った。

 

 

      十頁だけ読んでごらんなさい。

        十頁たって飽いたらこの本を

         捨てて下さって宜しい。  

 

  いかがだろう。やっぱり狐狸庵先生だと思うじゃないか。

 

  と言いつつ、「読みたい本」にリストアップしてそのままに
  し
ておくのが、これまたのるまんじいのいつもの怠惰な癖で
  ある。

 

  それが、時々足を伸ばして出向く蔵書の比較的多い図書館の
  書
架に海竜社判の単行本があった。そこで早速借りて読み始
  めて
のるまんじいは深い霧の林を彷徨うごとく、濃い謎に包
  まれた
ような気がしたのだった。

 

  これは、書けない。直感的にそう思った。だったら、そこで
  題
の如く「ポイ」を決めればいいものを、愚図な性格からだ
  ろう
か、またそこまで潔くもなかった。

 

  「文庫本」なら解説がある。そう閃いた。

 

  そこで新潮社から出ている文庫本の解説を頼ることにした。

 

  解説を担当されているのが、ノートルダム清心女子大学准教
  授
の山根道公氏だった。のるまんじいは山根氏の著書にも関
  心が
あって以前読んだことがある。またこの大学の理事長が
  渡辺和
子氏で『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎刊)という
  著書も
読んだことがあった。それよりも前にシスターの講演
  会に行こ
うと思ったこともあり、今回俄然関心が大きくなっ
  たのだった。

 

  さて。

 

  その解説を読んで得心したことが1つや2つでなかったこと
  を
ここに記しておきたい。

 

  「遠藤先生の未発表原稿が偶然、見つかったんです」

 

  海竜社の編集者から筆者への電話だったそうだ。光文社の編
  集
者に預けられたまま46年間も埋もれていた原稿。遠藤順子
  夫人
も記憶にないというその原稿。

 

  タイトルはなく、「一寸したことだけれども……」という章
  の
見出しの後、「十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって
  飽い
たらこの本を捨てて下さって宜しい」と始まる原稿だっ
  た。

 

  天国の遠藤先生からの贈りものとしか考えられないと若い編
  集
者は語ったという。

 

  本書の原稿は1960(昭和35)年に書かれたものだそうで、著者
  が
肺結核で東大伝染病研究所病院に入院していたというその
  最中
のことだそうだ。若い妻と幼い息子の生活を心配し、長
  期入院
の費用や文壇的地位を築いた作家としての自分の名前
  が忘れら
れないようにとの思いから懸命に書いた原稿に相違
  ないと山根
氏は書いている。

  
もちろん本書はそのようなことを微塵も想像させるものでは
  な
い。どこまでも明るい。だが、明るさの裏にはこんな実態
  が隠
されていたのだ。これを知って読むか否かによって受け
  る印象
は随分と違ったものになるし、のるまんじいはそうい
  う姿勢の
読者でありたいと思うのだ。

 

  誰にも言えない心の辛さを隠すためにおどけた悪戯をするよ
  う
になったと筆者はエッセーに書いているそうだが、本書が
  まさ
しくそういったものであることが読者にはわかるのであ
  る。

 

  ただこの山根氏の解説を読まないとそれもまた不明なままな
  の
である。

 

  さらに山根氏は記す。

 

  遠藤氏が晩年に敬愛していたマザー・テレサの、「神は私た
  ち
が小さいことに大きな愛をこめて行うように創られました。
  た
いせつなのはたくさんのことや偉大なことをしたかではな
  く、
どれだけ心をこめたかです」ということばを思い出した
  と。

 

  本書は「読む人の身になって」という、他者への心を思いや
  る
愛であるという。

 

  単行本が出版されると丸善本店でベスト10入りしたそうだ。

 

  遠藤氏の追悼ミサの説教で氏が戦友とまで呼んで共に日本人
  に
実感の持てるキリスト教を求め続けた井上洋治神父が「天
  国に
行っても遠藤さんはよく働いてくれている」としみじみ
  と語っ
ておいでだったそうだ。

 

  没後「人間の弱さや悲しみに共感するという遠藤文学体験の
  共
有」を目的に氏のファンクラブとしての「周作クラブ」が
  注目
されているのだとか。

 

  解説を長々と引用させていただいたことをここに記し、ご寛
  恕
願いたく思う。

 

  ここまでくると、一読してみたくなったのではないだろうか。

 

  きょうは、具体的な内容に一切触れないという方法でやって
  み
ようとここまで試みたのだが、やっぱりどうも駄目だ。少
  しば
かりご紹介して終わることにしよう。

 

  それは、――休憩 オリジナルな表現を身につける一寸した
  遊
戯――に載っている。

 

  遠藤氏が作家になる前に電車や珈琲店で1人で遊んだ遊戯な
  の
だそうだ。外を眺め、人を観察して。

 

  1.   夕暮れである。大きな太陽が屋根の向こうに●●のよう
    に
沈んでいく。

 

  2.   空は●●のような色を帯びている。

 

   .   豆腐屋のラッパの音が●●のように聞こえる。

 

  4.   路を一人の●●のような顔をした主婦が通った。

 

  ●●に何を入れるか。題して「ようなゲーム」という。

 

  ルールとして

 

  1) 普通、誰にも使われている慣用句は使用せず

 

  2) しかもその名詞にピタリとくるようなことばを探すのだ
    そ
うだ。

 

  1の問題を考えるに、獅子文六氏は『てんやわんや』の中で、

  「大きな熟れた杏のように」沈んでいくと書いておられるそ
  う
だ。阿部知二氏は、同じような春の夕暮れの太陽を「赤く
  うる
んだ硝子球のように」沈んでいくと書いているのだとか。

 

  あなたはどんな●●をお入れになった?

 

  これはなかなか難しいゲームだ。しかしながら、自分だけの
  「
ような」探しは新鮮な文章を書くためにはとてもよさそう
  で興
味深い。いざやってみると自分に才能がないことをこれ
  でもか
とばかりに突きつけられそうで、それはそれで怖い。

 

  このゲームの話は本書のほんの一部に過ぎない。

  
ほかもそうだが、遠藤文学のことを大きな顔をして紹介でき
  る
ほど氏の作品を読んでいない。『沈黙』『海と毒薬』そし
  て『深い河』ぐらいだろうか。「海と毒薬」は消化不良のよ

  うな状態のものをここで紹介させていただいたが、『沈黙』

  も『深い河』もまだその機を得ていない。どちらも読み応え
  があって感動
したのに、である。

 

  元来、どくとるマンボウ派だったのるまんじいだったから、
  軽
妙な狐狸庵先生のエッセーにも関わらず読まずじまいだっ
  たの
だろうか。

 

  どちらかと言えば、順子夫人の『夫の宿題』(PHP文庫/刊
  )
に心を動かされた人間である。

 

  それでも順子夫人を思い、愛息龍之介さんを愛した狐狸庵先
  生
の思いを汲みたいと思った。

 

  一般向け。狐狸庵先生ファンは言うまでもなく、幅広い世代
  の
方にお読みいただけると思う。今、恋をしている方、その
  恋を
成就させるためにも一読をお薦めする。

 

 

  ================================================

 

 

               「周作クラブ」のホームページは

  

           http://shusakuclub.com/

 

  
  ================================================

 

 

 

 

          十頁だけ読んでごらんなさい。

 

    十頁たって飽いたらこの本を

 

    捨てて下さって宜しい。  

 

 

 

 

 

                  遠藤周作/著    

 

   

 

         

      

             2009年9月 初版 新潮文庫刊

             

 

 

             新潮社のホームページは

 

         http://www.shinchosha.co.jp/

      

   

 

  

  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

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「歴史をかえた誤訳」 

  • 2013.06.01 Saturday
  • 00:00

JUGEMテーマ:オススメの本

 

 【こんな一冊の本】
 
 
  
 

    歴史をかえた誤訳
 
             
 
  

             
       

                鳥飼 玖美子/著

 
 
 
 

 ==============================================================
 
   
   
  
本書の著者、鳥飼玖美子さんといえば、NHKの番組の同時
  
通訳として活躍しておられたでしょうか。今でも時々Eテレ
  でお見受けしますし、立教大学大学院の教授でしたよね。 

  
原爆投下は、ポツダム宣言をめぐる誤訳が原因だった―。佐
  藤・ニクソン会談、中曽根「不沈空母」発言など。世界の歴
  史をかえてしまった数々の誤訳とは。


  こんなふうに紹介されると読んでみたくなりますよね。
 
  連合国側からポツダム宣言が発表され、日本に対して無条件
  降伏を要求してきたのです。それを時の鈴木貫太郎首相は「
  静観したい」という意味のことを強いことばで表現したかっ
  たのだそうです。そこで使ったのが「黙殺する」でした。そ
  れが連合国側では“ignore”つまり「無視する」と翻訳した
  ようです。
 

  これには違う説がありまして、日本側で「無視する」と英訳
  したというものです。詳しくは本書を読んでみてください。
 

  「歴史には、“もしも”は有り得ない」とよく言われますが、
  それでももし「静観したい」と連合国に正確に鈴木首相の思
  いが伝わっていたら、「その後」はどうなっていたことでし
  ょう。
   

  政治に関する誤訳が続いていきます。
 
  のるまんじいは第4章 「まさかの誤訳、瀬戸際の翻訳」に
  登場する
 
 
 

  「ホトトギス」はどう訳されてきたか
 
 

  「蛙」の詩的イメージを崩さないためには
 
 

  「赤毛のアン」にも登場するオレンジ色の猫
 
 

  うさぎの目の色
 
  

  がおもしろかったです。
     
 

    …when suddenly a White Rabbit with pink eyes ran close
     by her.
 
  
これが、あの『不思議の国のアリス』の一節なのですが、み
  
なさんはピンク色(?)をした目のウサギをどんなふうに想像
  しました?
 

  鳥飼さんにドイツ文学の先生が質問したのですって。「ピン
  ク色の目をしたウサギって…」ドイツでは日本と同じように
  ウサギは「赤い」目というのだそうです。この場合、「赤い
  目」と訳しても誤訳ではないと著者は書いています。
 

  色の表現は民族によって随分と違うそうですね。
 
  取り上げている領域が「政治」から「文学」に変わってほっ
  としたのはのるまんじいだけでは、ないでしょう、きっと
  (笑)。 
 
 
  将来通訳を仕事にしたいと思っている方、雑学大好きな方に
  一読をお薦めします。
  
 
 

 ==============================================================
 
 
 
 

        歴史をかえた誤訳
 
             
 
  

                鳥飼 玖美子/著
 
 
 
 

          2001年5月初版  新潮社刊 
          2001年6月2刷

             
 
 
              潮社のホームページは
 
 
        
http://www.shinchosha.co.jp/
      
   
 
   

  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
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「名文どろぼう」

  • 2012.11.03 Saturday
  • 09:07
JUGEMテーマ:オススメの本

 

 

 

 

  【こんな一冊の本】

 

 

 

 

        名文どろぼう

        

 

        

 

                竹内 政明/著

 

 

 

 ================================================

 

   

 

 

 「どろぼう」とは、いささか物騒な表現である。

 

 ではあるが、それには少しばかり訳があった。

 

 読売新聞社に勤め、コラム「編集手帳」を2001(平成13)年から
 筆し、博識と心を打つ名文で今や業界一の名コラムといわれる筆
 者が、しゃれた言葉や気の利いた言い回し、味のあ
る文章を、半
 分は仕事の必要から、また半分は道楽で採集して
きた、そのコレ
 クションの一部をご覧いただこうと書籍化した
ものが本書「名文
 どろぼう」である。

 

 “引用”とは他人のフンドシで相撲を取るようなものだから、
 名は『フンドシ博物館』でもよかったが、それではあんまり
なの
 で『名文どろぼう』とした次第だそうだ。

 

 それにしても『フンドシ博物館』でなくてよかった。これでは、
 珍しい「おフンドシ」そのものの数々のコレクションを披露す
 ものかと思ってしまう。“未知なるフンドシの世界”。それはそ
 
れでおもしろそうだけれども……だ(笑)。

 

 それはともかく。まずは、こんなお話はいがだろう。

 

 雨の結婚披露宴で、<雨降って地固まると申します>という祝
 を聞いたことがあるが、しっくりこなかったという。そりゃ
あそ
 うだ。このことわざは、「もめごとなど悪いことが起こっ
たあと  
 は、かえって前よりもよい状態になること」のたとえな
のだから。
 まるですったっもんだの挙句、新郎と新婦に成らざるを得なかっ
 た
のかしらと邪推されても仕方がない()

 

 それだったら

 

   フルは千年、アメは万年と申します。

 

             ――落語「正月丁稚」桂米朝――

 

 いやはや、これなら、ずっと洒落ている。

 

 じゃあ、こんなのは、いかがだろう。

   

 文豪、志賀直哉さんのなぞなぞ。

 

 「豊臣秀吉の好きだった西洋野菜と西洋酒があるんだが、何か
 ってるかい」

 

 さて、その答えとは。

 

 『セロリ新左衛門』と『千のリキュール』

 

 これとて「曽呂利新左衛門」と「千利休」を知っているのが前
 だけれども。ちょっと気難しそうな表情をしている写真の志
賀さ
 んを想像すると思わず笑みがこぼれてきそうだ。

 

 では、こういうのも。

 

 生粋の江戸っ子で国文学者の池田彌三郎さんが、洗足学園魚津短
 期大
学(富山県魚津市)教授として彼の地に赴任した時、年を重
 ね
てからの慣れぬ任地で、親しい仲間が恋しくてならなかったの
 だろう。文芸評論家の山本健吉さん
に便りを出した。「お江戸を
 離れてたまらなくさびしいや。こち
らの魚はうまいぞ。魚津へ遊
 びにおいでよ」などとは書かずにた
った一行、

 

   「ブリさし イカさし さしすせそ」

 

 たったこれだけなのに全てを飲み込んで、滋味を感じさせる、と。

 

 これに対して山本さんの返信、

 

   「タラちり、フグちり、ちりぬるを」だったそうである。

 

 こっちも話したいことが山積みになっているぞ。いい加減、と
 とと帰っておいでよ。そんなことは書かなくたって相通じる
そん
 な関係だっただろう。

 

 なんとも「大人の男同士」の友情を感じることか。そして粋な
 とか。それにしても慶応義塾大学教授で、テレビでも活躍な
さっ
 ていたあの池田さんがあちらでしょんぼりしている姿を思
うと今
 になっても胸が痛む。

 

 竹内さんは、この「ちりぬるを」から“いろは歌 色は匂へど
 りぬるを”を思い出す。

 

   

   イロハ歌とは、

  

   1.仮名文字すべてを1回ずつ使う。

   1.重複して使わない。

   1.意味の通じる歌にする。

 

 という厳しい制約のもとで作られた言葉遊びの元祖であると書き、
 ここから同じ“イロハ歌”の新作をいくつか掲げる。

 

 

       「つわのいろは」

 

    

      夢に津和野を思ほえば

      見よ城跡(しろあと)へうすけむり

      泣く子寝入るや鷺舞ふ日

      遠雷それて風立ちぬ

 

 安野光雅さんが故郷津和野を思って作った詩だそうだ。眼前に
 野さんが愛してやまない城下町津和野の風景がありありと浮
かん
 でくる。

 

 この言葉遊びを「脳ミソの虐待」と評しておられる。

 

 さて。

 

 古くから、男には外に7人の敵がいると言われてきた。これは
 うやら石田三成が豊臣恩顧の武士7人(加藤清正、黒田長政、

 島正則、細川忠興、浅野幸長、池田輝政、加藤嘉明)に襲わ
れた
 ところからきているようだが、本書にはこんな演歌の一節
が載っ
 ている。

 

 

  他人(ひと)に好かれて いい子になって 落ちていくときゃ

  独りじゃないか

 

           畠山みどり「出世街道」

 

                (詞・星野哲郎 曲・市川昭介)

 

 

 まさにその通りだ。

 

 それどころか、今のご時世、家の中でもこうだもの。

 

 

    赤い糸 夫居ぬ間にそっと切る

 

                  「シルバー川柳」   

 

 思わず、「オイオイ」と声に出しそうになる(苦笑)。筆者の知
 の知人に(この距離感がミソだろう)、子息の大学の卒
業式の朝、
 <青天の霹靂>そのままに奥さんから離婚を申し渡
された人がい
 たそうな。(これも笑えない。)

 

 その一方で、

 

 中村草田男さんの1句。

 

 

    妻抱かな 春昼の砂利 踏みて帰る

 

 こちらは、家路を急ぐ夫。「妻を抱きたい。さあ、抱くぞ」、
 欲も晴朗な詩になることを知ったと書いてある。(こりゃ、
中学
 生なぞにはちと早い)

 

 もう1句。

 

    老いが恋 わすれんとすれば しぐれかな

 

 

                   与謝蕪村



 
亭主族を奈落の底へ、

 

    イザ突き落とさん!(まるでエレベーターだ!)

 

 

     ネクタイを 上手に締める 猿を飼う

 

                   森中恵美子

 

 筆者はこう添えている。

 

 この視線があれば冷房は要らない。(中略)ダメ男と罵られても、
 ボンクラ亭主とさげすまされても、人類の一員として扱わ
れてい
 るあいだは愚痴を言うまい。

 

 (お〜お、おっかねえ:のるまんじい談)

 

 おっかないついでと言っちゃなんだが、川端康成さんの『山の音
 』
にはこんなのが出てくるそうだ。

 

   

 そう、君らにはわかるまいが、五十六十の堂々たる紳士で、女
 がおそろしくてうちへ帰れないで、夜中にそとをさまよって
るの
 は、いくらもいるんだよ。

 

 (だから、夜遅くまで飲み屋が流っているんだ、今でも)

 

 そんなおやじの心のうちを読んだのが、「中年男の唄」(詞・
 藤周作 曲・服部公一)だろうか。

 

       息子よ 俺をバカにするな

       ニキビの生えた その面(つら)で

       自分ばかりが 日本(ニッポン)を

       判ったような 顔するな

       あんまり俺をナメとると

       俺はこのうち 出て行くゾ

       出て行くッタラ 出ていくゾ

 

 (ちなみに遠藤氏のご子息のお名前は龍之介さんだったなあ)

 

 なんだか、身にしみてしょうがないからこんなのを一発。

 

 

     「おとうちゃん大好き」

 

       おとうちゃんは

       カッコイイなぁ

続きを読む >>

「適当な日本語」

  • 2011.11.17 Thursday
  • 07:37
JUGEMテーマ:オススメの本

 

 

 

  【こんな一冊の本】

 

 

 
 
  適当な日本語          

 

 

  

 金田一 秀穂/作    

 

 

 

  ============================================


  本書の題名の「適当な」には「いい加減」ということばと同様
  
に2つの意味が存在します。

 

  金田一さんがおっしゃるには、1つは“適切である”という意

  味。もう1つは“中途半端な”ですとか“無責任な”といった

  意味があり、その2つの意味を本書は併せ持っていると言うの

  です。

 

  文法的な、本来的な正しさというよりも、“適切である”とい

  うことが、望ましい日本語であろうと考えて『適当な日本語』

  というタイトルにされたそうです。

 

  「よそさま」からの相談というスタイルで、日本語の使い方が

  正しいかどうか31例を挙げて説明しています。中には、本来的

  には正しいことであっても、場面によっては使わない方がよろ

  しいのではといった解答をされています。重箱の隅をつつく、

  そんな質問が見られます。(編集者が考えたのかしら?)ここ

  ではふれませんので、お読みになってみてください。

 

  次に、「今こそ使いたい懐かしい言葉」という章を立ち上げて

  います。

 

  「おおわらわ」

 

  本書に載っていたのではありませんが、村野四郎さんの「夕だ

  ち」という児童詩を思い出しました。

 

 

 

       夕だち

                  村野四郎

 

        ヨシキリが

        大さわぎして にげまわる

        むこうから かけてくる村の人

        こちらから かけていく町の人

        みんな ひさしへ とびこんだ

        夕だちだ 夕だちだ

        空のおさらを ひっくりかえしたようだ

 

        雨はどうどう

        ぼくの頭から せなかのほうへ

        滝のようにながれおちた

        けれども ぼくはおどろかない へいきだ

 

        ぼくは水泳の帰りみち

        帽子もかぶらず まるはだかだ

        あわてる人をながめながら

        ゆうゆうと 道を歩いてきた

        そしてときどき 天のほうをむいて

        夕だちを飲んでやった

 

   
  
みなさんも小学生の時に、教科書で出会ったことのある詩では

  ないでしょうか。のるまんじいは小3の頃に習った記憶があり
  ます。眼前に絵が浮かんできます。まさに「おおわらわ」その
  ものですよね。

 

 

  「どんなもんだい」

 

  男の子が使うことばですが、そういえばあまり耳にしなくなっ

  たことばの1つかも知れませんね。ドラえもんの「ぼくドラえ

  もん」の歌詞の中で「どんなもんだいぼくドラえもん」とある

  と筆者は書いています。小悪魔たちならここで「確かに〜!」

  と叫ぶところでしょう。

 

  その次の章では、これでもかというほどに“同訓異字”の使い

  分けを書いておられます。なんだか中学受験の知識問題、それ

  も難関校レベルのものを見ているようでとても興味深かったで

  す。もちろん、本書に登場する“同訓異字”たちはそれ以上の

  ものがひしめいております。どれを使うか自信がない時なんか

  こっそり見たりするとよいでしょうね。

 

  “頭の体操”のような使い方もできて、とてもおもしろい1冊

  です。そして金田一さんのあの人柄も感じられる本です。

 

  一般向きですが、中学生、高校生でもいけます。机上に1冊と

  いったところでしょうか。間違っても「机上の上」ではありま

  せん()。新書ですので、通勤通学時に読むのもよろしいと思
  います。

 

   

  ==============================================

 

 

 

    適当な日本語          

 

 

 

金田一 秀穂/作    

 

 

 

    2008年8月 初版 アスキー・メディアワークス刊

             

 

 

            アスキー・メディアワークスのホームページは

 

        http://asciimw.jp/

 

 

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