「桜桃のみのるころ」

  • 2015.07.18 Saturday
  • 18:58
JUGEMテーマ:オススメの本


 
 
 
   【こんな一冊の本】
 
 
 
 
 
 
       桜桃のみのるころ
 
 
 
 
     
 
 
 
                  今江 祥智/作  
                  宇野 亜喜良/絵   
 
 
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   リクエストをしていた「本の取り置きをしてますよ」とこまめに
   図書館から連絡が続けて入ることがある。人気本をリクエストし
   たら最後、半年ぐらいたって忘れた頃のある日突然、「有り難い
   」お話を受け取るなんてことがままある。
 
   以前ここでご紹介させていただいた佐藤多佳子さんの『一瞬の風
   になれ』という作品の時もまさにそうだった。
 
   「まだかい、まだかい」と心に念じていて、やっとこさっとこ順
   番が回って、やっとお待ちかね手許に届いたときには仕事がたて
   こんでいて読む時間がなかったり、気力が残っていなかったりで、
   泣く泣く読まずに返却するなんてことに成り果てる。
 
   人気本は次に待っておられる人が多い。ついここで芥川賞を受賞
   した又吉直樹氏の『火花』はわが町の図書館ではきょう現在なん
   と613人待ちである。これだと借りられるのは1年先だろうか。
 
   まあそんな訳で、「延滞不可」なんて念押しをされたれして。「
   買えばいいじゃん」なんて小悪魔どもは気安くほざくけど。「で
   きるんならとっくにしてるよ」なんてえのは負け惜しみで。
 
   本物の「読書家」ではないのるまんじいのことゆえかも知れぬが
   。
 
   そんなのるまんじいはリクエスト本を受け取る際でも、念のため
   新刊本コーナーには立ち寄ることにしてみる。時によるけど、「
   おっ!」と声を出しそうになる「めっけもん」があったりするの
   だから。
 
   きょうご紹介させていただく、この『桜桃のみのるころ』はそん
   な1冊の本だった。
 
   ページをぱらぱらやって「ふーん、今江さんねえ。また時代物を
   書いたんだ」と思っていたら、どうもこの本も料理屋さんが舞台
   のようだった。だったら、借りちゃえとなった次第である。
 
   では、いざ、いざ……。
 
   月の光が天窓から差し込む吹き抜けのひろがりに舞は浮かんでい
   る。赤珊瑚の簪(かんざし)を差した髷(まげ)の姿に、藍の濃
   淡の格子の着物姿でふわり、ふわりと何処ともなくおりてきた。
 
   そのおりてきた先は……。
   
   ふうわりとおりてきて、料理屋さんのカウンター席に舞はすこん
   と落ち着く。
 
   (カウンター席?ということは、現代?)
 
   すると、
  
   上物の玉露を若い板さんが間をおかずに舞の前に置く。
 
   (おじいさまが昔、家で毎朝飲んでらしてたようなものね……)
 
   おじいさま?
 
   (おじいさまが亡くなった前の晩に七蔵さまが来てくださって…
   …)
 
   七蔵さま?
   
   うん?
 
   ぼやけていたかすかな記憶が唐突に鷲づかみをされてぐうっと戻
   される。そうか、そういうことだったんだ!
 
 
   さきほどののるまんじいの独白の中の「また」とか「この本も」
   でひっかかった読者さんは長くめるまがにおつき合いいただいて
   くださっている方たちだろう。
 
   のるまんじいはこの「舞さん」と随分前に出会っていたんだ!
 
   ブログでは書き直してから発行させていただこうと考えている
   『そらまめうでてさてそこで』のその後だったのだ。それも、こ
   の『桜桃のみのるころ」との間には『魚だって恋をする』という
   作品のあることもこともわかった。
 
   「ぬかった!」そう思った。
 
   どうする?『魚だって恋をする』を先に読むか?いやいや、そん
   な時間はないぞ。軽い頭の中でちょっとばかり自問自答をして、
   「いっちゃえ」とした。
 
   ということで、『そらまめうでて さてそこで』との順番が発行
   順と逆になることご了承願いたい。こちらの作品ものるまんじい
   としては大切にしたいものなのだ。
 
   かいつまんで、ちょっとご紹介すれば。
 
   お城勤めを長年してきたおじいさまは妻に先立たれたのをきっか
   けに隠居して、「しげ」という小料理屋の七蔵に料理人に弟子入
   りをする。やがて、独立して孫娘の舞とともに「まい」という名
   の店を構えるといったそんな筋書きだった。 
 
   さて。
 
   最初の場面に戻ろう。
 
   それでは。舞が茶で口の中を清めたところで。
 
   まずは桜鯛のお造りが。
 
   次は、茗荷、菜の花、ふきのとうを葛あんで包んでつまみ湯葉を
   あしらったもの、煮物椀かしら。さて、とり貝と野蒜(のびる)を
   辛子味噌で和えたものがつぎに。
 
   4品目は蛤の酒蒸し、稚鮎の塩焼きが焼き物で供される。炊き合
   わせは「大根を炊いたもの」で淀大根だと板さんは言っていた。
   ご飯は「鯖寿司」だった。
 
   ここは京都室町だと言う。舞の頭の中に「???」が泳ぐ。生ま
   れた地を出たことがなかった舞にとって、つまみ湯葉も淀大根も
   そして鯖寿司も初めて食したものだった。
 
   気がついたらいつの間にか舞は自分の店に戻っていた。
 
   おじいさまが亡くなってから七蔵さんの勧めで、店を手伝っても
   らっている新吉さんに室町の店のことを話した。
 
   夢だろうか?夢にしてはいくらなんでもリアルすぎる。先ほどの
   味が舌先に生々しく甦ってくるし。
 
   家にある何本かのうちの竹刀の1本があったりなくなったりする
   のに舞は気がついた。どうもこの竹刀がかの地へ連れて行ってく
   れることに。
 
   三度室町の暖簾を舞がくぐった時だった。のれんのかげに板前の
   形(なり)をしたおじいさまを舞は見つけたのだった。おじいさま
   はあちらにおいでになったはずなのに…。
 
   それで得心がいった。おじいさまなんだ。
 
   おじいさまが悪戯をしておいでになる。あちらに行ったはずのお
   じいさまがどうも舞をこの店に案内しているようだ。そればかり
   かこの室町の店はわれわれが生活をしている「現代」そう21世
   紀の店なのだ。不思議だが、舞は江戸時代と現代を何度も行き来
   することになる。やがて、舞はその「おじいさま」とも自由に話
   ができるようになる。
 
      不思議な世界を行ったり来たりするようになった舞には大木新太
   郎という想い人がいた。武士だけれども、いつかはおじいさまの
   下で修業をしたいと言っていた人だった。それが新太郎の父の差
   し金で江戸詰になって、月日は流れていったのだった。
 
   その新太郎が国許へ帰ってきた。「まい」で2人は再会を果たす
   が、今ひとつしっくりこない。
  
   そんな時にもおじいさまは21世紀の室町で京のご隠居さん姿で
   料理を楽しんでいた。やるなあ、じいさん。
 
   そのうち新太郎のライバル又四郎が登場する。舞の気を引くため
   に時をおかずに店に通うようになる。そんなふうなふたりをおじ
   いさまは、舞と一緒に京都の四条南座の歌舞伎公演に連れて行っ
   ちゃう。もう、しっちゃかめっちゃかとでもいうのか。物語その
   ものが傾(かぶ)いているといった雰囲気。
 
   のるまんじい、こういうの大好きなので、臨場感たっぷりなの。
 
   宙乗りをしているのはどなただっけ?中村橋之助や中村勘太郎(
   現在の勘九郎)が登場しちゃう。そしてそのあとで料亭の弁当を
   堪能する。
 
   このしっちゃかめっちゃかの中から筋は見えてくるもの。舞を巡
   っての新太郎と又四郎との恋の鞘当の行方はいかが相成るだろう
   か。そしてまた、おじいさまの活躍は?この物語そのものがやっ
   ぱり歌舞伎の狂言のように見えてくるから不思議。楽しさのてん
   こ盛り?
 
   せっかくだから書くのは控えさせていただくけれども、ラストが
   とってもいい。読んだあとで爽やかな一陣の風があなたに吹いて
   くれるだろう。
 
   表面的にだけ読むと、「これって児童書かい?」なんていう疑問
   がわいてくる。「小学生にわかるんだろうか」なんていう杞憂が
   頭を擡(もた)げてくる。食いしんぼうで雑学の引き出しがいっ
   ぱいつまっているような今どき、そうやたらにいそうもない好奇
   心いっぱいの子どもだったらバッチリはまってくれるだろう。の
   るまんじいなんか、読んでてもう我慢ができなくなっちゃった。
   すぐにでも、カウンターの隅っこに座って板さんの手許を見なが
   ら、舌鼓を打ちたいとそう思った。
 
   宇野さんの手になる板さんはまだ花板さんではないような雰囲気
   で。なんか「追い回し」さんみたいで。だからといって、これは
   貶しているのではなく、初々しさを感じているので、悪しからず。
 
   この物語は「児童書」という範疇をぽんと越えていると思う。今
   江祥智さんだからこそやれることなんだろう。なんにでも関心を
   持ってくれるような中学生以上にぜひ読んでほしい1冊である。
   ということで、一応「中学生向き」としておこう。
 
   おとなにとっても理屈ぬきで十分に楽しめる1冊である。
 
   一読をお薦めする。
 
 
 
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        今江祥智さんの本です
 
 
 
 
    「龍」
 
 
 
       田島 征三/絵    BL出版
 
 
 
 
 
 
 
 
 
    「薔薇をさがして…」
 
 
 
       宇野 亜喜良/画   BL出版
 
 
 
 
 
 
 
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        桜桃のみのるころ
 
 
 
 
     
 
 
 
                  今江 祥智/作  
                  宇野 亜喜良/絵      
   
 
         
      
           2009年 6月 初版 BL出版刊
 
 
 
           BL出版のホームページは
 
 
         http://www.blg.co.jp/blp/
      
   
 
   
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「ふしぎなカーニバル 石森延男児童文学全集 9」

  • 2015.03.21 Saturday
  • 18:43
JUGEMテーマ:オススメの本


 
 
   【こんな一冊の本】
 
 
 
 
 
      ふしぎなカーニバル
 
 
 
 
        石森延男児童文学全集 9
         
                                   
 
 
 
                 石森 延男/作
 
 
 
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   今回ご紹介させていただく記事は、のるまんじいがめるまが
   を始めてまもなくの17番目に書いたもので、何とも恥ずか
   しい記事だがそこをご承知おきの上でお読みいただきたい。
 
 
   いつの日にかもう一度読んでみたいと願っていた本のうちの
   1冊。
 
 
   『ふしぎなカーニバル』である。
 
   本書がそんなに強く心に残ったかといえば。主人公の中学1
   年生の土井平太が、おとうさんの戦友で同じくシベリアに抑
   留されていた東京の下宿先の和田さんご夫妻と友だちの山地
   タミ子と一緒に冬休みに長野県の当時の穂高町(現在は安曇
   野市)にある碌山美術館を訪れる場面がある。
 
   これがのるまんじいと荻原碌山との長い旅の始まりになるの
   だったからだ。この碌山美術館にすっかり惚れ込んでしまっ
   たのである。このことは別の機会に書こう。
 
   さて。
 
   青森県の津軽地方の黒石に祖母と父と暮らす中1の平太は短
   い夏休みも終わりに近づいた頃、突然父から単身の東京遊学
   を切り出される。
 
   「若いうちにいろんなものを見ておけ」と。最初は躊躇して
   いた平太だったが、祖母の「ばあちゃんととうさんのしあわ
   せのバトン、おまえが、受けついで走る番が来るべ。」とい
   った後押しもあり東京行きを決心する。
 
   素敵なばあちゃんだな。
 
   時代は東京オリンピックを間近にした1960年代前半。も
   し平太と同じぐらいの年齢というとさだまさしさんぐらいと
   いうことになるのだろうか。
  
   今の小中学生が本書を読むと、中途半端な違和感を覚えるか
   も知れない。時代小説のように、あまりに舞台設定が古くて
   まるでわからないのとは違うから。首都高速が建設中だった
   り、区画整理があったり、現在の国立市がまだ国立町として
   名前が登場したりと。
 
   そして、書いておかないといけないのは、年上の人に対する
   言葉遣いや和田さんの奥さんのご主人に対する言葉遣いが今
   とは随分と違って驚くのではないだろうか。
 
   田舎で平穏に暮らしていた平太は東中野の和田さんの家から
   近くの公立中学校に通うことになる。この中学校はとんでも
   なく荒れていて平太は思ってもみなかった経験をしていく。
   転校した初日から中3の不良グループの喫煙の現場を何気な
   く見たのをスパイだと疑われ、暴力をふるわれることになる。
 
   中3は授業がなかなか成立していないようだし、また中1も
   落ち着きがなく、授業に集中できないようで、授業中立ち歩
   く者もいる。一方、転校希望を胸に働いている教職員も少な
   くない。
  
   校長先生が運動会の当日このグループに胴上げをされ、その
   まま地面に落とされ、背中を痛め休職止むなしの状態に追い
   込まれ、年度途中で新校長に交代する。
 
   こうやって読むと、いじめも学級崩壊も時代が原因のようで
   はないと思う。何となく記憶が遠い昔を「いいもの」だけを
   残して霞ませているようだ。
 
   とうちゃんが言っていた「若いうちにいろんなものを見てお
   け」は、こういうものを平太に見せたかったのだろうか?
 
   また。
 
   平太は級友からは「ヘッタレ」と呼ばれ田舎ものとして馬鹿
   にされる。そんな中、近所のそして先程の山地タミ子とこと
   ばを交わすようになる。
 
   一方、担任の佐藤先生は映画研究会に属し、映画関係の職に
   ある和田さんと交友がある。佐藤先生は『東京は生きている
   』という作品を作る。和田さんは平太から刺激を受け、『こ
   んな世界』を製作し、この作品で、イタリアの世界文化映画
   コンクールに参加することになる。
 
   ところで、今回驚いたことが1つある。
 
   新たな発見というのは大げさだろうか。平太が学校の国語の
   授業の中で、ヘルマン・ヘッセの『少年の日の思い出』を受
   けていたのである。平太のエーミールの優しさに対する読み
   の深さが表現されている。
 
   主人公の少年がチョウ見たさに親友のエーミールの不在の部
   屋に入り、そのチョウを黙って持って帰り、取り返しのつか
   ないことをしてしまう。母に言われて罪を友に告白しに行く
   のだが、さんざんさげすまれ、耐え切れない気持ちで帰宅す
   る。そして自らの手で自分の蝶の標本を1つ1つ潰していく
   のだった。
 
   ということは、のるまんじいも習ったはずなのだが、記憶の
   かけらすら残ってないのである。 
 
   現在でもほとんどの教科書に取り上げられ、今年の中1生も
   習うことになる。
 
   閑話休題。
 
   新校長は学校再建に取り組み、不良グループの中核と話を彼
   らの心にあったわだかまりを溶かしていく。佐藤先生、養護
   の原先生を中心に教職員も本気で取り組み始め、やがて学校
   が変わって行く兆しが見えてくる。
 
   最後に中3を送る会をすることになり、各級で催し物をする
   ことになり、平太のクラスでは、平太の提案で「カーニバル
   」をやろうということになる。これが本書の題名の由来にな
   る。
 
   石森延男さんに関しては、現在でもさまざまな評価がされて
   いるようだ。
 
   これに関しては専門に取り組んでいる研究者にお任せたい。
   門外漢であるのるまんじいが知ったかぶりするのは、よしと
   しない。 
 
   ただ全編を通じて石森さんがキリスト者としての愛を貫いて
   おられるのではないかと思うのだ。石森さんの経歴をインタ
   ーネットで調べても、平凡社の百科大辞典で調べようとして
   も石森さんがキリスト者だとは出てこない。
 
   が、
 
   著作の数々の題を見たり、『ふしぎなカーニバル』の中でも
   黒石市が生んだ秋田雨雀や口語歌人の鳴海要吉の兄のことに
   触れたり、次のようなところからのるまんじいは勝手に思っ
   てしまうのだ。事実と違っていたらお許しをいただきたい。
 
   学年途中で転任してきた千葉校長が、不良グループのひとり
   で、他の学校の校長職にある父親から長男と比較されて行き
   場がなくなって道が逸れてしまった星野からどうしても高校
   に進学したいと言われてこう言う会話の場面がある。
  
   「(略)山形県の山奥の、そのまた奥の高等学校だ。ここで
   は、先生も生徒も、いっしょにくらしている。食事も、入浴
   も、そうじも、みんないっしょだ。働きながら勉強している
   んだ。どうだね。こんな高校は?」
 
   「いいな。とても、いいな。きっとすきになる。」
 
   「大自然にいだかれて、そりゃけしきがいいぞう。ただし、
   いいかげんな気持ちじゃ、わしは推薦できん。信仰にもえた、
   すばらしい学校なんだからーー。」
 
   「校長先生、そこへ紹介してください。せわしてください。
   おねがいです。」
 
   「(略)東大の学長をしていたN先生やY先生も、この学校
   に行かれては、生徒にお話をしてくださっていた。」 
 
   以前知った基督教独立学園高校のことではないかと思う。素
   晴らしい学び舎だと思う。ただ、こちらも違ったらご容赦願
   いたい。 
 
   何だか素晴らしく(?)中途半端な紹介のように思うが、生き
   ることに悩んでいたり、心がすっきりしていない中を懸命に
   生きている、そんな中学生以上に一読をお薦めしたい。
 
 
   と、
 
   いつもならここで終わるのが通例だが、最初にも書いたが、
   この記事少しでも読めるようにと推敲を始めた。要は「切っ
   たり貼ったり、差し替えたり」だ。
 
   まあ、あっちにペタペタ、こっちにぺたぺたという作業の連
   続になった。
 
   そしたら出ちまったのだ、蛇足が。
 
   でも、その蛇足部分も“愛おしく”て捨てられない。   
 
   まずは思い出話から。
 
   はるか数十年も前の高校時代のことである。
 
   学校主催の講演会に講師として石森氏が来校するということ
   で心密かに期待をしたが、その講演が全然おもしろくなかっ
   たのでがっかりしたことを鮮明に記憶している。どんな内容
   だったかというと、これが皆目覚えていない。(汗)
 
   講演が悪いのではなくて、こちらのおつむがついていかなか
   ったのだろうな。きっと。
 
   ついでで恐縮ではあるが、同じ高校の講演会の講師として別
   の機会にお見えくださったのが当時、数学の『解法のテクニ
   ック』で有名だった矢野健太郎氏だったが、こちらはチンプ
   ンカンプンで時間の過ぎるのが遅くて辛かった記憶だけが残
   っている。記憶だけでも残っているならいいかあなんてひと
   りごとをはく始末である。
 
   ま、
 
   ということで、初めて本書『ふしぎなカーニバル』に出会っ
   たのは中学生の頃ではなかったかと思う。
 
   当時は星新一さんの「ショート・ショート」派、遠藤周作さ
   んの「孤狸庵」派そして北杜夫さんの「マンボウ」派なんて
   いうグループの輪を作っていたそんな雰囲気があって、自分
   の支持する人の本を中心に読んでいたのではなかったろうか。
 
   のるまんじいは断然、北杜夫さんを支持していて新刊本は必
   ず読んでいた(?)。『どくとるマンボウ航海記』(中央公
   論社/刊)から始まって『楡家の人々』・『白きたおやかな峰
   』(新潮社/刊)『幽霊』(中央公論社/刊)などを読んでいった。
 
   そんな若き日ののるまんじいが中学校の図書室で『ふしぎな
   カーニバル』に出会った。
 
   当時本書は1963(昭和38)年、東都書房刊の単行本だったと思
   われる。
 
   その後何かの機会を得て、角川文庫版で石森さんの『千軒岳
   』を読んだことがある。これも推薦させていただける1冊だ
   と思うが読み返してみないといけない。しかし、残念ながら
   石森さんの著作が書店に並ぶことはあまりなかった。
 
   結局、このおやじ何が言いたいのかね。
 
   ともかく以上である。最後までお読みいただいたこと心から
   感謝でいっぱいである。
 
   なお、碌山美術館に関しては、別立てで出したいと思う。平
   にご容赦をいただきたい。
 
   
 
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       碌山美術館のホームページです。
 
 
 
       http://www.rokuzan.jp/
 
 
 
        基督教独立学園高校のホームページです。
 
 
 
      http://www.dokuritsugakuen.com/
 
 
 
 
       黒石市が生んだ秋田雨雀の記念館のホームページです。
 
 
 
      
http://kuroishi.or.jp/sightseeing/akita
 
 
 
 
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       ふしぎなカーニバル
 
 
 
 
        石森延男児童文学全集 9
         
 
 
 
                                   
 
 
 
                 石森 延男/作
 
 
 
 
   
 
         
      
             1971年12月 初版 学習研究社刊
            
 
 
 
             学研出版サイトは
 
 
 
                 http://hon.gakken.jp/
     
   
 
   
   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
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「地平線の五人兄弟」

  • 2015.01.29 Thursday
  • 00:00
JUGEMテーマ:オススメの本



  【こんな一冊の本】
 
 
 
 
 
      地平線の五人兄弟 
 
 
 
                 
 
 
 
 
                 後藤 竜二/作
                 岡野 和/絵
 
 
 
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   今週【こんな一冊の本】としてご紹介させていただく『地平線の五人
   兄弟』は『天使で大地はいっぱいだ』『キャプテンはつらいぜ』を始
   めとしてたくさんの作品を世に送り出し続けた児童文学の世界で名高
   い後藤竜二さんの比較的初期(1969年)の作品だ。
 
   実は初版本がのるまんじいの本棚にずっとあった。ひっそりと手に取
   られることもなく。
 
   遥か彼方に埋もれた記憶の破片を拾い起こせば、父の知人から読むよ
   うに贈られたのではなかったかと思う。内容はその歳月のために欠片
   さえも覚えていなかった。
 
   だから、それではとその数十年という年月を経て、今回再読してみる
   ことにした。素直に言っておもしろかった。人間の逞しさを感じた。
   のるまんじいは実体験として分かってはいないけれども、今の時代に
   はない第二次世界大戦後の混乱した社会の中に取り残されながらも力
   強く生き抜いたあの戦争孤児たちのその逞しさが感じられた。
 
   差別され、無視されるという人間として一番辛い境遇に置かれた少年
   5人の物語である。それぞれが個性的で生き生きと描かれている。
 
   時は長い太平の世の眠りから激しく揺すぶられ幕府の余命幾ばくもな
   かった江戸時代末期。
 
   武蔵の国(現在の埼玉県と東京都)川越領の桜村では政情の不安も手
   伝って困窮をきわめていた百姓たちが近隣の4か村と図って世直し一
   揆を起こした。
 
   正しく命がけの“一揆”だ。
 
   打ちこわしが始まろうというその時、ことの次第を察知して慌てた藩
   の役人たちは農民たちの要求に対して「すべて願いを聞き届ける」と
   提示してその場をうまく収めた。
 
   退いたかとみせた藩側はその後施米を前年と同じ値で売りはしたもの
   の、その他の要求はことごく退け、その上農民たちが担ぎ上げた桜村
   の長三を首謀者として捕らえ引き回しの上、打ち首にした。結局は藩
   主と裏で通じていた名主が自分の保身のため長三を殺させたのだった。
   権力側の狡猾さを描き出している。
 
   この刑場の露と儚く消えた長三の6歳になる息子の剛(ごう)は父の
   処刑の一部始終を見届けた。
 
   この時から彼の表情が消え、憑かれた顔つきになった。それどころか
   ことばを失ってしまった。村人たちは剛が狂ったと噂しあった。実際
   に狂ったのは剛の母で肥溜めに顔を突っ込んで夫の後を追うように息
   絶えた。村人たちにとって英雄のはずの長三とその妻の遺体の埋葬も
   ままならず姉弟は困った。
 
   そればかりかとばっちりを恐れて2人を助けてくれる者は誰もなかっ
   た。世の無情さの荒波の中に放り出されたのだ。
 
   そんな時、名主が援助の手を差しのべてきた。父の死の真相を知って
   いた剛の12歳の姉のこすずは善人面をする名主の心を知っていなが
   ら剛とともに生きていくためにあえて厄介になることにした。もちろ
   ん朝から晩まで働かされるのを承知の上で。剛は外に出たときは村の
   子どもたちからとことんいじめられた。それでも、たくましく成長し
   ていった。
 
   翌年、父母の一周忌の夜、闇に紛れてふたりは名主の家を抜け出し、
   旅立った。
 
   こすずは両親の仇討ちばかりを考えていた。どうにか剛に剣を教えて
   その日を待とうとした。なかなか引き受け手はなく、さまよった。あ
   る道場で剛に「見切り」という剣の道でいう極意が身についているこ
   とをこすずは道場主から教えられ知ることになる。
 
   その老道場主から上総の篠崎村の福寿寺に住む山岡純一郎という男を
   訪ねるように勧められる。その日の夜更けに老人は佐幕派の一味に殺
   される。
 
   訪ねた山岡純一郎は仇討ちの無駄を諄々とこすずに説いて語ったが、
   やがて根負けして剛に修業をさせるのであった。
 
   2年後のある日、姉弟は置手紙をして寝たふりをした山岡の元を去っ
   ていった。やがて憎んでも憎みきれなかったあの名主を討つ時がきた
   。
 
   この時すでに世は徳川幕府から明治新政府へと変わっていた。しかし
   、あの名主はすでに中風を患って何も分からなくなっていた。それで
   もとこすずが短刀を振り上げた時、ことばを失ったはずの剛が「やめ
   てくれ」と叫ぶのであった。
 
   感動的一瞬である。
 
   剛は本懐を遂げるまで黙すことを誓ったのだった。
 
   どうしようもなく名主の家を出た2人を山岡が待っていた。2人は山
   岡とともに彼のおじの家に身を寄せた。やがて山岡とこすずは結ばれ
   ることになった。3年後子どもを身ごもったこすず夫妻のもとから剛
   は姿を消した。
 
   身一つで抜け出した剛だった。その剛は行く当てもない道でつぎつぎ
   と仲間となる同じような身の上の少年たちと出会う。六平太、譲(じ
   ょう)、栄二。それぞれが親に捨てられたり、身を売られたりと人間
   扱いをされていない少年たちだった。六平太のいなかの山形を目指す
   ことになる。
 
   山形の泉村で4人の少年を待ち受けていたのは、新政府の権力をかさ
   に着た薩摩出身の羅卒(警官)の凄まじい歓迎ぶり(?)という現実
   の過酷さだった。そればかりか官軍に殺された祖父の死を六兵太は知
   らされた。ついには屯所での拷問という冷たい仕打ちに4人はさらさ
   れた。終いに牢屋にぶち込まれ、そこで先住者の寅吉という男から牢
   屋から出たいのならと出所の仕方を教わり、その上で森谷五助を訪れ
   るように勧められる。
 
   首尾よく出所した4人は五助を訪ね、そこで先にいた元(げん)と名
   乗る少年とあわせて5人一緒に五助の養子になるようにいわれる。そ
   の方が生きていくのに都合がいいというのだ。これで5人の流れ者た
   ちはめでたく兄弟になったわけである。ここまで読んでいって、「あ
   れ?やっぱりそうだ」とその前からなんとなく『ブレーメンの音楽隊
   』の動物たちの出会いに似ているなあと感じていたのである。
 
   なお、元の先祖は朝鮮半島の出身で漁師をしていたところ捕まって佐
   渡金山に奴隷として売られたと出てくる。
 
   縁もゆかりもない者同士が一つの目標に向かって頑張るというところ
   に『ブレーメンの音楽隊』を何故か感じてしまったのだった。もちろ
   ん『地平線の五人兄弟』の方はとんでもない展開が用意されているの
   だが。
 
   もともと病床に伏せていた五助は死を迎える。五助の死後、5人は村
   人から言いがかりを何かとつけられて、村八分にあうことになる。小
   学校にあがったばかりの栄二も村の子どもたちから徹底的に差別とい
   じめにあう。それでも我慢しどおす。
 
   やがて5人は北海度への開拓を戸長から勧められる。剛はこの話を「
   北海道開拓の人柱」と呼ぶが、それを承知で受けた。戸長によるてい
   のいい村からの追放だっのだ。そればかりか後に知ることになるのだ
   が、このしたたかな戸長の目算はこればかりではなかったのだ。
 
   さて、仙台から貨物船に人夫として乗り込んだ5人はひどい船酔いの
   のちやっとのことで小樽に上陸する。そこで同じ開拓団として名古屋
   団体と知り合うことになる。そして別れ。
 
   石狩川を遡りながら剛は寒気の中思うのだった。、
 
   原始林、マラリヤ、大洪水、石ころだらけの土地、厳寒、熊、飢え、
   猛暑、冷害。あらゆる困難が、やみの中できばを鳴らして待ち構えて
   いるだろうが、いま、おれたちの行くところには、こざかしい〈人間
   〉というやつがいない。
 
   開拓地に到着した五人を待っていたものは予想以上の困難にほかなら
   なかった。人間はいないはずだったのに北海道開拓使との交渉、やが
   て対立。譲の出奔。
 
   はたまた河中組の土方としてタコ部屋に売られたというウパシッテと
   いう名のアイヌの少年との出会い。
 
   このウパシッテとの交流を通じて他民族との習慣や考え方の違い、差
   別を知っていく剛たち。そして芽生えた限りない友情。そしてまたウ
   パシッテとの壮絶な別れ。北の大地を舞台にドラマは大きく展開され
   ていく。はたしてどうなるのだろうかという期待に胸を躍らせながら。
   どうか最後まで休まずに読み通してほしい。必ずや少年たちの(実際
   には青年たち)大きなロマンを感じるはずだから。
 
   彼らが今風のことばで言ったならこう表現しないだろうか。
 
   「おとなたちは、どいつもこいつも腐っている!」と。
 
   ワクワク・ドキドキの連続。
 
   先年、映画で『北の零年』が公開されたが、この作品を見たりすると
   より作品理解が深まるだろうか。それこそ、小学生・中学生にとって
   自分だけの力で頭の中にビジュアル世界を構築するのはとても無理だ
   ろうと思う。なにしろのるまんじいとっても深く読み込むのは大変な
   作業だったから。いいや、おそらくは読み取れていないだろうから。
 
   そしてまた、同じ北海道の開拓民を描いた三浦綾子さんの『塩狩峠』
   や『泥流地帯』へと読書の幅を広げていけたらなお素晴らしいと思う
   のだが。
 
   この『地平線の五人兄弟』という壮大なドラマには後藤さんの大きな
   主張が全編を通して感じられる。
 
   今回はこの記事を書き始めてまもなく書いた紹介文なもので、感想が
   あまり書かれていない。まるで小学生の読書感想文のようなもので、
   恥ずかしくはあるが、『地平線の五人兄弟』という作品がよいこと。
 
   またのるまんじいにとってアーカイブスとして保存しておきたいとい
   う思いもあって今一度世に出すことにしたことをお許し願いたい。
 
   また、今回ほんの少しだが、推敲したことも書き添えておきたい。
 
   30数年前に書かれたとは思えない新鮮な感動を与えてくれた。ぜひ
   、お読みいただきたいと思う。
 
   
 
    
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     「りんごの花」
 
 
 
 
 
                  後藤 竜二/作
 
                  長谷川 知子/絵



          岡野 和の紙芝居刊行会

 
 
 
 
     
http://okanokazukamishibai.web.fc2.com/office1.html
 
 
 
 
 
     映画『北の零年』
 
 
 
 
     
https://www.youtube.com/watch?v=wSLtOsg9TgM
 
 
 
 
 
 
   ==============================================================
 
 
 
 
 
 
 
         地平線の五人兄弟 
 
 
 
                 
 
 
 
                 後藤 竜二/作
                  岡野 和/絵
 
 
 
 
   
 
         
      
             1969年 初版 新日本出版社刊
             
 
 
 
            新日本出版社のホームページは
 
 
 
            
http://www.shinnihon-net.co.jp/
 
     
   
 
   
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「ホリス・ウッズの絵」

  • 2014.12.24 Wednesday
  • 10:34
JUGEMテーマ:オススメの本


 
 
 
   【こんな一冊の本】
 
 
 
 
 
        ホリス・ウッズの絵 
 
 
 
 
 
             
 
 
 
               パトリシア・ライリー・ギフ/作
               もりうち すみこ/訳
                         
 
 
 
   ==============================================================
 
 
   
   
   メリ−・クリスマス!
 
           &
 
         ハッピー・クリスマス!
 
  
   この物語の少女、ホリス・ウッズにハッピーなクリスマスは
   やってきただろうか?
 
   そして彼女にとって、奇跡を主は用意してくださっただろう
   か?
 
   どうして、そんなことを聞くのかって?
 
   それにはいろいろ訳があって…。
 
   彼女の名前、
 
 
     ホリス・ウッズ
 
   は、本名ではない。直訳すれば、ヒイラギの森。
 
   さすがにアメリカでもそんな名前はないらしい。
 
   北東部のニューヨーク州ロングアイランドのとある、ヒイラ
   ギの森に。
 
   生まれて1時間もたたずに、毛布にもくるまれないで、置か
   れていた。
 
   他人はこれを“運命”と呼ぶのだろうか?
 
   そして、「何と可哀想な子だ」と。
 
   ホリス・ウッズはきっとそんなことばを拒むだろう。懸命に
   そして健気に生きてきた。
 
   山のように問題を起こす子だ、と言われながら次から次へと
   里親のところをたらい回しにされながら、きょうまで11年
   間も。
 
   でも。
 
   ホリス・ウッズにも家族ができるチャンスがあったのだ。
 
   するっと、両手から“幸せ”は抜け出てしまったけれど。
 
   リーガン家。
 
   一緒に過ごしたほんの僅かな夏。いつまでも続くとホリスさ
   え信じていたのに。神さまはまだホリスに試練を与えようと
   なさっていたのだろうか。
 
   生意気で12月26日に13歳になる息子のスティーブン。
   彼が「とっつぁん」と呼ぶ父親、そして母親のイージー。
 
   ホリスは1個年下の11歳。読んでいくともっと年上のよう
   に思えてくる。
   
   自然豊かなデラウェア川が流れるブランチズにリーガン家の
   夏の家はあった。
 
   その束の間の“幸せ”だった時間をホリスは封印した。誰に
   も話そうとしなかった。そればかりか、記憶から時間の流れ
   を消そうと必死だった。
 
   にも拘らずそうすればするほど、スティーブンの笑顔が、イ
   ジーやとっつあんのさりげない優しさが頭の中に浮かんでく
   るのだった。
 
   ホリスは小さいとき、<Wで始まることばで始まる絵>を探
   す宿題で「Wish」(願い)を書いたのに、先生には理解して
   もらえなかった。
 
   その絵をスティーブンにある時見せたら、瞬時に理解しても
   らえた。
 
   でも、運命は皮肉だ。
 
   だから。
 
   本書の冒頭は、ホリス・ウッズが新しい里親になる老いた女
   性彫刻家のジョージーのところを初めて訪ねるところから始
   まっていく。
 
   ジョージーと老いた飼い猫ヘンリーと円満な日々が約束され
   るはずだった日々にまたしてもひびが入り始める。
 
   ジョージーに「ぼけ」の症状が見え始めるのだ。やっと居場
   所を見つけたホリスにとってまた新しい里親のところに送ら
   れるのはたまったものではなかった。
 
   絵を描くことが大好きなホリスにとってジョージーとの日々
   は今までとは違った意味で刺激的なものだった。それが例え
   金銭的に裕福でない日々であっても。
 
   それだけではなかった。
 
   40年以上美術の教師をしていたというジョージーのいとこ
   のベアトリスからホリスは絵の才能を認められたのだった。
 
   他人からほめられることの“大きさ”や“効用”に人は気づ
   いているだろうか。自分が「かけがいのない存在」であるこ
   とを人から認められることの大きさを。
 
   「あなたの絵にはね、あなたがこの世界のなにを見ているか
   が表されているの。あなたがほんとうに見ているものがね」
 
   とベアトリス語り、更に
 
   「そうして時には、あなたに見えているものがあまりにも深
   くて、自分の見ているもが何なのか、よく意識できないよう
   な場合だってあるの。でも、それを絵に表して、よーく見れ
   ば、自分に見えたものがどんなものなのか、わかるのよ」と。
 
   このベアトリス、ジョージーをホリスに託して南西部へ旅立
   っていく。
 
   この後、とんでもないことがおっぱじまろうとしているのに
   である。それを書いてしまっては本書を読む楽しみが半減し
   てしまうだろうからことの発端さえもあえて書かないように
   しよう。
 
   今まで書いたことがどのようにからんで、きょうこの日、神
   の御子のお生まれになられた日と関係があるのかは本書を読
   んでからのお楽しみとしよう。
 
   なお、よく取られる手法だが、本書でも現在を「明朝体」で、
   リーガン家との日々を「教科書体」という活字で分けている。
   今回、ちょっとした違和感があって気がついた。
 
   閑話休題。
 
   本書に最初に出会ったのは以前ここで取り上げさせていただ
   いたシンシア・カドハタ作の
「草花とよばれた少女」(白水
   社/刊)と一緒に立教女学院中学校の入試問題
の素材文とし
   てだった。

 
   丁度、ベアトリスが中華料理をテイクアウトしてジョージー
   の家を訪れ、そこでホリスの絵の才能を見出す場面が登場し
   たと思う。
 
   これは読まなくてはと思った。
 
   年を取ったせいか、ラストシーン近くは涙が止まらなかった。
 
      「訳者あとがき」でもりうちすみこさんはお書きになってい
   る。
 
   デラウエア川が流れる本書の舞台は作者のパトリシア・ライ
   リー・ギフ氏幼い時代の子ども達と夏を過ごした場所だと。
   マンハッタンから車で片道3時間のところだそうだ。
 
   ちなみに本作品、『ホリス・ウッズの絵』はアメリカ合衆国
   における最も優れた児童文学の著者に与えられる、ニューベ
   リー・オナー賞授賞作品である。
 
   中学生以上向き。
 
   今から書店か図書館へ行って探してみられたい。クリスマス
   にぴったりの1冊になるに違いない。一読をお薦めしたい。
  
   
  
 
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      ホリス・ウッズの絵  
 
 
 
 
 
 
               パトリシア・ライリー・ギフ/作
               もりうち すみこ/訳
   
 
         
      
             2004年4月 初版 さ・え・ら書房刊
             
             
 
               さ・え・ら書房のホームページは
 
 
           
http://www.saela.co.jp/
     
   
 
   
   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
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「日本古典のすすめ」

  • 2014.10.31 Friday
  • 15:01
JUGEMテーマ:オススメの本

 
 
 
 
  【こんな一冊の本】
 
 
 
 
 
      日本古典のすすめ
 
 
 
   
 
                  岩波書店編集部/編
 
 
 
 
 ==============================================================
                
 
 
   
 図書館の「岩波ジュニア新書」コーナーにあったので手に取っ
 1冊です。今さら入門書でもあるまいに とのお声があるかと

 思うのですが、ここのところの「どういう風の吹き廻しか」
自分
 でもよくわかっていないのですが、ともかく読んでみたか
ったの
 です。

 
 いかにもといった感じのオーソドックスな入門書にちょっと見
 るでしょうね。

 
 岩波書店のサイトには、「『古典なんて古くさいし、姿勢を正
 て読むなんて窮屈だ』と思い込んでいませんか?」とありました
 
が、何百年という歳月を経ても残ってきたという作品の力強さ
 考えると、いやいやどうしてと思っているものですから。さ
あ、
 どうだろうか、それも楽しみにしようと思った次第です。

 
 さすれば。
 
 『万葉集』から始まって、『古今和歌集』『伊勢物語』『枕草
 』『源氏物語』とお約束のように続いていきます。それぞれ
各分
 野の専門家が懇切丁寧に書いておられます。中身はとって
もおも
 しろいですよ。といっても、のるまんじいが腰を据えて
向き合っ
 た本があったかといえば……ですが。(苦笑)。

 
 『枕草子』のところで「平安の三才女」を比較して筆者は、歌
 和泉式部、文章は紫式部と位置づけ、では清少納言はという
と上
 流の人を相手にした「対話の質の高さ」にあったとして、
もし清
 少納言が平成の世にいたら、テレビやラジオで大活躍し
ただろう
 と書かれています。

 
 清少納言のファンとしましては、なるほど、なるほどと頷いて
 ります(笑)。ちなみにここのところ『枕草子』“清少納言”
づい
 ております。

 
 次にですね、藤原公任(きんとう)が編纂した『和漢朗詠集』
 登場してきます。思わず、「ほほー」っと声を挙げてしまい
まし
 た。いいですねえ、『和漢朗詠集』ですか。おもしろいな
あ。こ
 の本は、漢詩を数編あげ、同じ趣向の和歌を添えるとい
う編集の
 形を採っています。のるまんじいは、幸いにして茶会
の床や展覧
 会で『和漢朗詠集』の歌切を目にする機会を何回も
持つことがで
 きました。それらは、まことに美しいものでした。
その「成り立
 ち」がわかって、うれしくなりました。

 
 『今昔物語集』『平家物語』『徒然草』ときて、室町時代の『
 吟集』が紹介されています。室町期は「能」「狂言」に目が
向き
 やすいようで、勝手に文学のエアポケットのように思いこ
みがち
 ですが、いやいやとんでもありませんね。

 
 「好き」か「嫌いか」優柔不断な男に「覚悟」をつきつける、
 んな歌を筆者は載せています。

 
 
   何をおしやるぞ せはせはと 上(うは)の空よなう
 
           こなたも覚悟申した
 
 
 (なにをせかせかと言うのかしら。おれの気持ちは上の空です
 て。なにバカなこと言ってるのよ、わたしはもう覚悟したか
らね)
 
 いやはやですね(笑)。
 
 そして、江戸時代に飛んで『好色一代女』『奥の細道』『冥途
 飛脚』とトントンと運び、本書は『雨月物語』で締めくくら
れて
 います。

 
 それにしても、時代が下った方がよりおもしろいと感じるのは
 るまんじいだけでしょうか?みなさんはどう感じられるでし
ょう
 か?

 
 ぜひ読んでみてください。
 
 なお、本書が千葉県の進学校の江戸川学園取手中学校や中央大
 文学部国文科受験生のための推薦図書になっていることを今
回知
 りました。思わず「へえ〜」でございました。

 
 中・高生以上向き(おとなの方にも読み応えあります)。どな
 にでもですが、楽しく読まなくちゃいけません。義務感で読
んで
 も身にはしみてきませんぞ。

 
 
 
 
==============================================================
     
 
 
 
     <岩波ジュニア新書>から取り上げた本
 
 
  

       「考古学の挑戦  地中に問いかける歴史学」
 
 
 
                      阿部 芳郎/編著 
 
 
 
    
  「星の林に月の船 声で楽しむ和歌・俳句」
 
 
                          〜声で楽しむ和歌・俳句〜
 

 
            大岡 信/編
 
 
 
        
「世界の国1位と最下位 国際情勢の基礎を知ろう
 
 
 
                   〜国際情勢の基礎を知ろう〜
 


           眞 淳平/著    
 
 
 
==============================================================
 
 
 
 
       日本古典のすすめ
 
 
 
 
   
 
                 岩波書店編集部/編 
   
 
         
      
             1999年6月 初版 岩波書店刊
             
 
 
 
             岩波書店のホームページは

 
 
             http://www.iwanami.co.jp/
     
   
 
  
  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
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「考古学の挑戦  地中に問いかける歴史学」

  • 2014.04.08 Tuesday
  • 00:49
JUGEMテーマ:オススメの本
 


  【こんな一冊の本】



  
考古学の挑戦
 
 
 

         〜地中に問いかける歴史学〜                         
 
 
 
                  阿部 芳郎/編著  

              
 

============================================================


  きょう4月8日はお釈迦さまの誕生日。灌仏会(かんぶつえ)
  
が行われるのですね。記事を書いてから思い出しました。

  
ところで。

  
ここのところ
「しらぎくさんのどんぐりパン」(なかがわち
  ひろ
/作 理論社/刊)からこっち俄然「どんぐり」に目覚め
  てし
まって、今回は以前掲載したものに加筆、訂正したもの
  を再
びUpせていただこと思いつきました。前回はまとめて何
  冊か
をご紹介させていただきましたが、独立させた形となり
  ます。


  
のるまんじいは武蔵野台地と呼ばれているところで生まれ、
  そ
して成長してきたのですが、この台地の地面から中期の縄
  文式
土器がずっと以前に発掘されたのだと小学3年生のころ
  社会科
の授業で習いました。

  
「へえ〜、そうなんだあ」と感心しまして、またその姿を実
  際
に自分の目で見ることで「独特のエネルギ−を秘めた」力
  強さ
に魅せられたものでした。勝坂式と呼ばれるものです。
  現在の
相模原市の勝坂遺跡から初めて発掘され、そこから名
  づけられ
た訳です。

  
また、この後、「国分寺崖線(がいせん)」が当時の縄文人た
  ち
にとってここから湧き出る“水”の大切な供給源であった
  こと
も知りました。

  
野川もその一部になるようですね。

  
知る人ぞ知るというといささか大袈裟ですが、同じ武蔵野の
  昭
島市の多摩川近くにある「くじら運動公園」という名前の
  公園
に遊びに行ったことがありました。その近くを通るJR
  八高線
の高架橋下から約160万年前のクジラの化石が1961(昭
  和
36)年に発掘されたところから「アキシマクジラ」と名づけ
  られたと聞
きました。太古の昔に、このあたりが海で、クジ
  ラの群れが悠
々と泳いでいたことを想像するだけで胸が躍っ
  たものでした。

  
「考古学」――「歴史時代」よりも遥か前の世界を追い求め
  る
学問だと考えて、随分とロマンを感じたものです。

  
それにしても「考古学」の発展には目を見張るものがありま
  す
ね。

  
今回、本書にふれてみて、のるまんじいは「ダメだあ〜!」
  と
早々にギブアップしてしまいました。のるまんじいに考古
  学は
やっぱり向いていないんだと再認識してしまいました。

  のるまんじいには、年代測定にあたっての放射性同位元素の
  話とか
質量分析器、ガスクロマトグラフィーがどうのと書か
  れてもちんぷんか
んぷんでありまして(苦笑)。

  
こりゃあもう「理系」の分野だ!と改めて知って、そそくさ
  と
尻尾を巻いてしまったという訳です。そりゃそうですよね、
  地
中に遺されたものからでき得る限りあらゆる情報を読み取
  るの
ですものね。そこで思い出したのが、テレビ番組の『科
  捜研の
女』でした(笑)。

  
ジュニア新書ですから、おそらく、中学生、高校生が読者の
  対
象層として考えられているのでしょうが、内容的には決し
  て易
しく語られてはいません。しっかり硬いです。

  
白旗をあげたのるまんじいとしましては、縄文時代がその昔
  い
われていた「狩猟採集社会」というよりは、「採集狩猟社
  会」
であったという方が正しいという筆者の主張に関心がい
  ったの
です。

  
その昔、日清食品のカップヌードルのテレビCMで原始人が
  マ
ンモスを追いかけ、最後に“Hungry?”と流れる傑作があ
  った
のをみなさんは覚えておいででしょうか?

  
その原始人たちの動きのおかしさと最後の「視聴者への呼び
  か
け」が絶妙で笑ったものでした。そこでも、「狩猟」が前
  面に
出ているのでした。もしご存知でなかったら「You Tube」
  でご
覧になってみてください。今でも、そのおかしみは健在
  ですか
ら。

  
わたしたちは、「稲作耕作社会」の弥生時代に対して「狩猟
  採
集社会」と学校の授業で習ったのだったように思います。
  特に
狩猟中心だったので、いつも食べものを口にすることは
  できな
かったのだと。腹を空かして狩りに出かけるひもじい
  姿をそこ
に連想しなかったでしょうか?「空腹の遺伝子」を
  私たちは今
でも伝えてきているとも何かに書いてありました
  よね。

  
ところが。

  
本書によると縄文人たちは当時の日本に多く自生していた「
  ド
ングリ類」をじょうずに「採取」「保存」、そして「調理」
  し
て食していたとあります。

  
大丈夫!“どんぐり”は食物として太古から連綿と愛され続
  け
てきたのですね。今でも、“どんぐり”を食用としてはた
  また
飲みものとしていることも知りました。それについては、
  また
別の機会に書きたいと思います。

  
現在でも食べられている「トチ餅」の人気は、数千年にわた
  って主
食となっていたトチへの味覚が、日本人のDNAの中
  に残って
いるからかも知れないともありました。これ、とっ
  ても興味深
いですね。「トチ餅」をネットで検索するとある
  はあるはたく
さん出てきますね。ああ、食してみたい。

  
ここで別の「ある種(しゅ)」の実を食べるということも思い
  出
しました。これについても、後日また。

  
『考古学の挑戦』という本書の題名にも着目をして読んでほ
  し
いと思います。

  
なお、最後に筆者は「あとがき」で「知ろうとすることの大
  切
さ」について書かれています。これは、今を生きる中・高
  生の
みなさんに宛てたメッセージではないでしょうか。とす
  るなら
ば、そこに込められた意味をしっかりと受け取ってほ
  しいです
ね。

  
中・高生以上向きではありますが、いやいやおとなの方にも
  十
分読み応えあります。のるまんじいは半分「白旗」を挙げ
  まし
たが。

 
 
==============================================================

 
 
 
    勝坂式土器 画像 こちらから検索してみてください
 
 
    
http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E5%8B%9D%E5%9D%82%E5%BC%8F%E5%9C%9F%E5%99%A8
 

 
    国分寺崖線については
 
    
http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/kenchiku/keikan/keikaku10.pdf#search='%E5%9B%BD%E5%88%86%E5%AF%BA%E5%B4%96%E7%B7%9A'
 
 

    日清カップヌードルのCMは
     
     
http://www.youtube.com/watch?v=DmOGZ7p2Gko
 
 
 
        白山名物 栃餅 志んさ  栃の花が見られます


     
http://www.shinsahonpo.co.jp/
 

 
    浜松市 小松屋製菓さん 栃だけでなく
 
 
     
http://5028seika.com/
 
 
 
 
  ===========================================================
  
 
 
 
    考古学の挑戦
 
 
   
         〜地中に問いかける歴史学〜                         
 
 
 
                  阿部 芳郎/編著 
 
 
               2010年6月 初版 岩波書店刊
             
 
             岩波書店のホームページは

 
             
http://www.iwanami.co.jp/  
 
   

   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
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「夏のページ」

  • 2013.07.24 Wednesday
  • 00:00
JUGEMテーマ:オススメの本

 

 

 

  【こんな一冊の本】

 

 

 

 

        夏のページ  

 

 

 

                                 みなみ らんぼう/作

                 黒井 健/絵

 

 

  =============================================

 

 

  小6の夏休みってどうしてあんなに特別な存在だろうか?

  まだまだ
子どものはずなんだけど、すでに今までとはちょっ
  とばかり違って
いて、視線の先にはもう子どもじゃない「少
  年」という入り口が待
っている。そんな微妙な予感があって
  。

 

  昔の男の子だったなら、この夏休みが半ズボンで過ごせる最
  後のと
きだと、変な気負いのようなものを肩で感じていたり
  したものだった。「今年の
夏が、最後だな」って。

 

  学校でも、だってそうだった。誰もあまり通らないようなほ
  んのわず
かなすき間の、階段の段の違うところでとか、放送
  室のあの
独特の滞った空気と匂いがする空間で、こんな問い
  かけが交わされ
たものだ。

 

  「ねえ、だれか好きな女の子いる?」って。聞いてくるのは
  、きま
ってクラスのおしゃべりな女子だったな。うかつな答
  えでもしよ
うものならまたたく間にクラス中にいやいや学年
  中にその答えが広
まること間違いなく鬱陶しいものだった。

  だからといって、そんなことだって話し
かけられないよりい
  いに決まっていると心の中で納得した自分がい
たのもそんな
  微妙なバランスの上にいたころだった。(笑)

 

  そんなほろ苦く、そしてまた甘酸っぱい思いを甦らせてくれ
  たのが
今回ご紹介させていただく、みなみらんぼうさんの作
  品『夏のペー
ジ』である。

 

  赤駒岳、明神岳を身近に見晴らす春原(すのはら)という町
  に住ん
でいる小6の松本一平が主人公。一平がお互いに弱点
  を補完するよ
うな、そして変わらない友情を感じている吉本
  太平洋(ひろし)、また
工藤兵馬が脇をがっちりと支えてい
  る。あっけらかんとして
行動してから考えるようなそれでい
  て泣き虫の太平洋。心が広く大
きな人間になるようにという
  親の思いに身体だけが大きくなっちゃ
った感じ。一平はいつ
  もこの太平洋が引き起こす事件に巻き込まれ
てしまう。

 

  一方の兵馬は冷静沈着、ものしり、リーダー的存在で秀才タ
  イプ。
だからといって人間味がないというのではない。剣道
  に秀で文武両
道を行く。この夏は私立中学受験をめざして夏
  期講習に家庭教師に
となんやかんやというそんな状況にある
  。

 

  一平はどうもこのふたりの中間的などっちつかずの存在とい
  ってい
いだろうか。煮え切らない自分をどうしたいのか、何
  をしたいのか
もやもやとあえいでいるようなそんな男の子。
  それこそ先に言った
まさしく小学6年生だ。太平洋の軽はず
  みな悪戯にうかうかと乗っ
かってしまってあとでやり切れな
  い自己嫌悪に陥ってしまうのも同
じかもしれない。

 

   

  太平洋が起こして一平がほいほいと迂闊にも乗ってしまった
  事件は
読者のみなさんのお楽しみとしてとっておくことにと
  して。

 

  3人にはこの夏休みにやろうと前々から話し合っていた計画
  があっ
た。5年生の時の担任の佐々先生が赤駒岳登山中に落
  石に遭って命
を落としたは夏休みのことだった。佐々先生を
  慕っていた一平3人
たちは先生の一周忌を赤駒岳の斜面を見
  晴るかすことのできる標高
1590mの明神岳で過ごそうという
  のだった。

 

  これはまた、小学校をやがて卒業しようという親友3人の友
  情の証
になるはずだった。兵馬はこれが3人で過ごせる最後
  のイベントだ
と考えていた。それは一平にしても太平洋にし
  ても同じだった。

 

  さて。

  
朝、4時ににれ公園に集合して自転車で途中まで行って、最
  後は徒
歩で登るという3泊4日の旅程であった。

 

  と、書くととっても格好がいい。いいのだけれど……。

  
ここからはのるまんじいの悪いくせ。そう知っていながら書
  くので
どうかお許しを。

 

  というのもそんな1500m級の山にテントやコッフェルを持っ
  て小
6の男の子たちが3泊4日でアタックするのって、いく
  らなんでも
現実的じゃあないなあって思った。「兵馬が一緒
  なら」と一平の親は
許してくれるのだけれど、兵馬が山登り
  に長けているとはどこにも
書いてなくて。これが中3か高校
  生ぐらいのワンゲル部のにいちゃ
んでも一緒だったらまあ無
  理はないんだけど、その辺の経緯が
触れられていないのが残
  念だと思う。

 

  山登りのスペシャリストといっても過言ではないらんぼうさ
  んのこ
とだから、そこは計算に入れているだろうし。また、
  そういう小6
のトリオだからこそ、後半でとんでもないドラ
  マに巻き込まれてい
くんだけどね。山登りの描写に関しては
  さすがらんぼうさんという
ようなご自身の経験をふんだんに
  散りばめて書かれておいでのよう
で、楽しい。

 

  3人のはじめての夜のテント生活がいきいきと描かれ、小学
  生の時
にこんな経験をするのも楽しいだろうなと思わせてく
  れる。テント
を張るときにしっかり側溝を掘っているし、カ
  レー作りも飯盒での
ご飯炊きもうまい(と思う)

 

  穴を掘っての簡易トイレ作りに触れているのもアウトドアラ
  イフに
慣れているらんぼうさんだからだろうし、これを読者
  たちは読んで
新鮮に感じるだろう。そこで、さらに横道にそ
  れさせていただこう。

 

  
  東京新宿区にある名門の男子校の早稲田中学では毎年中1を
  対象と
して林間学校を開催するが、そこでこの場面に出てく
  るようなトイ
レで子どもたちは用を足すんだそうである。野
  外でパンツ下ろすな
んて、なかなかできないんじゃないかな
  あ。やったら最高に気持ち
いいだろうけど(笑)。草がお尻
  にチクッチクッと当たって「こそ
ばい」というコメントを何
  かの雑誌で読んだことがある。今どきの
小学生たちは水洗ト
  イレでなくては出るものが出なくて「ピ」にな
ってしまうん
  だそうで。こんな「野ぐそ」の経験なんて素晴らしい
と思う
  。今はやっていないかも知れないし、もしかしたら学校を間
  違って記憶し
ているかも知れない。間違っていたらご容赦い
  ただきたい。

  
のるまんじい、早稲田中学結構好きなもので。

 

  翌朝は、大雨に起こされるという「えらいこっちゃ」のスタ
  ート。
とんでもない天候の中をひいひい言いながら上り道を
  自転車で、あ
えぎあえぎしながら、小さいとき太平洋の世話
  をしてくれていた吉
乃おばさんの家を目指す。

 

  この家でしっかり休んだ後、一晩過ごそうとする洞穴を探し
  に出発
する。洞穴のところで佐々先生の後輩という町田先生
  と出会う。町
田先生はバルキテリウムとやらいうサイの先祖
  の化石を探しに身重
の奥さんと来ていた。洞穴に泊まるのは
  、鉄砲水が出ると危険だとい
うことで町田先生のプレハブつ
  くりの作業小屋に厄介になることに
なった。

 

  そして翌朝、いよいよ3人は明神岳を目指して登ることにな
  るのだ
が、山霧に包まれたり、台風の接近でとんでもないこ
  とになったり
、挙句の果てにわれわれおとなでもまず体験で
  きないような予想で
きないことを迎えることになる。ここか
  らが特におもしろくページ
を繰るのが早くなっていくのだが
  、あらすじのご紹
介はこの辺でやめるのがよい。

 

  最後に、ヘリコプターにも乗れた一平、兵馬、そして太平洋
  もぐっ
と精神的に大きくなって家のチャイムを鳴らしたこと
  だろう。

 

  この本を読み出して、のるまんじいは勝手に八ヶ岳の連なり
  を頭に
描いていた。しかし、ここに登場する赤駒岳も明神岳
  も意外にも架
空のものだったのだ。正直「ええーっ、そんな
  あ」だったが、こう
なったらと八ヶ岳を思い浮かべながら読
  んだ。

 

  今ごろ縞枯山や蓼科の風景はどんなだろう。麦草峠は…。

 

  この本の巻頭に詩が載っている。そこには薄紙を隔てて黒井
  健さん
の手になる夏の山なみの下、自転車のペダルをこぐ3
  人の絵を淡く
透けて目にすることだろう。

 

 

       夏が列車に乗って帰る

       うつむいてるひまわりに内緒で

       摘みとったほうせんかの甘い夏は

       君の手から未来にはじけただろうか

       澄みきったみずうみ

       光浴びて空をすべる

       赤トンボのまぶしさ

       もう君はふり返らない

       胸の中に匂いたつ夏のページ


  
なお、この作品は1990(平成2)年に映画化されている。

 

  時空を超えた「永遠の夏」があなたを誘っている。みなみら
  んぼう
さんの小説処女作を今週はちょっぴりおませな小学生
  、中高生の諸
君とおとなであるあなたにお薦めしよう。

   

 

   


 
   ================================================

 

 


      早稲田中学校のホームページは

 

 

http://www.waseda-h.ed.jp/

 

       

     ================================================

                      

 

      麦草ヒュッテのブログです 画像がいいです

 

 

http://mugikusa.com/blog/index.html

 

 

    ================================================

 

 

バルキテリウムとは

       

       http://biggame.iza-yoi.net/Pleistocene/Baluchitherium/Baluchitherium.html

 

 

 

    ===============================================

 

 

 

          夏のページ  

 

 

 

                 みなみ らんぼう/作

                 黒井 健/絵





                    
19887月初版     サンリオ刊
                     
19905月2刷

 

 

        サンリオのホームページは

 

         http://www.sanrio.co.jp/index.html

 

 

   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆       
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「モギ ちいさな焼きもの師」

  • 2012.11.07 Wednesday
  • 08:20
JUGEMテーマ:オススメの本
 

 

 

 

  【こんな一冊の本】

 

 

 

       モギ             

                   

   
         〜ちいさな焼きもの師〜  

 

 

リンダ・スー・バーグ/作

片岡 しのぶ/訳

藤川 秀之/絵 

 

      
 ================================================

 

        

 

 “モギ”という名前の少年がいた。

 

 “モギ”とは韓国語で中華料理の食材として使われる「キクラゲ」
 
を意味するんだそうな。本当の名前がどんなんだったかはモギ自
 身
にもわからない。両親のことはかけらも覚えていない。

 

 モギはソンドに両親と住んでいたらしい。物心つく前に、両親が
 熱病で死んでしまった。チュルポという海辺の村にいるおじさん
 を頼って知り合いにはるばる連れて来てもらったが、そのおじさ

 んも既にいなかった。

 

 そこで、ちょっとの間だけということで、橋の下に住んでいるト

 ゥルミという名のおじいさんの厄介になることになった。トゥル

 ミとは「鶴」のことで、おじいさんは片足が不自由だったので、

 そう呼ばれていた。

 

 そのちょっとの間が、すでに10年を越えていた。

 

 韓国では、今でも挨拶の時、「腹いっぱい食べたかね?」と相手
 に問い
かけるんだそうだけど(なんて温かいことばなんだろね)、
 貧
しかったトゥルミじいさんとモギはお互いに「たーんとおなか
 空かしているかい?」とあべこべの言い方を考え出して、
慢性の
 腹ぺこ状態を笑いぐさにしていた。

 

 その日をどうやって生きていくかだけを考える日々だった。それ

 でもトゥルミじいさんからモギはたくさんのことを教えてもらっ

 た。

 

 その中でも、「盗みと物乞い」だけはしてはいけないとトゥルミ

 じいさんから口癖のように言われていた。

 

 モギは自分が人並みに扱ってもらえないくらい身分が低いことも

 知っていた。村人はモギがそこにいても、まるでいないような接

 し方をした。つまり、無関心、無視という人間にとって今でも一

 番つらい扱いを受けていたって訳だ。

 

 でも、貧しいけど、ふたりとも幸せだった。

 

 モギやトゥルミが生きていたのは12世紀後半。

 

 12世紀後半といえば、日本では貴族が栄えた平安時代から武家

 政権の鎌倉時代へと移っていくという社会が不安定なころだった

 と思いつく。

 

 モギが懸命にその日その日を生きていたのは、朝鮮半島が「高麗

 」と言っていた頃だった。

 

 そんなモギの楽しみといえば、村の焼きもの師のミンが轆轤(ろ

 くろ)を回す日を知っていて、ミンの作業を誰にも見られないよ
 
うにそっと観察することだった。知られたら、追い払われるのが
 落ちだからね。

 

 チュルポは焼きものの村。当時、チュルポの陶工たちが作り出す

 青磁の繊細な美しさは国内ばかりか、中国にまで知れ渡っていた。

 

 ある日のことだった。

 

 モギは、窯入れ前に乾燥させてあるミンの完成品が気になって、

 気になって仕方なく、つい家の中に入ってしまった。そこをミン

 に見つかり、泥棒と間違えられたばかりか、作品を1つダメにし

 てしまった。弁償する金などあるわけがなく、働いて返すとモギ

 は申し出た。9日間無償で働くことになった。

 

 自分が轆轤を回すところを想像していたモギを待っていたのは、

 終日、山まで行って薪拾いをしてくることだった。思ったよりも

 それは重労働だった。長い時間、斧を使って、右の手のひらにで

 きた水ぶくれも破れた。血も出た。痛い。辛い。思うようにでき

 ない自分にモギはいらついた。

 

 トゥルミじいさんは疲れきって食欲も出ないモギの様子を見て心

 配したが、何も言わずに、まるで赤ちゃんのように食べもの口に

 入れてくれた。翌日からは、モギのために野草とゴミ捨て場から

 拾ってきた骨でなんとか食べるものを作ろうとしてくれた。

 

 約束が済んだ翌朝。モギはミンにこのまま働かせてもらえるよう

 頼み込み、受け入れてもらった。これはモギが人間として存在を
 
初めて認められたということだった。その日からモギを待ってい
 たのは「粘土」運びだった。これまた、慣れない者にとってはと
 
てつもなく厳しい仕事だった。

 

 ではあったが、これが焼きもの師「モギ」の誕生だったことは間

 違いない。そしてこの日から、雇われ人になったモギにはありが

 たいことに昼ごはんが用意されることになった。

 

 白い米の飯、焼いた干物、白菜キムチとおかみさんが出してくれ

 るのはつつましい物だったが、モギにとっては「王様のごちそう

 にも負けないもの」に思えた。

 

 モギは自分の昼ごはんを半分だけ食べて、残りをトゥルミじいさ

 んのために取りおくことを思いついた。いつからか、残しておい

 たお昼が帰るときにはいっぱいになっていた。それがおかみさん

 の心遣いであることに気がつかないモギであるはずがなかった。

 

 土を水で漉す作業も大変だった。何度も何度も繰り返した。これ

 以上漉せないぐらい土がきめ細かくなったものに木灰を混ぜたも

 のを釉薬として使った。

 

 早く轆轤を回してみたいと思っていたモギだったが、半年たって
 
も轆轤の前に座ることをミンは許さなかった。いつになったら焼
 
きもの師になれるのかモギは不安になった。

 

 そんな時。王室の使者が御用焼きもの師を指名するためにやって

 くるという知らせが村中を走った。

 

 御用焼きもの師になることは、焼きもの師として最高の名誉が与

 えられるだけでなく、経済的にも楽になることを意味していた。

 ミン親方も早速自分が持っている最高の技法を駆使して献上のた

 めの焼きものに取り組むのだった。

 

 さて。

  
 その後、ミン親方はどうなるのだろうか。そしてまた、モギが一

 人前の焼きもの師になる日はやってくるのだろうか。

 

 トゥルミじいさんはどうなるのだろうか。

 

 いつもにくらべてあらすじが長くなってしまった。これ以上、続

 けると「ネタバラシ」をしてしまいそうだから、この辺でやめて

 おくことにしよう。

   

 のるまんじいは、何年か前に本書『モギ 〜ちいさな焼きもの師

 〜』という本があることを知った。「陶芸」にも、いささか関心
 が
あるので、すぐに読むはずだった。それがである。作者の名前
 を
みて、「あれ〜?舞台は韓国なのに、違うのかい?何か興ざめ」
 と
早とちりをして、そのまま「読みたい本」のリストに入れっぱ
 なし
にしてしまった。

 

 今回調べてみたら、作者のリンダ・スー・バーグさんは所謂、韓

 国系アメリカ人でらして、ご両親のふるさと韓国を舞台に作品を
 
紡がれているそうで、「だったら、すぐに〜」と相成った次第で
 あ
る。(笑)考えてみれば、作者のパークさんのファミリー・ネ
 ーム
が朴(パク)さんじゃないかなぐらい気がついてもよかった。

 

 読む前から、内容は地味だろうなと思っていた。これは、予想に

 違わなかった。出だしは読みにくく感じた。でも、ここは我慢の

 しどころという気持ちで臨んでいった。そうしていると、いつの

 まにか物語の世界にどっぷりとつかりこんでいる自分がいること

 に気づくのだった。

 

 そうそう、地名に関してだが、物語に登場してくるソンドは現在

 の開城(ケソン)のことだそうで、北緯38度線よりも北に位置
 している。また、チュルポは現在の全羅北道にある。

 

 そして、後半、モギはある理由でソンドに旅立つことになるが、

 その途中、峠越えをして振り返って見えた盆地が現在のソウルで

 あると訳者の片岡さんはあとがきで書いている。この本の、藤川

 秀之さんが描いた表紙絵の荷を背負って右手を翳しているモギの
 姿はま
さにこの場面ではないだろうか。

 

 また、この旅の途中、モギはトゥルミじいさんから勧められて、

 <落花の岩>を見に行く。その昔、百済(ペクチェ)の都だった

 扶余(プヨ)が新羅(シルラ)に攻められたとき、時の王宮の側

 室や腰元たちは敵将に捕まることを潔しとせず、高台から川へと

 わが身を投げたのだった。その様を散り行く花に例えた。

 

 ここまでお読みいただいて、「あれっ?」と思われるのは、のる

 まんじいと同年代かあるいはそれ以上の方だろうか?そう、昔む

 かしの社会科の授業で、「白村江の戦い」を習ったのだった。こ

 の「白村江」を「はくすきのえ」と覚えたけれども、今はどうな

 んだろう。

 

 ところで。

 

 本書に取りかかるすぐ前に、内田康夫さんの『壷霊』を読んでい
 
た。その中で「紫式部」という銘の「高麗青磁」に出会ったのだ
 ったが、今回もまた「高麗青磁」とあいまみえることになった。

 

 表紙を繰るとそこには韓国の国宝「青磁象嵌雲鶴文梅瓶(せいじ
 
ぞうがんうんかくもんめいびん)」の写真が載せられていた。正
 直
驚いてしまった。ここで「高麗青磁」に出会うと思っていなか
 った
からだ。

 

 この物語の前には、山本兼一さんの『利休にたずねよ』を読んだ。
 この『利休にたずねよ』には、内なる激しさと
厳しさを含む衝撃
 を受けたので、いずれお薦めの1冊にしようと
思っているが、こ
 こでは「青磁茶碗」の「狂言袴」が登場してく
る。この「狂言袴」
 も象嵌で風情のある茶碗になっているのだ。

 

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「マルコヴァルドさんの四季」

  • 2012.09.12 Wednesday
  • 07:30
JUGEMテーマ:オススメの本

 

 

 

 【こんな一冊の本】

 

 

 

 

    マルコヴァルドさんの四季      

 

 

 

 


              イタロ・カルヴィーノ/作

              関口 英子/訳

              セルジョ・トーファノ/絵

     

 

 

  
 ================================================

 

 

   
 
マルコヴァルドさんは、イタリアに住んでいる。

 

 それも、思いっきりの都会に。

 

 マルコヴァルドさんは、おっさん。あなたがあたりを見やれば
 ひょいと視界に飛び込んできそうな、どこにでもいそうな、
それ
 でいてちょっととぼけていて、どことなくメランコリック
なそん
 なおっさん。

 

 「そぼくな心の持ち主」で都会の「高貴な野蛮人」だと作者の
 ルヴィーノさんは書いている。

 

 でも。

 

 そんなおっさんはSBAV(ズバーヴ)という名前で、どんな
 とをしているかは、よくわからないけどともかくその会社で
作業
 員か力仕事をしている。安い給料でこきつかわれ、その上
なかな
 か思うように休みも取れないでいる。いつだって借金の
返済が大
 変で、心はずっと晴れないでいる。

 

 くたくたに疲れて半地下の狭くてぼろいアパートに帰ってくれば、
 おくさんとまだ小さい2男1女のにぎやかな(うるさくて
心休ま
 らない?)家族が待っている。

 

 マルコヴァルドさんがこの街で目にするのは、どれも意地悪で
 つくりものの、人工的な暮らしに合わせた自然ばかり……。

 

 マルコヴァルドさんは、あまり都会の暮らしにふさわしくない
 をしていた。

 

 (そんなところへどうして出てきたんだろう。夢を抱いて出て
 きたものの、現実は違っていた……。よくあるそれかしら。)

 

 この都会から逃げ出すことができない「よそ者」であるらしい。

   

 マルコヴァルドさんがいつも気にしていたもの、目を追ってい
 ものは無味乾燥とした都会の中にあるほんのちいさな自然の
かけ
 ら。

 

 そのかけらたちに目をやると、いろいろな考えがひろがってゆき、
 季節の移り変わりや、自分が心から望んでいること、自分
がどん
 なにちっぽけな存在かといったことに、マルコヴァルド
さんは思
 いをはせるのだった。

   

 春。

 

 厳しかった寒さからやっと解放される季節。

 

 待ちこがれていた優しい陽のひかり。川のせせらぎ。

 

 花は咲き乱れ、鳥は歌い、動物たちは……。

 

 そんなロマンチックなことが、薄汚れた都会の喧騒のどこにあ
 ってえのかい?

 

 人々は、きょうも表情の乏しい顔でうつむきながら足早に歩い
 行く……。               

   

 そんな中で。

 

 春を感じるのは、よその土地の花粉でくしゃみを連発してしま
 花粉症の人のように、感じやすい心を持った、ほんのひとに
ぎり
 の人たち。

 

 そして。

 

 路面電車を待っている時、大通りに沿った花壇に、キノコが頭
 のぞかせているのに気がついたマルコヴァルドさん………。

 

 人びとは、ともすると“花より団子”を愛する。いやいや、の
 まんじいなんか間違いなく“団子”を愛する
()

 

 キノコのフライを家族に食べさせてやれる!

 

 有頂天になって、「キノコがどれも素晴らしいこと」「とても
 リケートな味であること」を家族に話して聞かせられると想像し
 た。

 

 でも。

 

 マルコヴァルドさんと同じことを考えている人がいて。うわぁー、
 やばいなあ!誰かに先を越されて全部採り尽くされるので
はない
 かと思うと、もう心配で、心配で。

 

 それがだ。急に他人を思いやる心になったマルコヴァルドさん
 道を行く人みんなにいっしょにキノコを採ろうと呼びかけた
のだ
 っだ。みんなは大喜びでてんでにキノコを持って家に帰った。

 

 それで。

 

 みんな、その晩、同じ病院の大部屋で鉢合わせ。なんでって。あ
 のキノコが毒を持っていて。食べたみんな胃
の洗浄をする羽目に
 なったんだもの。   

 
また、ある秋のこと。

 

 マルコヴァルドさんは、出費をおさえるために、お弁当を持っ
 会社に行くことにした。ご存知の通りイタリアやスペインの
人た
 ちは、お昼になると1度家に戻ってごはんをゆっくりして
、それ
 からひと休み(シエスタ)をしてから仕事や学校に戻る
んだそう
 だが。

 

 食べることが大好きなマルコヴァルドさんにすれば、泣く泣く
 ことだろうけどね。

 

 それにしても、おくさんの作ってくれた弁当というのはいいけ
 ど、残り物の冷たくてあぶらっこい犬の肉のソーセージとカ
ブが
 入ったお弁当なんか、手をつけたくない。ええっ!イタリ
アでも
 犬の肉を食べるの?

 
食の進まないそんなマルコヴァルドさんを窓から見ていた男の
 が声をかけてきた。

 

 「ぼく、牛の脳みそのフライ食べなきゃいけないの……」

 

 なんとうらやましい!牛の脳みそのフライだなんて!

 

 そこで、ソーセージが大好きでたまらない男の子と、あのソー
 ージと大人げなく取り換えっこをして、ふたりとも大満足!でも、
 そこ
に男の子の養育係が現れて大騒ぎになって。

 

 蓋がしっかりしまらなくなった弁当箱だけが、マルコヴァルド
 んの手に残った。

 

 とまあ、こんな具合に、春夏秋冬それぞれ5話ずつのお話が本書
 
には載っている。どこから、どんなふうに読むもそれはあなたの
 
自由。

 

 このお話は1952(昭和27)年から書き出されて、63(昭和38)年に
 結したものだということ。そんなこと知らないで読めば、ま
るで
 現代のお話のようで驚いてしまう。

   

 だって、「ごくありきたりの食べものにも、危険や偽装や悪意
 ひそんでいる、そんな時代のことでした」なんてあるんだも
の。

 

 ともかく。

 

 この本は、1968(昭和43)年に岩波書店が安藤美紀夫訳で出版した
 ものを、この度“改訳新版”として、関口英子さんによっ
て新た
 に訳され、岩波少年文庫から現代っ子の前にお目見えし
た。

 
ただ、

 

 おそらくであるが、小学生たちにとっては、とっつきにくい物
 だろうと思われる。表面だった派手さは決してなく、強い吸
引力
 も感じられないようだから、途中で飽きちゃってポイって、
そん
 な様子が見えてくる。『マルコヴァルドさんの四季』を読ん
で楽
 しかったと言ってくれるのは、それはおとなの洒落がわか
るちょ
 っとおませな小学生たちだろうか。

 

 でも、それじゃあもったいない。おとなのわれわれでも十分楽
 める1冊だと思うし、中学生の君たちにこそ読んでほしい。

 

 一読をお薦めする。

 

 

 ==============================================

 

 

 

  マルコヴァルドさんの四季      

 

 

 

 

               イタロ・カルヴィーノ/作

               関口 英子/訳

               セルジョ・トーファノ/絵

   

 

         

      

             2009年6月 初版 岩波書店刊

             

 


 

            岩波書店のホームページは

 

       http://www.iwanami.co.jp/

 

   

 

  

   
 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
   
  ===============================================

 

 

 

  

  

「星の林に月の船 声で楽しむ和歌・俳句」

  • 2012.08.22 Wednesday
  • 07:33
JUGEMテーマ:オススメの本

 

 
  【こんな一冊の本】

 

 

 

 

        星の林に月の船   

 

 

       〜声で楽しむ和歌・俳句〜

 

 


 

                  大岡信/編

  

 

 

    
 ================================================

 

   

   

 

 「万葉集」――

 

 奈良時代に大伴家持らが中心になって編纂したといわれる日本
 古の和歌集で、20巻約4500首の和歌を収めている。

 

 天皇、貴族から下級役人、防人まで幅広い階層の人びとの和歌
 載っているところが、それ以降の歌集とは違うのだという。

 

 そして

 

 この歌集には、「長歌」「短歌」「旋頭歌」などが、当時はま
 「かな」の成立前で「万葉仮名」で書かれている。

 

 そんなことを、代表的な和歌とともに、中学生のころ習ったの
 ったと記憶している。

 

 本書の編者で、詩人の大岡信さんは若いころに、そんな「万葉集
 」を通読したことがあったそうだ。

 

 退屈するどころか、「こんなおもしろい歌が古代にもあったん
 」と、目がさめるような気持ちにさせられることもたくさん
あっ
 たとそのときの感想を書いておられる。

 

 日本語の詩歌はみな定型によって作られており、声に出して読
 ことによって、その美しさが、いっそうよく伝わるはずだと
書く。

 詩歌を楽しむということは、ことばの世界への探検旅行である
 思うとも“まえがき”に記してある。

 

 ならば、われらも“ことばの世界”へ探検旅行に出かけること
 しよう。

 

 まずは、この名高い和歌2首から。


 

   あかねさす 紫野行き 標野(しめの)行き

 

       野守は見ずや 君が袖振る(額田王)

 

 

   紫の にほへる妹を 憎くあらば

 

       人妻ゆゑに 我恋ひめやも(大海人皇子)

 

 

 いきなりこの贈答歌2首で本書の幕を開けたところが素晴しい。
 
作者2人はかつて夫婦であった間柄でありながら、この時、額
 王は皇子の兄、中大兄皇子(=天智天皇)のおそばに召して
いた
 という事情があった。それを前提に、狩りの宴で詠んだ和
歌だっ
 たのだ。どちらも好きな和歌。

   

 “むらさき”は純白の可憐な花。夏の暑い盛りに開花の時期を
 えるのだったろうか。実際に目にする機会はあまりにも少な
いが。

 

 教科書と同じような和歌で始まらないところがいいね。

 

 

   天(あめ)の海や 雲の波たち 月の船

 

       星の林に 漕ぎ隠る見ゆ(柿本人麻呂歌集)

 

   

 中国の漢詩文からの影響やヒントがあったそうだ。本書の題名
 この和歌からきている。天空の豊かさを幻想的に描いた傑作
だと
 大岡さんは書く。

 

    そういえば、もうすぐ旧暦の「七夕」だなあ(ちなみに24日がそ
 の日になる)。万葉人たちは旧暦で七夕をしていたのだから、私 
 たちも星合いの空を今一度見上げることにしよう。

 

 

   君が行く 道の長手を 繰り畳(たた)

 

       焼き滅ぼさむ 天の火もがも(狭野弟上娘子)

 

 

 作者は伊勢神宮の斎宮に仕える下級女官であったが、中臣宅守(
 かもり
)と密かに恋し合ったことがばれ、宅守が流刑の地に
向かう
 ときに詠んだという慟哭の和歌である。

 

 本書は小学校高学年以上を読者の対象にしている割に、相聞歌
 多く見られる。なんとも好ましいではないか。

 

     

   相思(あいおも)はぬ 人を思ふは 大寺の

 

       餓鬼の後(しりえ)に 額づくごとし(笠女郎)

 

   

 大伴家持に24首の恋歌を贈った作者の「絶縁状」がこの1首。

 

 都が京都に移ると……。

 

 

   しののめの ほがらほがらと 明けゆけば

 

       己が衣々 なるぞかなしき(よみ人しらず)

 

 平安時代当時の男女は、ふたりの衣を重ねて夜着にして共寝し
 いたところから、「己が衣々」は別れの意味になるという。
そし
 てまた「衣々」は「きぬぎぬ」と読み、「後朝」と掛詞に
なって
 いる。「きぬぎぬ」について、本書に載っていないとい
うことは、 
 さすがに小中学生にはまだ早いということだな。

 

 

   月をこそ ながめ馴れしか 星の夜の

 

       深き哀れを 今宵知りぬる(建礼門院右京大夫)

 

 愛する人、平資盛を失った悲しみ、つきあげてくるなげきに耐
 ぬいた末にたどりついた静かな1首だ。

 

 

   遊びをせんとや生まれけむ 

   戯(たわぶ)れせんとや生まれけむ

   遊ぶ子供の声聞けば

   我が身さへこそ動(ゆる)がるれ(梁塵秘抄)

 

   

 平安時代末期に、後白河院が編ませた『梁塵秘抄』の歌。この
 を遊女の歌だとする見方があるそうで、そう読むと無心に遊
ぶ子
 どもの姿に自分の流浪の人生を重ねた切ない歌となる。

 

 いきなり時空を「エイヤッ」と飛び越えることにしよう。


   
憂きことを海月に語る海鼠かな(黒柳召波)

   

 

 召波は与謝蕪村の1番弟子だった人。おれには心配ごとがあっ
 ね、とクラゲがナマコがうちあけ話をしている句。

 
もう少し続けさせていただきたい。

 

 

   春みじかし 何に不滅の 命ぞと

 

        ちからある乳(ち)を 手にさぐらせぬ

 

   

 与謝野晶子のこの短歌は、大胆不敵な歌と、当時容赦ない悪評
 迎えられたという。それにしても、中3ぐらいの男子生徒が
この
 歌を詠んだら、却って照れてしまうかもしれないなあ。


 

   わがこころ 環(たまき)の如く めぐりては

 

        君をおもひし 初めにかへる(川田順)

 

 

 「老いらくの恋」と騒がれた作者の切実な恋の歌で、ういうい
 い吐息まで聞こえるような歌だと大岡さんは書いておられる。

 

   

   石に腰を、 墓であったか(種田山頭火)

 

   

 定住をきらい漂泊の思いにかられ、食を乞い、野宿する。山中
 疲れて、ふと腰をかけた石が、墓石だった。何がそこまで山
頭火
 を突き動かしたのだろうか。

 

 

   枯れ枝をほきほき折るによし(尾崎放哉)

 

 

 自由律俳句の代表が偶然並んだ。「ほきほき」というこのこと
 で俳句が生き生きとする。大岡さんはからっとした明るい気
持ち
 を感じると書く。

 

 

   竹馬やいろはにほへとちりぢりに(久保田万太郎)


 
「竹馬の友」だって、成長とともに散ってゆくのが世の習い。
 色はにほへど散りぬる」ように散ってゆくさみしさを感じる
編者
 がここにいる。編者が言う「散ってゆく」ということばに
は「距
 離的」な意味のほかに、今1つのそれがあるように思う。

   

 

   ほとんどに 面変りしつつ わが部隊

 

      屍馬(しば)ありて腐れし 磧(かわはら)も越ゆ

 

 中国の河北省などに兵士として動員された宮柊二の作品。

 

 

   黄泉に来てまだ髪梳(す)くは寂しけれ(中村苑子)

 

   

 死んでもなお髪をすきつづける女のすさまじさを詠んで、それ
 「寂しけれ」と否定しているところに孤独感がにじみ出てい
ると。

 

 

   うつくしきあぎととあへり能登時雨(飴山實)

 

 

 「あぎと」とはあごのこと。能登の時雨と美しいあごを持った
 と。旅の情感があふれ、落ち着いたふくよかな余裕が感じら
れる
 と編者は語る。

 

 万葉以降現代までのあまた歌のある中から、大岡さんは194
 を選んで掲載している。この中には有名な歌人、俳人たちが
出て
 いるが、「のるまんじい的」な独断と偏見でそこからまた
わずか
 ばかりを選んでみた。何より歌人「大岡信」という人の
「眼」の
 鋭さ、確かさを感じたことを改めてここに書いておきたい。
まだ
 まだ載せたい作品がいっぱいあるのだが、それよりも本書
をお手
 に取って読んでいただけたらと思う。

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