「うたうゆうれいのなぞ」

  • 2015.06.28 Sunday
  • 00:16
JUGEMテーマ:気になる本


 
 
   【こんな一冊の本】
 
 
 
 
 
 
       うたうゆうれいのなぞ
 
 
 
 
     
 
 
 
 
               ガートルード・ウォーナー/作
               チャールズ・タング/絵      
               小野 玉央/訳   
        
 
 
 
   ==============================================================
 
   
                           
 
      ヘンリー、ジェシー、ヴァイオレット、ベニーのオールデン
   兄弟の4人は、とうさんとかあさんを亡くして突然みなしご
   になった。
 
   そこで誰の世話にもならないで、自分たちだけで生きていこ
   うと決めた4人は、森の中の古い貨車(ボックスカー)で暮
   らしていた。
 
   4人にはおじいさんがいたが、この人はとっても「ケチでい
   やな人」だということで、いっしょに暮らそうという誘いに
   4人はいえいえとんでもないと逃げ出したのだ。
 
   が、その「ケチでいやな」というのが、実はあられもない誤
   解だということがわかって、めでたく和解する。
 
   それで今ではこのおじいさん夫妻と心安らかに住んでいる。
   しかも、森にあったボックスカーも裏庭に置いてもらって。
 
   と、ここまでが、「ボックスカー・チルドレン」の第1巻の
   『ボックスカーの家』に出てくるそうだ。
 
   では、今回の『うたうゆうれいのなぞ』はというと、このシ
   リーズの31巻目になる。親戚のジョーとアリスの夫妻が、
   4人が住む町の近くのグリーンフィールドのとある1軒の古
   い屋敷を買って引っ越してこようということで下見に来たと
   ころから始まる。
 
   6人で下見をしていたところ、この家の隣に住むというファ
   リーさんが「この家は祟られているから誰も買わない」と言
   い出した。まあ、おせっかいというか、なんというか……。
   なんでも、ファリーさんの話だと若い娘のシーリア・ロスの
   幽霊が出るんだって。
 
   それってどんな幽霊なの?
 
   それでも、ジョーたちは家を買うことに決めとおじいさんに
   連絡してきた。4人はふたりのことを思ってかたづけをしと
   いてあげようということになった。   
 
   翌日、早速行動開始ってことで4人は、ああだ、こうだと掃
   除に必要なもののリストを作って、自転車でいざ「出発!」。
   途中金物屋さんで必要なものを注文した。ここでも、おばけ
   が出るって聞かされた!
 
   そんなに有名な話なの?
 
   「ロスやしき」と呼ばれる家に着いたとき、グロリア・カー
   ターと名乗る女性が4人に近づいてきて挨拶をした。ご主人
   のデービッドさんもやってきて、ぶっきらぼうに「おとなり
   などいらんね」と言い放ったんだ。とんだご挨拶だ!なんか
   ちっとも歓迎されていない。
 
   それはともかく、4人が家の中に入って、何から手をつけた
   らいいか話しているときに、突然2階で物音がした! 
 
   やっぱり幽霊の話は本当だったの?
 
   次の日。4人がペンキを塗ったり、寝室のクモの巣を払った
   りしていると通りの向こうから長い間動こうともしないで、
   家をじっと見ている男の人がいるのに気づいた。
 
   なんかいやだよねえ〜、こういうのって。
 
   14歳になるしっかりもののヘンリーが訊ねたところこの男
   は画家でトマス・イエーツと名乗った。このイエーツさんは
   この家を描いていたんだそうだ。そしてひややかな声で「絵
   が完成するまで、なにがあっても、屋敷の様子を変えさせる
   わけにはいかないんだ」と言った。目は怒りに燃えていたっ
   て、でもそりゃあ随分と自分勝手じゃんと思ったのはのるま
   んじいだじゃないだろう。でも、結構こういう大人っている。
 
   4人がかたづけをひと休みしてポーチでミセス・マグレガー
   の心のこもったお弁当を食べていたとき、家の中から女の人
   の歌っている声が聞こえてきた! 家の中を見たってだれも
   いやしないじゃないか! 
 
   あの話は本当なんだろうか? なんかいやな気持ちになって
   切り上げて家に戻ることにした。
 
   ヘンリーとすぐ下の妹のジェシーは寝る前に話をしていた。
   おばけはいないだろうけど、近所の人たちは新しい家の所有
   者を歓迎していないと。そしてあの家には「なにか」がある
   ことは確かだと思ったんだ。
 
   翌日、気分の乗らなかった4人は掃除を午後からすることに
   して午前中は公園の池に行くことにしたんだ。そうだ! 息
   抜きだって必要さ! っていうかこの物語は夏休みに起こっ
   たことを書いたのかしら? ま、それはよしとして。
 
   水遊びを公園の池でして、芝生で乾かしていたら、「ロスや
   しき」の隣のファーリーさんと画家のイエーツさんのとんで
   もない、うん、まさにとんでもない会話が耳に飛び込んでき
   た。全部はわからなかったけれどね。
 
   4人が片づけをしていると午前中に公園の池に行く途中で立
   ち寄ったパン屋で紹介されたミズ・エヴァンズが訪ねてきて、
   「この家は保存建築であるべきで」要はだれも住むべきでは
   ないと言いたいようで、言ったらすぐに立ち去った。まった
   く、どいつもこいつもいったいなんなんだ!
 
   おばけはいるのか? それともだれかの悪戯なのか? そん
   な時、そのだれかが動いた。急に部屋の中が甘い匂いがした
   と思ったら暖炉の上にバラが花瓶に入れられてあったんだ。
 
   ある日は、寝室のベッドの上に行方不明になっておばけにな
   ったと言われているシーリアの(?)古いドレスが置いてあ
   った! 昨日まではなかったのに! おじいさんにも見てほ
   しくて隣のカーター家で電話をかけて来てもらうようにした
   んだ。どうも4人で行動するのが、まずいらしくおじいさん
   が寝室に足を踏み入れたとき、古いドレスはもうなくなって
   いた! そりゃあ、そうだろっていう子どもたちの声が聞こ
   えてきそうだ。
 
   さて、このあとどうなっただろうか? おばけの正体はいっ
   たい 暴けたのだろうか? そしてまた謎に包まれた「ロス
   やしき」の事実は見えてくるのだろうか? 愛想の悪い隣人
   たちには何が隠されているのだろうか? それは読んでから
   のお楽しみということにさせていただこうか。1つだけ書か
   せていただけば、予想外の結末が待っていて、そこにアメリ
   カのほんわかとした暖かさを感じると言ったら、ちょっとば
   かり大袈裟だろうか。
 
   この物語を書いたのは、1890(明治23)年生まれのガートルー
   ド・ウォーナーというアメリカ人の女性作家である。長い間
   小学校の教職にあって、自分の子ども時代に見た、列車の、
   懐かしい連結車を舞台に自分が幼いときにしたかったことを
   書いたとある。
 
   物語の時代設定はおそらく、第二次世界大戦以前だろうとネ
   ットサーフィンをしていったら出てきた。よって、電話は交
   換手を呼び出す方式で、テープレコーダーは登場するものの
   こちらも型の古い大型のものだろう。それでも町の図書館に
   は古い新聞がマイクロフィルムの形で保存されているという
   場面なんぞはさすがアメリカかという感じだ。
 
   4人の兄妹の結びつきの強さ。そしておじいさんを中心とし
   た親戚の結びつきが感じられる。
 
   ここからは、特にのるまんじいの独り言だと思ってお読みい
   ただきたい。時代が時代だからだろうか、ことばがとっても
   丁寧なのだ。なんというんだろうか、上品といえばみなさん
   に伝わるだろうか。登場人物の会話にしてもそうだ。物語の
   展開上、もっとスピードがあったほうが、ドキドキ感がより
   強まるだろうにと思った。こう、盛り上がり感が押し寄せて
   くるそういう感じがなくて辛かったのは事実だ。まあ、これ
   はのるじいだけかもしれないけど。
 
   それから最後にもう1つだけ。図書館から借り出した本は20
   05(平成17)年出版なのだが、ほとんど手に取られていないん
   じゃないかしらっていうところ。なんだか宣伝不足なんじゃ
   ないの、もったいないよ、もっと子どもたちに届けたらどう
   よって、そんな感じ。
 
   図書館の職員の方々はどんな思いでこの本を購入したんだろ
   う。おもしろかったから、それはそれで、まあいいんだけど
   ね。
 
   ということで、今回の『うたうゆうれいのな』は小学校の3
   ・4年生ぐらいから楽しく読んでいただけると思う。
 
   ご一読をお薦めする。
 
 
   
   ==============================================================
 
 
 
 
 
        うたうゆうれいのなぞ
 
 
 
 
 
      
 
 
               ガートルード・ウォーナー/作
               チャールズ・タング/絵      
               小野 玉央/訳    
         
      
        
             2005年 3月1刷 日向房刊
 
 
 
    
 
   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
  ==============================================================
 

「りんごの花がさいていた」

  • 2015.05.10 Sunday
  • 00:00
JUGEMテーマ:オススメの本

 
 
 
  【こんな一冊の本】
 
 
 
 
 
        りんごの花がさいていた
 
 
 
 
 
   
 
                  森山 京/作           
                         篠崎 三朗/絵
 
 
 
 
   ==============================================================
 
   
             
 
 
   古い小さないえに、おばあさんがひとりで住んでいました。
 
   わかち書きで、漢字も「小さな」以外使わずに書いてある。
 
   本当に小さな家で、その家の前にはロッキングチェアが1
   脚置いてある。にわとりとひなと、やぎを飼って、周りは
   水田か畑かに囲まれとてものどかな感じだ。
 
   空は広く、日差しも十分だ。
 
   おばあさんは今洗濯物を干しているところだ。
 
   おばあさんに3人の息子がいて、1番目がイチロ、2番目
   がジロ、3番目をサブロという。3人ともそれぞれべつの
   ところで暮らしているという。
 
   名前からすると日本人のようだが、この篠崎さんの絵を見
   るとロシアか東欧かはたまた西アジアのどこかを連想させ
   るような雰囲気がする。
 
   あまりその辺は堅苦しく考えないほうがいいのだろうか。
 
   ちなみに物語の作者は幼年童話を中心に紡ぐ森山京(みやこ
   )氏である。
 
   それはさておき。
 
   そのおばあさんが病気でなくなって―ー。
 
   家にはイチロ家族が引っ越してきて、ジロはやぎとにわと
   りを連れて帰った。
 
   あとは殆ど残されていないというよくあるパターンだ。
 
   サブロが遠い町の工場から帰ってきたのはそうしきが終わっ
   た後だった。すぐに工場にもどらないとというサブロが形見
   にもらったのは、軒下に残されていた古い木の椅子だった。
   もともとはおとうさんが自分で作ったものだという。
 
 
   「さあ、かあさん、ふたりでいこう」
 
   サブロには、じぶんのせなかにおぶっているのが、いすでは
   なく、おかあさんのようにおもえたのです。
 
   こう森山氏は描く。
 
   サブロは心が優しく、正直で、どちらかといえば不器用であ
   るかもしれない。
 
   そして、母を想う気持ちは人一倍のようである。
 
   この結構大きな椅子を背負って旅立ったサブロの姿が描かれ
   ている。
 
   この姿を他人がどうみても、どう言われてもぶれないサブロ。
 
   サブロがたまに町からもどったとき、おかあさんはこの椅子
   にすわって、待っていてくれた。
 
 
   「おかえり、サブロ、おかえり」と。
 
   りょううでを大きくひろげ、サブロをしっかりとだきしめて
   、せなかをなんどもさすってくれるのでした。
 
   その温もりをいまサブロは背中に感じているのかも知れなか
   った。
 
   さて。
 
   工場へもどる道中で、歩きどおしだったサブロはさすがに疲
   れて木の下に椅子をおくと倒れるように座り込み、そのまま
   寝入ってしまったのだった。
 
   朝になって、目が覚めてみると、サブロは花ざかりのりんご
   の木の下で、いすに座っていたのだった。
 
   ここから、新しく物語は発展していく。
 
   若く美しい娘との出会い、そしてその娘にも心優しく思いや
   るサブロ。しかし、それも原因で工場につくまでまる1日も
   遅れてしまう。
 
   それで、すでに新しい人がサブロの代わりにやとわれ、サブ
   ロにはもう仕事がなかった。
 
   途方にくれるサブロ。
 
   こういうときにその不器用さが出るものだ。
 
   でも――。
 
   その後は語るまい。
 
   ここまで読んでいけば、なんとはなしにでもその後が予想さ
   れ、ああやっぱりという結末までたどりつくことだろう。
 
   この木の椅子がどうなったかだけを書いておこう。
 
   いすは、だれ いうと なく、「かあさんのいす」と よば
   れるように なりました。
 
   かあさんの いすは、ひあたりの いい のきしたに おか
   れ、いつも かぞくの だれかが すわって いました。
 
   サブロも ときどき すわりましたが、 いすを せおって
   そとへ でて いくことは、 にどと ありませんでした。
 
   こう本書『りんごの花がさいていた』は静かに物語の幕を下
   ろすのであった。

   
表紙を確認してみたい。
 
   りんごの花がこぼれんばかりにさいている。
 
   その前を「かあさんのいす」を背負った青年、サブロが歩い
   ていこうとしている。そのサブロに向かって大きなパンを手
   にした美しい娘が呼びかけているようにみえる。
 
   よく見れば、ツバメと思われる鳥も描かれている。
 
   りんごの花はさくらの花と同じくバラ科だそうで、青森や北
   海道では桜前線に少し遅れて5月になってから花開くそうだ。
   青森県弘前市では今年も5月6日から「りんごまつり」が開
   催されているらしく、さくらの花見より彼の地では盛況なの
   だそうだ。
 
   前半で書いたが、素朴で実直で生き方の不器用なサブロの「
   居場所」は見つかっただろうか。既にネタバレになっている
   けれども。まあ、それでいいではないか。
 
   そればかりでなく、本書では母への限りない愛、そして家庭
   への広く大きな愛がひとつの古い木の椅子を通して描かれて
   いると思う。
 
   それにしても「りんごの花」が印象的に使われている。なお、
   裏表紙には赤いりんごがたわわに実り、それを喜ぶ姉弟の姿
   が描かれている。

   
篠崎三朗(みつお)氏の美しく、それでいて個性的な、のるま
   んじいいが力強いと思う絵もぜひご覧いただきたい。篠崎氏

   の絵画の世界をもっと本格的に知りたいと思った。
 
   きょうは「母の日」。「母の日」にこそご紹介するのがいい
   だろ
うかと思った。 
 
   小学校低学年以上。読み聞かせにもふさわしい1冊だと思う。
   一読をお薦めしたい。  
 
 
 
 
  ==============================================================
     
 
 
 
 
     東京イラストレターズ 篠崎三朗氏は
 
 
 
       http://www.tis-home.com/mitsuo-shinozaki
 
 
 
     「りんごの花」
 
    
 
                 後藤  竜二/作
                            
長谷川 知子/絵
 
 
 
 
                  新日本出版社/刊

 
 
            月刊 たくさんのふしぎ 12月号
 
 
 
     「りんごの礼拝堂」
           
 
 
 
 
                 たくぼ ひさこ/文
                         HAYATO/絵
 
 
 
 
                        福音館書店/刊 
 
 
 
     盛岡市と近郊の林檎の花 
 
 
 
  
      槇原敬之「林檎の花」に乗せて 2011年5
 
 
 
     https://www.youtube.com/watch?v=Rb1TGkXiHLc
 
 
 
   ==============================================================
 
 
 
 
         りんごの花がさいていた
 
 
 
 
 
   
 
                  森山 京/作           
                         篠崎 三朗/絵 
   
 



           2014年4月 初版 講談社刊

      
 
 
          講談社BOOK倶楽部のホームページは
 
 
        http://bookclub.kodansha.co.jp/
 
         
  
   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
   ==============================================================
 

「ユメミザクラの木の下で  こそあどの森の物語 4」

  • 2015.05.01 Friday
  • 00:15
JUGEMテーマ:オススメの本

 
 
 
   【こんな一冊の本】
 
 
 
 
 
 
        ユメミザクラの木の下で  
 
 
 
 
 
                     こそあどの森の物語 4
 
 
 
 
 
 
                 岡田 淳/作     
 
 
 
 
 ==============================================================
                
 
 
   
 
   われらがスキッパーの久しぶりの登場となる。
 
   本書『ユメミザクラの木の下で』は「こそあどの森の物語」
   、『ふしぎな木の実の料理法』・『まよなかの魔女の秘密』
   そして『森のなかの海賊船』に続く第4作目となる。
 
   シャイで口数が少なく、人見知りでコミュニケーションを取
   るのが、どちらかといえば苦手な少年スキッパーがこそあど
   の森に住む個性的な人たちとふれ合うことによって、徐々に
   成長していくという形がとられてきた。
 
   本書は読んでいくとわかるが、味わいが前作までとは大分違
   い、児童書の形を借りた“おとなのための童話”、そんな気
   がしてならなかった。
 
   ほっこりとしていながら、それでも一種不思議な雰囲気が漂
   っていて、ミステリアスでもある。子どもが大人へと成長し
   ていく過程で、知らないうちに大事なものをなくしていって
   しまったことに、後年気づかされ、甘酸っぱくもあり、ほろ
   苦さもあるといった作品に仕立て上げられている。
 
   本書は大きく分けて、
 
   「ふしぎなこどもたち」と「ユメミザクラの下で」で構成さ
   れている。
 
 
   まずは、
 
   「ふしぎなこどもたち」であるが。
 
   スキッパーが自分の住んでいる家・ウニマルの広間のテーブ
   ルで博物学者でツララ岬にコオリイタチの観察に出かけてい
   るおばあちゃんのバーバさんからの手紙を読んでいるところ
   から舞台の幕は開く。
 
   その手紙に、コオリイタチの姿をもうすぐ見つけられると思
   うとかくれんぼをしているこどものようにわくわくしている
   と書いてあった。
 
   スキッパーは生まれてこの方かくれんぼうをしたことがなか
   った。なにしろ“こそあどの森”には、スキッパー以外ふた
   ごの姉妹以外こどもがいなかったのだ。
 
   『絵で見る・こどもの遊び』という本で“かくれんぼ”のと
   ころを読んでもバーバさんのようにわくわくしなかった。
 
   われわれにとって、ごく当たり前の他愛のないあの「かくれ
   んぼ」が、やったことがない人からみると、それは簡単な遊
   びでないことを作者の岡田さんは教えてくれた。
 
   
      「もういいかい」
 
      「まあだだよ」
 
      「もういいよう」
 
      「みいつけた」
 
      「こうさん」
 
      「まいったあ」
 
   を独特の節をつけて言うと。
 
   なるほどなあ、言われてみると確かにそうだよなあ。やっぱ
   り気がつかないよなあ。いつの間にかに覚えてぐるりの友達
   とやってたもんなあ。
 
   バーバさんからその節回しを教わったのを思い出したスキッ
   パーの頭から「かくれんぼ」が放れなくなってしまったのだ
   った。
 
   そんなある日。
 
   スキッパーはまだ春浅い日の午後に散歩に出かけ、腰かけ石
   の川辺まで出かけることにした。
 
   ここでちょっとおさらいを。
 
   “こそあどの森”は、もちろん架空の場所だけれども、表紙
   裏の地図を見たときまた『ふしぎな木の実の料理法』を読ん
   だとき、とっさに“こそあどの森”が北海道のどこかを舞台
   にしているのではと思ったのだった。それは今も揺らぐこと
   はない。
 
   それで、「春浅い」「ユメミザクラの花」という素材を本州
   よりもずっと遅い今ごろだと考え、ここで本書をご紹介する
   ことにしたのだ。
 
   北国の遅い春を実感していただけると思う。
 
   閑話休題。
 
   あと少しで腰かけ石というところで、スキッパーは春のウサ
   ギ広場のことが気になり、足が自然に向いたのだった。広場
   のまん中の木の向こう側にウサギがいると思って、「みィつ
   けた」とまわりこんだ先にはスキッパーと同じ年頃の女の子
   が立っていた。
 
   「みつかっちゃった」
 
   「ウサギだと思って…」というスキッパーに、「ウサギでい
   い」と返した。そして「あなたのことは、ハリネズミってよ
   ぶから」と言った。
 
   ここで、スキッパーのことを“ハリネズミ”と呼ぶ人が“こ
   そあどの森”にいることをふっと思い出したら、話はふくら
   んでいくだろう。
 
   そんなことを考えると、『ふしぎな木の実の料理法』や『ま
   よなかの魔女の秘密』あたりは先に読んでおいた方が予備知
   識もできて楽しみが増すだろう。
 
   スキッパーはこの後、“ウサギ”と花のかんむりを一緒に作
   って遊ぶ。だが、もっとと思ったとき、「あたし、行かなき
   ゃ」ということばとともにいなくなってしまう。
 
   不思議な気持ちながら場所を腰かけ石に移して、水の音に耳
   をすましていたスキッパーに
 
        「ハリネズミ、みィつけた!」
 
 
   の声が聞こえ、目をやると、向こう岸の大きな木のはりだし
   た枝の上にウサギとふたりの男の子、そして年が下のような
   女の子がいた。
 
   この子たちの雰囲気に注目するのは本書を読み終えてからだ
   ろうか。初めてだと、何気にスルーしてしまうだろう。
 
   ここでスキッパーは同年代の子どもたちと遊ぶ楽しさを知る。
 
   木の上から蔓を使って向こう岸に渡ったり、蔓でブランコを
   して遊んだり、時の過ぎるのを忘れるくらいだったが、この
   時も子どもたちは、
 
   「あ、ごめん。おれたち、いかなきゃ」ということばを残し
   て忽然と形を消す。
 
   遊びが楽しかった分だけ、スキッパーの喪失感も大きく、い
   っぺんにここまでさせちゃうか?ちょっとかわいそうになる
   のるまんじいであった。
 
 
      「夢だったんだろうか、どちらも」
 
   スキッパーはひとりごちる。
 
   そうなるよなあ。
 
   その後、倒木の上に腰かけて鳥の声に聞きほれていたスキッ
   パーのところにあらわれたのは、ウサギとめがねの男の子だ
   った。
 
   男の子は、急に
 
    「ハリネズミ、みィいつけた」
 
    「谷の底、声ひびく」
 
    「ククルクと、鳥が鳴き」とつづけ、
 
   ウサギが気づき
 
    「木の下で、であいます」とつけた。
 
   奇妙なしりとりをしていたのだ。
    
   ふっといなくなる、ふたり――。
 
   そして、
 
   今一度子どもたちがあらわれて、かくれんぼをすることにな
   る。このときもスキッパーがおにになったとき、いなくなる。
 
   あきらめきれない、スキッパー。みんなを探しまわる。
 
   しげみの奥にピンク色がちらりとみえ、向こうへ出たとたん
   スキッパーが目にしたのがみごとなピンクの花の木だった。
   花が満開で、かがやいているようだった。
 
   近づいてスキッパーが目にしたものは、
 
   根元でぐっすりとねこんでいる“こそあどの森”にすむ大人
   たち、ポットさん、トマトさん、ギーコさん、スミレさん、
   トワイエさんだった。
 
   様子からはみんながピクニックに来て、ねこんでしまったら
   しかった。かぜをひいてはと、みんなをスキッパーは起こし
   にかかった。
 
   自分が見つけたかったものは、みつからない。そう、2度と
   スキッパーの前にあの子どもたちはもう現れないのだ。それ
   を読者はわかっただろうか。
 
   再びのこれでもかという喪失感。1日でこれほど経験しては
   たまったものではない。
 
   もうこれが最後。これで呼んで出てこなかったらあきらめる
   と「ウサギ!」と呼んだときは涙が出ていた。
 
   誰がこんなスキッパーをこころを癒してくれるのだろうか。
 
 
   前者が提示、導入編で子どもの立場で書かれているが。
 
   後半ですべて謎解きがされるので、伏線を張りめぐらされて
   いる。
 
   一方後者が解決編といおうか、こちらはおとなたちの側から
   書かれている。のるまんじいが本書を読んで切なくなるのは、
   “おとなだから”かも知れない。
 
   だから。
 
   後半に関しては一切ふれないでおこうとおこう。
 
   ああ、そうなのか、それでか、ということを十分に味わって
   いただけたらと、そう思う。
 
   また、以前読んでみて「ああ、いいなあ。さくらの花の咲く
   時期に取り上げたいなあ」と思って、今回登場させた訳だが、
   本書は未読で初めて読んだほうが、わくわくどきどき感がず
   っと大きく全体を通して読みきってしまうのがいいと思う。
 
   後半の解決編は逆に何度でも繰り返し読んでもその度に新し
   い発見があると思う。
 
   「ユメミザクラ」
 
   名前だけではなく、このさくらの果たす役割もまた大きい。
 
   小学校中学年以上向き。中学生でも高校生でも、そしてわた
   したちおとなでもそれぞれの楽しみ方、味わい方があると思
   う。ぜひにと一読をお薦めする。
 
   
  ==============================================================
     
 
 
       岡田淳さんの作品の紹介
 
 
 
    「ふしぎな木の実の料理法 こそあどの森の物語 1」
 
                                        
                                              (理論社/刊)
 
 
     「まよなかの魔女の秘密 こそあどの森の物語 2」
 

              
(理論社/刊)


     
    「願いのかなうまがり角」(偕成社/刊)

       
        
    「人類やりなおし装置」(17出版/刊)
 
      
 
 
  ==============================================================
 
 
 
 
 
      ユメミザクラの木の下で  
 
 
 
 
 
                     こそあどの森の物語 4
 
 
 
 
 
 
                 岡田 淳/作  
 
 
 
 
         
      
          1998年12月 初版 理論社刊
             
 
 
 
        理論社のホームページは
 
 
 
        http://www.rironsha.com/
 
     
   
 
   
   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
   ==============================================================
 

「つるばら村のレストラン」

  • 2015.04.26 Sunday
  • 20:48
JUGEMテーマ:オススメの本


 
   【こんな一冊の本】
 
 
 
 
 
        つるばら村のレストラン
        
 
 
        
 
                 茂市 久美子/作
                 柿田 ゆかり/絵      
 
 
 ==============================================================
 
   
 
 
 
   2012(平成24)5月に「つるばら村の大工さん」を取り上
   げ、ご紹介させていただいた。
 
   その本の中で、おじいさんがその昔に月見が原に建てた山小
   屋を修理してほしいと見知らぬ男の子から大工の勇吉さんが、
   頼まれたところから、「大工さん」の話は始まったのだった。
   その最後のお話が、「こんな素敵なところでお店が開けたら
   いいなあ」と思った卓朗さんを描いた「山小屋のレストラン
   」だった。
 
   読み終わったそのとき、「ああ、来年はレストランの話だっ
   たらいいなあ」と胸に思いを抱いて、時間は過ぎていく。ち
   ょうど年末に今回の『つるばら村のレストラン』が世に出さ
   れた。そのときは「やったあ」とひとり“Vサイン”をして
   いた。
 
   それでも、例年“春過ぎて”ぐらいのイメージで『つるばら
   村』シリーズをご紹介しているもので、“春の名残り”の到
   来を待つことにした。
 
 
   そんな思いで、この本の紹介を今回させていただこうと思う。
 
   コックの卓朗さんが山菜を採りに来たのは、シラカバの樹々
   に囲まれた山小屋のまわりにちょうどカタクリの花が、うす
   べに色のじゅうたんをひろげたように咲いている、あれほど
   待ちわびた春を身体じゅうで感じるそんな頃だった。
 
   台所にりっぱなかまどとストーブがあって、外には小さな水
   場もあった。卓朗さんはここで自分が料理している姿を思い
   浮かべた。それどころか棚は大きな羽がまとおひつまで置い
   てあるのを目にして、料理人の心を大いにくすぐられたのだ
   った。さっそくお米を買いに走って、炊いたいてみたらこれ
   がまたなんとも言えずおいしかった。
 
   「レストランをここで開けたらいいなあ」と思いたち、夢は
   どんどんふくらんでいき、「レストラン山小屋」の開店にこ
   ぎつけたのは卓朗さんが山小屋から出会ってから2年目の春
   のことだった。
 
   開店のその日のメニューがいいなあ。
 
 
      新ジャガとグリーンアスパラのシチュー
      山菜と野草のサラダ
       (ウド、タラノメ、ナズナ、タンポポ)
      ごはん(おかわり自由)
      イチゴとチーズクリームのクレープつつみ
      コーヒーまたは紅茶
 
   ここには作者の茂市さんの心もこめられているなあ。
 
   心配していたお客さんの出足も好調でホッとした卓朗さんだ
   った。
 
   ここで、あれっ?なんか雰囲気が似ている本があったなあと
   思ってごそごそしたところ、茂市さんの『ようこそタンポポ
   食堂へ」(第151号 09/09/22号)という1冊があった。こ
   ちらはこちらで、おかあさん思いの正太さんというシェフが
   紡ぎ出す心温まる優しい話だった。
 
   のるまんじいはこういう世界が大好きなんだなあと思った。
 
   さて。
 
   あるとき、台所の戸口のところに、山菜のコゴミとタラノメ
   が置いてあるのを見て。卓朗さんは、ザシキワラシのプレゼ
   ントかなと思った。
 
   (でも、それはほんとうかな?)
 
   山菜のプレゼントは、ウルイ、ミズ、ゼンマイ、ワラビへと
   季節とともに変わっていった。
 
   山の中にあるというか自然の中にあるレストランってあこが
   れちゃうね。もちろん、銀座とか表参道のような、あるいは
   京都の市街地にある都会のレストランとか食事を楽しめる店
   で、おいしいものをゆっくり楽しむのも大好きだけれど、自
   然に囲まれた中でそこならではの土地の素材をふんだんに使
   った料理をいただく、これもまた素敵なことだと思うんだ。
 
   それにしても、シラカバの林に囲まれたレストランいいなあ。
 
 
   「青葉のアルコール」
 
   1週間だけ夜の仕事を近くでするので、夜と朝に食事をした
   いと紳士が訪ねてくる。それも朝はパンケーキを食べたいと
   言う。
 
   その紳士は、新緑の頃、シラカバの葉から発散されるアルコ
   ールを取りだす仕事をしているのだという。これを食前酒に
   する“ディオニュソス”という店のために。
 
   卓朗さんはこれって“フィトンチッド”のことかなと思う。
 
   これがきっかけで「レストラン山小屋」は“ディオニュソス
   ”のソムリエ、バッカス氏が料理雑誌で絶賛してくれた。ソ
   ムリエ?と思ったときになぜかあの紳士の顔が浮かんだのだ
   った。
 
   沢のセリとナラタケのピザを食べる、出張マジュシャンのキ
   ツネが登場する「キツネの手品」。
 
   道に迷った卓朗さんが見つけたとっても立派なしいたけが縁
   で出会った謎の男の子が出てくる「カミナリサマのシイタケ
   」。
 
   ナツハゼの実で作っているジャムの匂いに誘われてやってき
   た銀色の髪に青い目をした若者が登場する「冬将軍の調査員
   」。
 
   ニンジンを使った料理をニンジン嫌いの娘のために作ってほ
   しいと頼みに来た若いおとうさんの正体は?
 
   それは「まほうのハンカチ」という話に出てくる。
 
   「カタクリの番人」が最後。
 
   ここで卓朗さんはいつも山菜を届けてくれる方にお礼の気持
   ちをこめてごちそうをする。その方が、やっとここでわかる。
 
   茂市さんという方は、読者をほのぼのとした気持ちにさせて
   くれる作者だと改めて思う。茂市さんが紡ぎ出すこの味わい
   深く、そしてだれにも描き出すことのできない世界にこうや
   って年に1度ひたらせてもらえるこんな機会を与えられるこ
   とに心から感謝したいと思う。
 
   “カタクリ”といえば、カタクリ粉が頭に思い浮かぶが、こ
   こではうすべに色のカタクリの花のお浸しの話がしたい。実
   は、のるまんじいはこれを“悔しいかな”食したことが未だ
   ない。
 
   日本海にへばりつくようにして延びるJR羽越線で新潟の県
   境を越えて、山形に入ってわずかばかりした温海(あつみ)
   温泉駅から、車を山峡に走らせたところに温海温泉はある。
   その中の1軒の旅館の裏手の斜面にそれは見事なカタクリの
   群落はあるそうだ。
 
   もちろんその花を摘んでというわけではないと思うが、春の
   息吹をいっぱいに含んだお浸しはなんと贅沢な一品だろうか。
   温海といえば、“温海カブ”でも名高く、これも到来物とし
   て手に入った時はうれしく頂戴することにしている。
 
   春が過ぎ、木々が新緑になるころ里人たちが待ちこがれてい
   た山菜採りの季節が巡ってくる。上にも出てきた山菜たちが
   幾重ねにもなったお重にこれでもかというぐらいに入れられ
   た姿を今でも思い出す。秋田の地で「珍しくもないだろうけ
   ど」と言って供された時の驚きと喜びは今でも忘れられない。
 
   やはり、どこか森の中の素敵なレストランを見つけたいな。
 
   小学校中学年向け。「つるばら村シリーズ」ファンの方はも
   ちろんのこと、ほっこりとしたそんな気持ちを味わいたいと
   思うシニア世代の方にもふさわしい1冊だ。一読をお薦めす
   る。
   
 
   ==============================================================
 
 
 
     〔つるばら村シリーズ〕
 
 
 
 
      「つるばら村の魔法のパン」
 
 
 
 
     〔それ以外の作品〕
   
 
 
       「こもれび村のあんぺい先生」
 
 
 
       「ようこそタンポポしょくどうへ」
 
 
 
       「クロリスの庭」
 
 
 
   ==============================================================
 
 
 
        つるばら村のレストラン
        
 
        
 
                茂市 久美子/作
                柿田 ゆかり/絵
 
         
      
             2010年12月 初版 講談社刊
             
             
 
 
 
           講談社BOOK倶楽部のホームページは
 
 
              http://shop.kodansha.jp/bc/
     
   
 
   
   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
   ==============================================================
 

「こもれび村のあんぺい先生」

  • 2014.12.15 Monday
  • 00:00
JUGEMテーマ:オススメの本


 
 
   【こんな一冊の本】
 
 
 
 
 
        こもれび村のあんぺい先生 
 
 
 
 
 
             
 
 
 
                 茂市 久美子/作
                 こみね ゆら/絵
 
 
 
   ==============================================================
 
 
   
   
   霧ふり山はこもれび村からバスに乗って、終点で降りてそこ
   から何時間もかけて登らなければならなかった。
 
   山へ向かう途中にはシラビソの林があって、そこには頂上へ
   の行き帰りに利用する山小屋があった。
   
   その霧ふり山のすそ近くにひっそりと建つ診療所へ町の大学
   病院から新しく「あんぺい先生」が赴任してきたのには、い
   ささかの経緯があった。
 
   この物語は、その経緯から語らていく。
 
   ということで、ここに記したことはもう少し後で知ることと
   なる。
 
   では、なぜ「あんぺい先生」がこぼれび村の診療所に勤める
   ことになったかというと―ー。
 
   それは――
 
   そうでなくても激務な大学病院の内科医なのに、梅雨明けと
   ともにきたうだるような暑さに、食欲をなくした「あんぺい
   先生」が1日の仕事を終えてもう暦も変わろうというころ、
   いつも歩いているはずの、とある細い路地に迷いこみ、それ
   こそ、“迷子”になってしまった。
 
   (“紺屋の白袴”とでもいおうか、人間らしいといおうか、
   ほのぼのとしているのか、こんなあんぺい先生は素敵だ。)
 
      偶然のような素振りをした必然――
 
   おとなはそう読むだろうか?
 
   このあたりがいかにも“茂市ワールド”の伏線たるところで
   、さて何が起こるやらと期待させるところだ。
 
   あちこち歩くうちにふと目にとまったのがほっとするような
   1軒の店のあかりだった。
 
   「月夜の森」という名前の喫茶店だった。
 
   そう、ここにも何か曰く因縁のありそうな――
 
   だよね。
 
   あれこれ決めかねている「あんぺい先生」に、店の主人は「
   疲れているようだからミントティーはいかが?」と勧めてく
   れる。供されたミントティーには、小皿に乗ったジャムが添
   えらていて、
 
   「特別なジャムなので、残さずめしあがってください」と言
   われる。
 
   こんなとき、誰でも「特別」なというとなぜか「特製」のと
   理解してそこに潜んでいる「特別」な意味をやりすごしてし
   まいがちだ。
 
   だが、これはまさしく“特別な”ジャムだった。そう知るま
   でに「あんぺい先生」には“特別な”時間が必要だった。
 
   そのジャムを一口食べた瞬間、ほわっと、口じゅうに森のか
   おりがひろがって、だれかなつかしい人に呼ばれたような不
   思議な気持ちにおそわれたのだった。
 
   気がつけばどこか遠い山の森に、足元には夜露にぬれたシダ
   がびっしりと、空には大きなまるい月がぽっかりとうかんで
   いる―ー。
 
   まるで、清水義範氏の『時代食堂』のような――。
 
   気がつけば、もとの喫茶店にいて、そこで1枚の張り紙にあ
   んぺい先生は気づく。
 
   そこには、こもれび村の診療所の医者さまが引退して閉めて
   いるので、新任の医師を探しているというものだった。
 
   「オトナの世界」だったら、現実的に喫茶店の壁にそんなも
   のがあるはずものないが、それを口にする夢のないガキンチ
   ョが多くないことを祈る。
 
   それはともかく、この1枚がきっかけで「山屋」のあんぺい
   先生が診療所に赴任することになった訳だ。
 
   「茂市ワールド」だから、本書でも患者としてあんぺい先生
   のところへ診察を受けに来るのは、人間だけではない、とい
   うか……。
 
   遅くなったが、ここで章立てをご紹介させていただこう。
 
 
  
          月夜の森
 
 
          森の診療所
 
 
          霧ふり山の仕立屋
 
 
          キツネの商売
 
 
          真夜中の訪問者
 
 
          早春の患者さん
 
 
          くしゃみにご用心
 
 
          梅雨なのに雨がふらないわけ
 
 
          そして、もう1篇 これは内緒(笑)
 
 
 
   ここでは、「真夜中の訪問者」を取り上げようか。
 
   ちょうど今ごろになると、診療所の屋根にも雪が深々と積も
   っている。もの音もしない、ある真夜中のこと。
 
   ドアのノックとともに現れたのは小さな男の子だった。
 
   「寒いところにずっと立っていたから、かぜ、ひいたみたい
   なんだ」
 
   よくみれば、天使みたいな―ー
 
   この天使クン
 
   「ぼく、チックンはきらいだからね。にがいオックもいやだ
   からね」
 
   と。
 
   男の子話をあんぺい先生がよく聞いてみれば、
 
   「モミの木がふるえてるの、見てられなかった」
 
   だから、地上におりてきたのだという。
 
   これだけで、ピンときたあなたは“スゴい”。
 
   そう、だってもうあとちょっと過ぎれば、クリスマス、クリ
   スマスといえば、“モミの木”だもんね。
 
   アンデルセンの『モミの木』も切ないけれど。ここでは、“
   伐られるもの”の痛みを茂市さんは取り上げている。
 
   その木はまだこの男の子ぐらいの高さの若木。伐られて町に
   連れて行かれることに決まった。不安に苛まれてふるえてい
   たのだ。
 
   それを見かねてこの男の子は1本のモミの木のために空の高
   みからおりてきて、ずっと笛を吹いてやっていたのだ。
 
   深深とした幻想的な世界。男の子と小さなモミの木だけの―
   ー
 
   いや、この2人(?)を見守る無数の優しいまなざし。
 
   でも、それでかぜをひいて…。
 
   このあとどうなったかは、お読みいただくことにしよう。あ
   んぺい先生が男の子のために霧ふり山の仕立屋さんが特別に
   つくってくれたひざ掛けを貸してやるのだが…。
 
   わたしたちはややもすると、この世の中には人間だけしか、
   あるいは姿あるものだけしか存在していないような大きな錯
   覚をしている。「命あるもの」またそうであったもの、のこ
   とを今一度しっかり考えてみる必要があるのではないだろう
   か。
 
   この男の子のように、他者の「痛み」を理解して、自己を犠
   牲にしながらも、相手を癒そうとする優しい心。
 
   植物に相対するとき、優しく声をかけながら水を与えるのと
   そうでないのとでは大きな違いがあると聞く。また人間が鋏
   を持って近づくと怖がるともいう。
 
   植物がそうなのだから、動物たちはもっと豊かな感情を持っ
   ていても不思議ではないだろう。
 
   前回、ご紹介させていただいたが、「トトロ」にしても「ま
   っくろくろすけ」にしても、この世の中に何がいても別に不
   思議ではないのではないだろうか。
 
   ただ、「目に見えない」からその存在を否定するというのも
   いささか傲慢な気がする。
 
   そろそろ自然と調和して生きていく時代がやってきても、い
   いのではないだろうか。昔の日本人は“森”や“山”を非日
   常の空間として捉え、畏敬の念をもって接していたのではな
   かったか。
 
      小学生中学年以上。誰でも楽しめる1冊になった。久しぶり
   にハイキングに出かけたくなった。気は早いがカタクリの花
   が咲くころに御前山にでも行ってみたいな。
  
   
  
 
   ==============================================================  
 
 
 
 
 
              ゆららおもちゃ箱
 
 
 
        
http://blog.livedoor.jp/yuralila-omb/ 
 
 
 
 
       樹木図鑑   シラビソ
 
 
 
 
              
http://www.geocities.jp/greensv88/jumoku-zz-sirabiso.htm
 
 
 
 
       「しらびそ便り」ブログを発見
 
 
       長野県南牧村にあります
 
    
       ああ、行きたい!!
 
 
              
http://blog.goo.ne.jp/shirabiso1962http://www.ghibli.jp/
 
 
 
       しらびそ高原    美しいです
 
 
 
             
 http://www.tohyamago.com/kankou/sirabiso/
 
 
        
 
 
 
 ==============================================================
 
 
 
 
 
        こもれび村のあんぺい先生 
 
 
 
 
 
             
 
 
 
                 茂市 久美子/作
                 こみね ゆら/絵
   
 
         
      
             1998年6月 初版 あかね書房刊
             
 
 
            あかね書房のホームページは
 
 
             
http://www.akaneshobo.co.jp/
 
     
   
 
   
   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
   ==============================================================

「迷子のお月見遠足 スケッチ童話集」

  • 2014.11.16 Sunday
  • 00:00
JUGEMテーマ:オススメの本


 
 
   【こんな一冊の本】
 
 
 
 
        迷子のお月見遠足  
 
 
 
 
         スケッチ童話集
 
 
 
 
 
                 福永 令三/作
                 杉田 豊/画
 
 
 
 
==============================================================
 
   
   
 
 
 『秋の夜長の物語』
 
   
 11月15日――

 
河野象吉(しょうきち)の通夜に東京から堺田勝秋という老紳
 が参加したが、象吉の家族はいずれもその人とは初対面で、
 去の電文を打つ時も、連れ合いにもどういう人物なのか不
明で
 あった。

 
 既に幕開けから、童話らしからぬ雰囲気を本編は漂わせている。
 表紙裏に「子どものこころをもったすべての人に贈る、
秋の夜
 長編」とあったっけ…。

 
 この堺田氏におばあちゃんも覚えが全くなかったが、お悔や
 のことばを聞くなかに「靖国神社」が出てきたので、故人
が古
 希の秋から日を決めて上京していたことと思い合わせて、
その
 つながりだろうと信頼感を抱いた。

 
 その弔問客は象吉の温顔の遺影を見て、何か言いたそうにし
 いたので、長男が訊ねたところ、「お仏壇の下のひきだし
はご
 覧になりましたか」と予想外のことを言い出した。

 
 その引き出しの奥に遺影と出棺のときに鳴らしてほしいテー
 がある、というのだ。

 
 言われたとおりにすると、果たして数年前の象吉の写真と、
 の全身像が、テープも出てきた。

 
 本人が歌った『暁に祈る』が録音されている、とそこから客
 象吉の出会いに話は展開していく。

 
 それは20年以上も前のこと。靖国神社の北門近い、戦没軍馬の
 
慰霊像の前でだったと語る。
 
 ふたりとも、手塩にかけて育てた馬を陸軍にとられたという。
 
兵隊は復員してくるけれども、馬は1頭たりとも帰ってこな
 
かった。それが無理なことはわかっていても、泣けたという。
 
 象吉も像の前で泣いていたという。語り合い、白髪頭どうし
 抱き合って泣いたと。

 
中国大陸におきざりにされた50万頭の馬たちがどんなに故
 郷に帰りたかっただろうと。
 
 堺田氏が営むカラオケ喫茶を占有して、ふたりして『暁に祈
 る』を思う存分歌ったとも語る。それも、いきなり3番を象
 吉は歌いだしたのだと。
 
 
 
        あーあー 軍服も ひげづらも
        どろにまみれて いく百里
        苦労を馬と わけあって
        とげたいくさも いくたびか
 
 
 そして 5番に飛び
 
 
        あーあー 傷ついた この馬と
        のまず食わずの 日も三日
        ささげたいのち これまでと
        月の光で はしりがき
 
 
 こればかりを繰り返したのだという。
 
 さらに堺田氏は語る。
 
 よっぽど中国へ渡って“花桜(愛馬の名前)”のその後を調べ
 たかった。終戦まで生きていたという。だが、馬の寿命は20
 年ぐらいだからと。

 
象吉も多少の違いはあれど同じ思いのようだったとある。

 
ここへ挟まるのが『水師営の会見』のエピソードだ。これが、
 すぐにわかる小学生は如何ほどいるだろうか。日露戦争の停
 戦終結させた乃木希典大将とアナトリーイ・ステッセル中将
 のそれを歌にした歌詞にあるという。ちなみに佐佐木信綱氏
 の作詞だという。
 
 
        我に、愛する良馬あり
        きょうのきねんに献ずべし
 
 
 と、ステッセル。対して乃木さんが返して
 
 
        好意謝するに余りあり…
 
        長くいたわり、養わん
 
 
 と。(ほかを見ると、「好意」ではなく「厚意」になってい
 る)      

 
戦争に翻弄されるのは人間だけではない、という話だ。ここ
 に「反戦」という字は一度も現れてこない。

 
それでも、最後までこの掌編を読んでみると、ひとりびとり
 の人間のやるせなさが表されていないだろうか。       

 
のるまんじいは、「供出」という名の下で、たくさんのイヌ
 たちが集められ、その後どういう運命をたどったかを読んだ
 ことがある。椋鳩十氏の『マヤの一生』もこれに近いだろう
 か。のるまんじいは辛すぎてこれを取り上げることができな
 い。
 
 ついこの前の、NHKテレビの朝のテレビ小説『花子とアン
 』の第130回(8月28日)でもその場面があったと、そして
 ドラマと史実の違いを書かれた記事も読んでみた(下記参照)
 。ちなみにのるまんじいにはテレビがないのでこの目では見
 ていないが(苦笑)。
 
 本書には、表題の『迷子のお月見遠足』を始めとして、福永
 氏の住まいであった熱海市あたりを舞台にして、およそ季節
 を追って、過ぎ行く夏の『若和尚とセミ』から冬の到来を告
 げる『イワシ雲ヒツジ雲』まで全26編が収められている。
 
 本書を取り上げたきっかけだを語ろう。
 
 どこかで本書『迷子のお月見遠足』のあるのを知って、一度
 読んでみたいと思った。
 
 作者があの『クレヨン王国』シリーズを紡ぎ出した福永令三
 氏だからに違いなかった。のるまんじいがこのシリーズの読
 んだのはもうずっと前のこと。読後は「いいなあ」という感
 想を持ちながらも、当時はそれでお終いだった。守備範囲外
 だと思ったのだ。
 
 その福永氏が“スケッチ童話集”を世に送り出しているのを
 知ったのは、ある夏のことだった。
 
 Myお約束で、夏には1本ぐらいいかにも夏らしい題材のも
 のを取り上げたくて、あれやこれやと探していた時に引っか
 かったのが、『ゆうれい宿と妖精ホテル』だったが、これは
 のるまんじいではないなと思い、じゃあ「秋」の『迷子のお
 月見遠足』はどうだろうかと読んでみたら、こちらはもうジ
 ャストフィットの連続。
 
 それが今年の7月のことだった。
 
 これはいい。だったら、季節に合わせて記事をご紹介しよう
 と考えた。
 
 ここでは、作者のあとがきに注目したい。
 
 文章とは「何を」「どう書くに尽きる」。
 
 「どう書く」を描写するとすれば、「何を」はアイディアの
 領域だと記す。描写とアイディアを車の両輪とすれば、一方
 だけでは間に合わないと。アイディア四十八手の習熟こそ、
 自分に欠けていたとお書きになっている。
 
 そして、ここから川端康成氏の最初の出版作『感情装飾』と
 『僕の標本室』に掌編小説という分野があったと思い出され
 、“掌編童話”、つまり「スケッチ童話集」の誕生をみたの
 だという。
 
 福永さんは川端康成氏を敬愛してやまなかったという。
 
 さらに。
 
 「起承転結」式のアイディアの深層が見えたとも。
 
 頼山陽が京都で流行った俗語をネタに教えたと、吹田安氏の
 漢詩新釈にあると著し、われらが世代なら聞き覚えのある「
 アレ」が登場する。
 
 
      京の四条の糸やの娘   (起句)
 
      姉は十八、妹は十五   (承句)
 
      諸国大名は刀で殺す   (転句)   
 
      糸やの娘は、目で殺す  (結句)
 
 
 要領を得ている、と。
 
 通り一遍の児童書のあとがきではないな、唸る。
 
 ちょっとここで。この漢詩新釈をお出しになったのは國學院
 大學名誉教授の吹野安先生のことと思われる。
 
 さらに、作者は4枚童話へと枚数規制を自ら強め、アイディ
 ア技法の抜け道マップでも作ろうと思う。と、この稿をしめ
 ておられる。
 
 福永氏、喜寿のときのことばだ。
 
 あとがきだけを読んでも一読の甲斐があろうというものだ。
 
 順逆になるが、まえがきもとてもよい。
 
 やはり児童書は大人も、ではなくて、おとな“が”読む分野
 なのかも知れない。本書を読んでそれを深く感じた。この味
 わいはおとなのもののような気がする。
 
 それでもまあ、小学校中学年以上あらゆる世代のみなさんへ
 ご一読を薦めることにしよう。
   
   
 
==============================================================
 
 
 
 
     福永令三『クレヨン王国』の世界
 
 
    
       伊藤剛氏がインタビューしています
 
 
 
      
http://rockman.mydns.jp/papa/QuickJapan.html
     
 
 
 
     杉田豊氏の絵は同氏の名前で画像検索されたい。
 
 
 
 
    「花子とアン」から考える軍用犬の真実、飼い犬は
 
 
    なぜ供出されたのか
 
 
 
     
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20140829/E1409251660416.html
 
 
 
==============================================================
 
 
 
 
        迷子のお月見遠足  
 
 
 
 
         スケッチ童話集
 
 
 
 
 
                 福永 令三/作
                 杉田 豊/画
   
 
         
      
             2005年10月 初版 新風舎刊
             
 
 
 
           新風舎は現在、存在していません。
 
 
   
 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
 ==============================================================

「川」

  • 2014.11.13 Thursday
  • 00:00
JUGEMテーマ:オススメの本

  
 
 
 
   【こんな一冊の本】
 
 
 
 
 
        川   
 
 
 
 
 
 
                   新美 南吉/作
 
 
 
==============================================================




 
世の男の子にとって時代を問わず“川”というものの存在は
 ことの
ほか大きい。
 
 夏は水泳ぎの場として格好であることは言うまでもなく、常
 日頃か
ら切っても切れないぐらいの友でもあり、しかしそれ
 でいて少しで
も心を許せば「がっ」と牙をにわかに剥いて襲
 いかかってくるそん
な怖いものでもあった。
 
 すでに晩秋のそれも下手をすればあっというまに日が傾き出
 しそう
なそんな小学校からの帰りの道で、いつもちょっと風
 変わりな行動
をとる薬屋の音次郎くんが大きな百匁柿(ひゃ
 くめがき)を取り出
して、一緒に遊ぶことの多い久助君、徳
 一君、そして兵太郎君に向
かってとんでもない提案をしてき
 た。

 
 川の水の中に一番長く入っていられたものの柿をやろうとい
 うので
ある。
 
 本作品『川』はこのように幕を開けていくのだった。
 
 ちなみに1940(昭和15)年発行の「新児童文化第1冊」に初め
 て掲載
されたようで、今から74年前のことになる。というこ
 とはここに登
場する男の子たちと同世代の方が多くご健在と
 いうことで、作品が
より身近に感じられる。
 
 さて、この音次郎くんの突拍子もない提案に対して、3人が
 どんな
反応をしたかといえば――。
 
 いつものこととて誰も驚かないばかりか、澄んだ流れの面を
 憑かれ
たような表情で3人揃ってながめた。
 
 もう1度言おう。
 
 晩秋の午後のことである。現代っ子たちなら「そんな冷たい
 水の中
にフルチンになって入るなんてなにをばかな」「ぬれ
 たらかぜひく
でしょう」とでもいうだろうか、それとも「そ
 れってもしかしてイ
ジメじゃないの?」なんて言ってくるだ
 ろうか。

 
 これがのるまんじいの世代までだったら、得体の知れない不
 思議な
何かに取り付かれるように感じて、ちょっぴり痺れた
 んじゃないだ
ろうか。秘めごとの魅力は大きかったはずだも
 の。「これって、ぼ
くらだけの内緒だからね」なんて言い合
 って、あるいは黙って、そ
そくさと進めることのちょっとし
 た麻薬のようなあぶない魅力。あ
ぶないからこその魅力とで
 もいうのだろうか。そんな世界が確かに
存在していた。
 
 作者の新美南吉さんはどちらかという外で真っ黒になって遊
 ぶよう
な子どもではなかったらしい。真夏の炎天下にほかの
 子どもたちが
川遊びをしているのを土手から見ていたり、木
 陰で本を読んでいる
ようそんな子だったらしい。
 
 自分もそういう遊びの中にはいって水を掛け合ってみたかっ
 たのか
も知れない。そんな思いがこの『川』という物語の中
 で久助君たち
を冷たい水の中に浸らせたのかもしれない。
 
 さて。
 
 ここで兵太郎君は柿がほしくてがんばってしまう。男の子に
 だけは
わかるけど、冷たい水にはいっているとだいじなとこ
 ろがきゅっと
ちぢんじゃうんだよね。妙な感じなんだよ。徳
 一君と久助くんがさ
っさと土手に上がったのちも水の中にい
 た。実は冷たくて自力で上
がれなくなってしまったのだった
 が。みんなで土手に兵太郎君を引
き上げて、身体をふいてや
 って、着るものを着せておぶってあたふ
たと家まで連れて帰
 ってやったのだった。

 
 さも兵太郎君の兵太郎くんらしいところ、のようだ。
 
 これで終わりならなんでもなかったが。
 
 翌日から兵太郎君は学校に来なくなった。それが3日たって
 も1週
間たっても顔を見せなかった。自分たちに原因がある
 と思って先生
にどうして休んでいるのか聞くことができない。
 家を訪ねても人気
がなくて心配になるばかり。自分を責める
 久助君だった。久助君は
徳一君や音次郎君たちも心を痛めて
 いるのを知ったが、顔を合わせ
ばお互いの傷に触れるだろう
 と感じて避けて遊ばないようになる。

 
 のるまんじいは久助君なんと感受性のある少年だろうと感心
 する場
面がある。もちろんこれは南吉さん自身の心の世界を
 投影したもの
なんだろうが、「さすが!」というかもう頭が
 下がってしまうので
ある。小5ぐらいの男の子がこんなこと
 を感じるのだろうかと。

 
 せっかくだからちょっとつまみ食いをしちゃおうっと。
 
 まずは事件の次の朝の場面。
 
 つぎの朝久助君は、山羊えさをやるため、小屋の前へいって、
 ぬれ
た草を手でつかんだとき、きのうの川のできごとを思い
 出した。と
同時に、兵太郎君はどうなったろうという心配が、
 重く心にのしか
かってきた。まもなくまた忘れてしまった。
 だが心配の重さだけは
忘れているまも心にのこっていて、な
 んとなく不愉快であった。

 
 のるまんじいは「うーん」とうなるのみだった。
 
 やがて同級生たちは兵太郎君の存在を忘れてしまうようにな
 る。そ
こに久助君は「兵太郎君の死」を感じるようになる。
 
 こんな風に南吉さんは表現している。
 
 もとから久助君は、どうかすると見なれた風景や人びとのす
 がたが、
ひどく殺風景にあじけなく見え、そういうもののな
 かにあって、じ
ぶんのたましいが、ちょうど、いばらの中に
 つっこんだ手のように
、いためられるのを感じることがあっ
 たが、このごろはいっそうそ
れが多く、いっそうひどくなっ
 た。こんなつまらない、いやなとこ
ろに、なぜ人間は生まれ
 て、生きなければならぬのかと思って、ぼ
んやり庭の外の道
 をながめていることがあった。

 
 もちろん、物語ではここの部分と対照的なポジティブな思考
 をする
久助君が山場で登場するのだが、これって小学生対象
 の読み物かし
らと思ってしまうぐらいである。
 
 最後に陰の部分から明の部分に繋がっていくこの場面を取り
 上げてみよ
う。
 
 日ぐれだった。
 
 久助君のからだのなかに、ばくぜんとした悲しみがただよっ
 ていた

   
 昼のなごりの光と、夜の先ぶれのやみとが、地上でうまくと
 けあわ
ないような、みょうにちぐはぐな感じの、ひとときで
 あった。
久助君のたましいは、長い悲しみの連鎖のつづきを、
 くたびれはて
ながら旅人のようにたどっていた。

 
六月の日ぐれの、びみょうな、そして豊富な物音が戸外にみ
 ちてい
た。それでいてしずかだった。
   
 久助君は目をひらいて、柱にもたれていた。なにかよいこと
 がある
ような気がした。いやいや、まだ悲しみはつづくのだ
 という気もし
た。
 
 あとは記事をお読みいただいているみなさんにこの作品を直
 接読ん
でいただいた方がいいただろう。おいしいところをこ
 れ以上取り上
げるのは野暮の何ものでもないだろうから。
 
 あえて親しみをこめて「南吉さん」とのるまんじいは呼ぶが、
 この
人の作品を機会あるごとに紹介したく思っている。
 
 本作品の書き出しが今ごろの『川』を今回ご紹介させていた
 だくこ
とにした。この度再読してみたら、せつなくてまた胸
 をしめつけら
れ、少しでも気を抜いてかかれば。ついっと頬
 を涙が伝いそうにな
った。
 
 「やばい、やばい」
 
 この久助くんものるまんじいにとっては大切な男の子のひと
 りにな
っているのだ。つらい思いをひとりで抱え込んでいる
 彼を直視なん
てできやしないのだ。
 
 新美南吉さんという人は「せつなく」「温かく」「やさしい
 」世界
を紡ぎ続けて31歳という若さで逝ってしまった。「
 もしも」が許
されるならば、中年になってから、そしてそれ
 以降どんな世界を子
どもたちに送り届けただろうか。
 
 不安定な心でおろおろしながら日々を送っているのるまんじ
 いにす
っぽりとはまったこの作品、子どもたちにはどうやっ
 て伝えていっ
たらいいだろうか。その前におとなであるみな
 さんにご一読をお薦
めしたい。すでにお読みの方には再読を
 お薦めしよう。

 
   
   
 
==============================================================
 
 
 
 
 
     新美南吉記念館ホームページです
 
 
 
 
       
http://www.nankichi.gr.jp/
 
 
 
 
 
     新美南吉生誕百周年公式ウェブサイトです
 
 
 
      ちなみに2013年がその年です
 
 
       
http://birth.nankichi.org/
 
 
 
 
 
   ==============================================================
 
 
 
 
         川  
 
 
 
 
                  新美南吉/作
 
 
 
 
 
     青空文庫  所収

                 
 
 
      
http://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/631_21640.html
 
 
     
   
 
   
   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
   =============================================================

 

「ぼくにはしっぽがあったらしい」

  • 2014.09.23 Tuesday
  • 23:00
JUGEMテーマ:オススメの本


 
 
 
  【こんな一冊の本】
 
 
 
 
 
      ぼくにはしっぽがあったらしい 
 
 
 
             
 
 
    
 
                なかがわ ちひろ/作・絵 
 
 
 
 
 ============================================================
 
   
      
 
 暑さ寒さも彼岸まで――
 
 そう言い慣わされてきた、きょうが「彼岸の中日」。
 
 今年は猛暑を通り越して“激暑”とでも言いたくなるような暑
 い日々が続いたと思ったら、ふっと肩の力を抜かせるように涼
 しくなってきて、「アレレ」状態のこのところ。

 
この前の「大の月、小の月」ではないが、今回も「彼岸」やま
 して「中日」となると、「なんじゃそれ?」と言われそうでこ
 わい。
 
 まあ、「猛暑」だろうが「激暑」だからといって、その暑さが
 今回ご紹介しようとする本書とこれといった関わりはなく…。
 
 
   『ぼくにはしっぽがあったらしい』
 
 こんな題名を知ってしまったが最後、さてはていかなる物語だ
 ろうと手に取らずにはいられまい。
 
 で、取ってみたところ、“物語”ではないな、と思った。
 
 出版元の理論社はNDC(日本十進分類表)を「913」として
 いるから、そうでもないか。ちなみに「913」は“日本の物
 語・小説”である。
 
 まあ、そんなこともどうでもよく(笑)。
 
 パンツ姿一丁で半ズボンをはきかけの男の子が、
 
 
     うん、やっぱまちがいないよ……
 
   
 ページをめくると、今度は洗い桶に座ってシャンプーしながら
 
 
     だって、ないと さびいじゃん……
 
 
 とひとりごちて、次ページに大きく
 
 
 
    『ぼくにはしっぽがあったらしい』 
 
   
 となる。
 
 
 授業がなかなか終わらなくて、集中力が切れてくると、おしり
 
の上がむずむずして、動き出す。
 
 教壇の上では、ふくよかな先生が今まさに異分母同士の足し算
 を「差し棒」で示し、「わかった人〜?」とでも言っているん
 だろう。ひとり手を挙げている。例の男の子は鉛筆を体温計み
 たいにくわえながら脇を向きながら「あーあ……」と。
 
 ズボンからはふさふさとしたしっぽが――。
 
 こんな具合に本書は始まっていくのだが、この本「しっぽ」だ
 けに域を止めない。
 
 
 
       じつは、ぼくはけものなのだ    
 
 
       うろこだってあったかもしれない
 
 
       たぶん しょっかくも あった
 
     
       超音波が きこえる
 
 
       ぼくのなかに 海がある
 
 
       無重力を しっている


 
これがどんなふうにつながって、展開していくのは興味深いと
 と思う。
 
 
 そして最後のさいごに行き着いた先にあったのは、
 
 
    つまり、みんな 気がついてないけど、
 
       
       ぼっくて じつは…


 
気になって次ページをめくると、そこには見開きで――
 
 おお〜、そうかあ、こうくるかあと
 
 すかっりなかがわ(中川)ワールドにはまっていた。

 
作者の中川千尋氏というと
「しらぎくさんのどんぐりパン」
 今年の3月に取り上げさせていただいたが、独特の宇宙観の中
 に温もりを感じさせる素敵な作品だった。
 
 本書とその『しらぎくさんとどんぐりパン』とどちらを先に知
 ったかというとおそらく『しらぎくさん…』だっただろう。本
 
書『ぼくにはしっぽがあったらしい』はまるで別のルートで、
 それも『オバケのことならまかせなさい! 』とこれまた面白い
 1冊と同時に情報を仕入れたのだった。というか、『しらぎく
 さん…』と本書の作者がいっしょと結びついていなかった。
 
 それぐらい違った雰囲気の別々の、でもそれでいて同じ作者だ
 と納得させるような接点を匂わせる何かのある本たちである。
 
 それにしても。
 
 この男の子ではないが、「なぜ人間には『しっぽ』がないんだ
 ろう?」そうみなさんお思いにならないだろうか?
 
 “尻尾”って不思議だよねえ――。
 
 
 “不思議”を通り越しちゃうかも知れない。
 
 本書の「表紙裏」「裏表紙裏」共に新体操のリボンのようなも
 のと「男の子」「クラゲ」「原始人」「サル」「プテラノドン
 (空飛ぶ恐竜)」「空飛ぶ円盤」「胚」……が描かれている。
 
 リボンはおそらくDNAなんだろう。
 
 ぼくたち人間はいつ、どこへ「シッポ」を忘れてきたのだろう
 

 
 今さらながら、「シッポ」についてちょっとばかり復讐を、お
 っといけねえ、「復習」を。
 
 
  ・ものをつかむ  例えば木の枝
 
  ・愛情表現をする ワンコみたいにね 
 
  ・イライラするときにふる
 
  ・バランスをとる ヤマネとかかな
 
  ・武器にする   

     痛そうだよね、ビューンなんて振られたら

 
  ・間合いをごまかして、獲物の距離感をごまかす
 
  ・身体を支える  カンガルーなんか…
 
  ・脂肪を蓄える
 
  ・尾翼の代わりにする  etc.だな。
 
    
 ここから先は、およそのHPを見ていただくほうが早いのだけ
 れども。

 
妊娠2か月ぐらいまでの赤ちゃんは「シッポ」がついている。
 その姿は、人間もうさぎも、さかなも、鳥も、そっくりなんだ
 って。
 
 それがおかあさんのおなかの中で、成長とともに身体の中に吸
 収されるらしい。
 
 のるまんじいは知らなかったのだが、「シッポ」を持って生ま
 れてくる人も稀にいるそうで、「隔世遺伝」と呼ばれ、何世代
 も前の先祖が持っていた遺伝子が突然目覚めて発症する現象な
 のだそうだ。
 
 そして。
 
 「進化」とは退化は反対語ではなくて、退化というのは進化の
 一種だ書いてあるのを読んで妙に納得した。
 
 それにしてもどのへんでわれわれの先祖たちは「シッポ」と別
 れを告げたのだろうか。どうしても気になるなあ。
 
 閑話休題。
 
 みなさんは、黒柳徹子さんの『窓際のトットちゃん』(講談社
 /)をお読みになったことがあるだろうか?

 
トットちゃんは授業妨害ばかりするというので、小学校1年生
 で公立の小学校を「退学」になってしまったのだが、そのトッ
 トちゃんを受け入れてくれたのが、小林宗作氏が創立して校長
 だったトモエ学園だった。
 
 そこでの毎日は読んでいて飽きないが。ある日、担任の先生が
 授業中に「シッポ」の話題を取り上げ、さして深く考えずに身
 長
が伸びない男の子に向かって、「○○くんにはまだあるんじ
 ゃ
ない」と発言したのを校長先生がたまたまそれを聞き、担任
 に
激怒する場面があった。確か指名された男の子は必死に否定
 し
た筈だ。詳細については間違いがあるやも知れぬので、直接
 お
読みいただきたい。
 
 “激怒”といっても、子どもたちのいないところへ担任を呼び
 叱るのだが、そこには“怒り”よりも自分の思いの伝わらない
 “情けなさ”“悔しさ”が大部分を占めていたように思う。
 
 「相手のことを考えて発言する」
 
 「シッポがあるんじゃないの?」

 
そう言われた男の子の気持ちになって考える、そのことばがど 
 んな影響をもたらすか――。
 
 子どもたちのことを何よりも一番に考えていた校長先生の姿を
 、
そしてそこに込められた真意を大人になってから理解できた
 と
黒柳さんは述懐している。
 
 本書、『ぼくにはしっぽがあったらしい』を取り上げるに際し
 てもどうしても、この場面が頭から離れなかった。関係ないか
 も知れないが、ここで書きたかった。 
 
 小学校中学年以上。物語文とか苦手な子どもたちでも十分に楽
 しめること間違いない。最後の「ぼっくて じつは…」ここま
 で行き着くのが大人でも楽しいだろう。ご一読をお薦めする。
 
=========================================================== 
 
 

      ぼくにはしっぽがあったらしい 
 
 
 
             
 
     
 
                なかがわ ちひろ/作・絵  
   
 
         
      
             1998年5月 初版 理論社刊
             
 
 
             理論社のホームページは
 

 
            
http://www.rironsha.com/
     
   
 
   

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇  ============================================================

「かたすみの満月」

  • 2014.08.15 Friday
  • 00:00
JUGEMテーマ:オススメの本

 
 
 
 
  【こんな一冊の本】
 
 
 
 
 
        かたすみの満月






                 花岡大学/作
                 
大古尅己/絵
 
 
 
 
   ==============================================================
 
   
      
   
   長かった戦争がやっと終わって、待ちわびた平和が日本に訪れ
   たときどんなにかみんなが喜んだか本当のところ、それは経験
   したものにしかわからないものだろうとそう思う。
 
   人によってはこれは終わったのではなく負けたのだからそこは
   正確に記せと言うかも知れないが、それはその通りだけれどこ
   こで言わんとすることからは些か外れるように思われるので、
   敢えて一言断りを入れておきたい。
 
   その戦争が確かに終わった。それは夫や子どもが兵隊に持って
   いかれることがなくなり、そしてまた空襲に逃げ惑うことがな
   くなったことで実感したであろう。
 
   平和になってみると、そこに待っていたのは何だったのだろう
   か。きっとそれは「貧しさ」ではなかっただろうか。気がつい
   たら、みんな貧しかった。そして空腹だった。周りがみんな貧
   しかったから、そんなに気にならなかったと耳にすることがあ
   るけれど、貧しさの中にもそれなりのしかし歴然とした格差が
   存在していたはずである。
 
   こんな貧しかった時代に、精一杯生きた人たちがいた。
 
   その中のひとりの名を阪井良海さんという。
 
   そして奥さんと5人の子どもたち。もちろん創作の中での人で
   ある。それでものるまんじいにとってこの良海さんたちは実在
   の人物とちっとも変わらずにいきいきとその生きざまを見事に
   まで本の中で見せてくれるのである。
 
   奈良県といっても、大和盆地からずっと南へ、そして吉野の里
   から奥に入った、前も後ろも杉の山、山ばかりの、秋津川とい
   う川の谷間にそって集落がぽつんぽつんとあるそんな山奥の村
   の清願寺という寺の住職さんがこの良海さんである。
 
   奥さんは今朝も早くから箪笥の底に残り僅かになった単衣の着
   物を金に換えに出かけていった。育ち盛りの男の子ばかり5人
   の食料に代わるのだった。
 
   お寺では目玉の映るようなうすい麦ばかりのシャブシャブのお
   かゆばっかりしか食べられず、この子どもたちはすっかりやせ
   こけてとがった顔をしていて「5匹のきつねども」とある檀家
   の嫁さんから悪口を叩かれていた。これを聞いた良海さんの奥
   さんは涙を流して悔しがったが、良海さんは「そうか」とも言
   わなかった。
 
   良海さんは5年余りも戦争にとられて中国に行っていた。寺に
   帰ってきて一番最初にしたことは、新しいノートにこう書いた
   のだった。
 
 
   おれは、世にもおそろしい、大馬鹿者になりたい。
 
 
   これに付き合わされる家族はたまったものではなかろう。良海
   さんの考えのままに暮らすしかない。夏は暑きよう、そして冬
   は寒きようにと。年中うすい麦がゆをすすって糊口をしのいで
   いる。それでいても心を清く持ちたいと良海さんは願うのであ
   る。傘なんぞ破れ傘でさえ、ましてや長靴など満足に子どもた
   ちに買ってやれない。でも、涙をぐっとこらえている良海さん
   がそこにいる。
 
   一方の生産者たる村人たちは町の人たちが買出しにやってきた
   り、地元で作っていた梨をうまく流通させたりして、今までに
   ないぐらいほくほくとした懐具合になっていた。しかも、貧し
   さの中で格差が生まれるとその格差がある意味快感になってた
   まらなくなっていく。「衣食足りて礼節あり」なんて嘘っぱち
   である。
 
   そうそう、ちょうど日本中の土地が高騰して農家に土地成金が
   出現したのを強烈に皮肉った井上ひさし氏の『ドン松五郎の一
   生』という小説があった。御殿を建て、2階建てなのにエレベ
   ーターをつけ、そして庭には何億もする錦鯉が我が世の春を謳
   歌しているといったものだったろうか。
 
   ま、ここまではいかないだろうが、似たりよったりである。
 
   さてさて、この本は10篇の短編が収められている。表題の『
   かたすみの満月』で本書の作者の花岡大学氏は小川未明文学賞
   奨励賞を受賞しておられる。
 
   みなさんはこの花岡大学氏をご存知だろうか。のるまんじいは
   何年も前に氏の『スイレンの花』という児童向けの短編を読ん
   だことがあって忘れられなくなってしまったのである。
 
   わき道に大きく逸れてしまうが。
 
   主人公の五郎は梅雨の晴れ間に、校庭に出ようとして外に走り
   出て思わず立ち止まった。今、あたかも白いスイレンの花が開
   こうとしているのに見とれたのだった。その美しさがきのう転
   校してきたばかりのキヨという同級生の女の子の笑顔と同じだ
   ったというのである。ここには池に現れたちいさなヘビをめぐ
   ってキヨとの会話もある。とっても清清しい1篇である。
 
   ここから「花岡大学さん探りの旅」がスタートしたのだった。
   花岡氏は生前、京都女子大名誉教授で児童文学者、そして僧職
   にあった。もしかすれば良海さんは花岡さんご自身なのかも知
   れない。いや、きっとそうに違いなかろう。この本のあとがき
   で中川正文さんがそこのところを語っているように。
 
   閑話休題。
 
   読み始めのころはなんとも地味でとっつきにくい印象があった
   が、気がつけば近ごろ感じなかった「清澄」とでもいうのだろ
   うか、心の中が透明になっていくようなそんな心持ちになって
   いったのである。ある場面では不覚にも嗚咽を、そしてあるい
   は落涙という不甲斐なさが伴ったのである。いったいこれはな
   んだったのだろうか。
 
   貧しさゆえに五男を口減らしとして親戚に養子に出そうと画策
   する奥さん。苦々しく思いながらも言い出せない良海さん。き
   ょういよいよ家を五男が立つという時になって断固反対してそ
   れを止めるのだった。「けしからん朝」に収録されている。
 
   貧しいということに卑屈になることはない。胸を張って前を睨
   んで堂々と進んでいけ。「貧しい」ことを楽しんでしまえ。「
   富む」ことによって卑しくなるなということだろうか。このこ
   とに涙したのだろうか。
 
   奈良地方の方言がたっぷりと使われていて、懐かしくそしてう
   れしくてたまらなかった。そしてまた、近ごろでは使わないだ
   ろうことばや表現が散りばめられてあって、「ああ、こんな表
   現の仕方を今の子どもたちにぜひ読んでほしいなあ」と思った。
   これもうれしかった一因だろう。
 
   さてさて、もう少しおつきあい願いたい。
 
   『かたすみの満月』である。吉野地方では夏祭りに「すし」を
   作るという。なにも取り立てて珍しいことではない。いやいや、
   そんなことはない。何しろこの地方の名物は「柿の葉すし」で
   ある。妙に納得してしまった。酢飯を長方形に握ってその上に
   熊野灘で捕れた旬の脂ののったしめ鯖を乗せて、それを柿の葉
   に包んで押した一品である。なんとも美味である。のるまんじ
   いはすっかり食べたくなってしまった。
 
   それを良海さんは作ろうというが、奥さんは「そんな米なんぞ
   ない」と首を横に振るばかり。子どもたちには到底納得できる
   筈がない。翌日、檀家の法事から帰って来て台所を眺めた良海
   さんの目に留まったのはかごの中いっぱいにつまった、摘んだ
   ばかりらしい青々とした柿の葉だった。これを見た良海さんは
   どうしたか。
 
   子ども思いの良海さんの取った行動とは……。
 
   小学生向け。
 
   この本は1960(昭和52)年に京都市にある仏教図書出版の百華苑
   から世に送り出された。その後、同じ京都の探究社から出てい
   る。本書を所蔵している図書館も多くあるので、みなさんにも
   良海さんの世界に浸っていただきたいと思う。それはこの物の
   有り余る現代に生きている子どもたちにも「読んでな」と言い
   たい。
 
   そして。あらゆる世代の方にご一読願いたい、そう思う。
 
 
 
  ==============================================================
     
 
 
 
 
   
柿の葉すしといえば「平宗(ひらそう)」です
 
 
 
      
http://www.kakinoha.co.jp/
 
 
 
 
 
 
  ===============================================================
 
 
 
 
 
  柿の葉ずしが登場します
 
 
 
 
    
「にんげん住所録」
 
 
 
 
 


             高峰 秀子/著  文藝春秋/刊
   
 
 
 
 
 

 
 ===============================================================
 
 
 
 
      
かたすみの満月
 
 
 
   
 

                  花岡大学/作
                  大古尅己/絵 
   
 
         
      
             
1977    初版 探究社刊
                   1978年3月2刷
             
 
 
 
      
   探求社のホームページは
 
 
       
http://www.tankyusha.co.jp/
     
   
 
  
   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
   ==============================================================

「あの日、指きり」

  • 2014.08.10 Sunday
  • 18:00
JUGEMテーマ:オススメの本


 
 
   【こんな一冊の本】
 
 
 
 
 
        あの日、指きり
 
 
 
    
 
                 那須 正幹/作
                 田頭 よしたか/絵
 
 
 
 ==============================================================
 
            
   
  JR呉線は広島駅を出て少しばかり東京方向に戻ると電車
    はやがて市
街地を出外れ、海沿いに走ることになる。はな
    から海を見たくていつ
も進行方向右の窓側に席を取る。
 
  突然視界が開ける。瀬戸内の海だ。潮流は速いそうだが、
    いつも穏や
かな優しい姿で迎えてくれる。近くに遠くに島
  々が見え、また牡蠣棚
も見えている。朝な夕なそれぞれの
  表情で心を和ませてくれる。そん
な景色が好きだ。この瀬
  戸内沿いのとある町の、それも海の近くで夏
の盛りに泊ま
  ったことがあった。もう数十年も前になるが。

  
夏のことゆえ、暑いのは当たり前だが、この暑さは東京の
  それとは違っ
た。太陽が近いのだった。

  
ちょっと歩けばじりじりと焦がされるような強烈な暑さだ。

  
朝早く暑くて目が覚めたが、階下から聞こえてくる近所の
  生活の物音
とそれに混じって話し声が聞こえる。耳に心地
  よい広島のことば。そ
れらがとても長閑で自分が住まいす
  るところと比べて流れる時間のあ
まりの違いに驚きと羨ま
  しさを感じたものだった。

  
同じ瀬戸内でも山口県も西の方へ行くとやがて海の色が違
  ってきて、
遥か南国を感じさせることになる。そんな瀬戸
  内ぞいでの中関という
町で少年期を送った小4のノブオ君
  が今回の【こんな一冊の本】の主
人公。

  
実際にはこの名前の町はなく、下関や上関(かみのせき)が
  実在する。
上関は風光明媚でNHK朝のテレビ小説『鳩子
  の海』にも舞台にもな
ったところだそうで、町の規模もさ
  ほど大きくなくこちらのほうが似
合っているように思う。

  
表紙には、遠くに青い空と入道雲が、前には場末の映画館
  と風呂敷を
カッパ代わりにチャンバラの刀を持ったランニ
  ング姿の少年が描かれ
ている。今時は真夏でさえ、ランニ
  ング姿は見かけなくなったが、昔
はそこら辺によくいたな
  んとも懐かしい少年の姿だ。

  
ただ、のるまんじいが小学生のころより随分前の話だと思
  う、念のた
め(笑)。 

  
これだけでタイムスリップした気分に陥ってしまった。風
  呂敷やスモ
ックは時には渡世人の三度笠のカッパになり、
  またある時はスーパー
マンのマントにと早変わりしたもの
  だった。今のように立派なゲーム
などはなかったけれど、
  身の回りにあるなんでも遊び道具にして不自
由はなかった。
  現代を生きる子どもたちがその頃の時代と同じ環境に
身を
  置かれたら、道具がなくて何をしたらいいか分からずにさ
  ぞ困る
だろうけど。

  
小さな港町のただ1軒ある地元の人が「ナカンセキザ」と
  親しく呼ぶ
中関座という劇場に去年の夏祭りには、チャン
  バラの旅芝居がかかっ
たので、ノブオは今年も楽しみにし
  ていたところ、今年はストリップ
が来ると友だちの辰彦か
  ら聞いた。だいたいストリップそのものをノ
ブオは知らな
  かったし、女が裸で踊るのだと辰彦が吐き出すように言

  たのを聞いてがっかりしたのだ。

 
  旅芝居、これもまた懐かしい響きである。
 
  それから、町を宣伝カーが派手に回るようになりいやでも
  耳に入って
くるようになるのだった。

  
寝ていた子を起こすように己の記憶の深いところに長い間
  眠っていた
欠片を拾おうとしたころ、恥ずかしながらのる
  まんじいは如何せん晩
生だったもので(笑)、ノブオと同
  じその頃にストリップがどうのこ
うのということはなかっ
  たように思う。

 
  それが『11PM』なんていう深夜のテレビ番組が放送さ
  れ出すと、
突如として本能がむくむくと目を覚ましたのだ
  った。どんなに大人に
注意されようが、そこはその、まあ
  巧みな言い訳で。その頃、知った
んだろうかストリップな
  んてものを。早熟な同級生から情報を得たの
だったろうか。
  男の子がやがて男になって行く1つのステップとして。

 
  さて、入川の船だまりでノブオが辰彦とひと泳ぎして休ん
  でいた時、
中関座の裏手の石畳にひとりの女の子が立って
  いるのが見えた。話か
けられ、言葉を交わすうちストリッ
  プに出る女の娘だということがわ
かった。
 
  女子と表立って話すことがまだ照れくさかった時代。
 
  祭りの日の屋台をひやかして歩いていると浴衣姿の女の子
  とまた出会
った。女の子は灯台が見たいという。約束をす
  る時、むりやりに指切
りをしてきた。ノブオは顔が熱くな
  っていくのがわかった。

 
  うぶだなあ。
 
  その夜、女の子と辰彦と3人連れ立って波止へ出かけた。
  誰もいない
波止からながめていた。
 
  そのあと、女の子に誘われるままに女の子の「おかあちゃ
  んのおどり
」を見せてもらえることになった。通路口から
  2階に上がったノブオ
は、舞台中央で踊るその人を天女の
  ようだと思った。その夜、家で浴
衣を脱ぎ出した母に風呂
  に一緒に入ろうとさそわれるが入りたくなか
った。
 
  微妙な少年のこころの変化。もう後には戻れない。
 
  今なら、情報があふれているから、こんな“うぶ”な感情
  を持てるだ
ろうか。
 
  その後、ノブオが女の子と出会うことはなかった。すでに
  旅立ってし
まったのだった。それでも、指切りした時の、
  女の子の小指の感触を
ノブオは忘れなかったし、それどこ
  ろか、思い出すたびに胸のあたり
が、きゅんといたくなり、
  ちょっとなきたいような気分になった。

 
  それから、40年近くが経って……。
 
  すっかりおじさんになっちゃって、昔を懐かしむようにな
  った世代の
人の必読図書かな。現代の子どもたちにはこの
  物語、どんな風に映る
だろうか。なんだか感想を求めた時
  に「べーつに」なんて返されちゃ
ったらどうしよう。「パ
  パの小さかった頃は……」、いや「ジイジの小
さかった頃」
  にと話し始めたとき、真剣に耳を傾けてくれるだろうか。

 
  特に男の子を持つパパたち、ジイジたち。一緒の時間を作
  って男だけの
旅をしてやってほしい。
 
  近ごろの子どもたち、スキンシップが足りてないんじゃな
  いかと思う時がある。

   
  ノブオと同じ小学生の頃その度その度の長期休暇が近づく
  と嬉々とし
てふるさとを語る友があって、それがいかほど
  眩しく映ったことだっ
ただろうか。そしてそんな田舎があ
  る友だちをどんなに羨ましいと思
ったことか。まだ旅が日
  常的でなかったあの頃、未知への広がりと無限
の期待をそ
  こに感じたことだっただろう。その後旅をしたくてしたく
  
て、あっちへこっちへと始まった原点はここにあったのか
  も知れない。

 
  台風11号が猛威を振るいながら、日本海を北上中であると
  いう。被害
の少なからんことを心より祈る。
 
  本書を飾る田頭よしたか氏の水彩画が素晴らしく、それだ
  けでも一見
の価値があると思う。特に、1ページ、58・59
  ページ、そして傑出の
84・85ページはぜひご覧いただきた
  い。田頭さんが1950年山口県出身
だそうで、もしかすると
  このノブオ少年のモデルかも知れないなあと
のるまんじい
  は思った。根拠は本文86ページに出てくる。

  
小学中学年以上。オヤジ世代以上の方にはたまらない1冊
  になると思
う。ぜひご一読をお薦めしたい。
 
 
 
 ===========================================================
 
 
 
      
   那須正幹の「それいけ!ズッコケ三人組ホームページ」は
 
 
 

    http://www.poplar.co.jp/zukkoke/
 
 
 
    

   田頭よしたか・ぷれぜんつ
 
 
 
    
http://yosi-tagasira.net/
 
   
 

    上関町観光協会は
 
 
 
    
http://www.kaminoseki-kanko.jp/
 
 
 
 
 ==========================================================
 
 
 
 
          台風がテーマになった本
 
 
 
 
       
「たいふうがくる」
 
   
            
             みやこし あきこ作/絵
 
 
 
            BL出版/刊
 
 
     
 
 
   ===========================================================
 
 
 
 
 
       あの日、指きり
 
 
 
    
 
 
                 那須 正幹/作
                 田頭 よしたか/絵  
   
 
         
      
            2006年8月 初版 草炎社刊
             
 
 
 
         草炎社のホームページは
 

 
       http://www.soensha.co.jp/     
   
 
   
   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
   ============================================================

PR

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< September 2017 >>

にほんブログ村

ブログランキング

selected entries

categories

archives

recent comment

recent trackback

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM