JUGEMテーマ:エッセイ
「物書き」になりたいという夢を改めて持った。
思い返せば小学生の卒業文集の将来なりたい職業の1つに「小説家」と書
いたはずだ。やがて才能がないことに気づきあきらめたが、ここぐらい十
年前にふと随筆や紀行文を自分の手で紡ぎ出したくなった。メルマガ、ブ
ログと開設をして、プロのライターに長く批評を仰いだ。
しかし、どちらも世に出そうとするとリアルな「現在」がほしく「取材」
が不可欠だと思い知った。あちこちへ軽やかに動かないといけないと。
この歳になってくると旅好きだったはずの自分が思うように心も身体も動
いてくれないことに気づいた。冗談半分に「誰かお守りしてくれ」と発信
したこともあった。
となれば、この「物書き」における「相棒」がほしくなった。(書けもし
ないくせにだが…)
そう思いついた時に頭にひょいと浮かんだのは田辺聖子氏の秘書ミド嬢の
存在だった。妄想は際限なく広がっていった。誰かそういう人が都合よく
現れないかと夢うつつの中で願った。取材に欠かせない「相棒」をと。し
かし、やがてこの思いは「記憶の澱」の中に静かに静かに沈んでいき、い
つの間にか忘れていった。
「ねえ、ぼくがマネージメントしてあげるよ」
春まだ浅い東京国立博物館の前庭にあるお気に入りのベンチにぼくと彼は
腰かけていた。「仁和寺展」開催中で、目の先ではエスニックな装いでア
ラビアコーヒーの提供をしていた。ふたりの手にもそこでもらった紙コッ
プに入ったコーヒーとナツメヤシがあり、たわいない会話と共に楽しんで
いた。風はおだやかで青い空のところどころに雲が浮かんでいた。
ここ何か月前から彼は短歌の道をめざし始め、ぼくにも一緒するよう何度
も勧めてくれていた。この日も続きを話していた。そこで、
「ぼくには短歌や俳句の才はないなあ。でもやるなら散文を、それも随筆
なら何とかなるかも知れない」と何気なく伝えてみた。ただし、先にも書
いたように「相棒」が欲しいことも伝えた。
そこで返ってきたのがさっきのことばだった。あまり本気にしなかったが、
彼は至って本気で、「記憶の澱」を棒でぐるぐるかき回されたように眠っ
ていたものが起き出してきたようだった。
これまで短期間ながら、つき合いの中で以外にもお互いに共通点が多くあ
ることに気づいていた。逆にこれだけは何があっても譲れないという違い
が存在することも承知していた。
「伊勢に行きたい」と言い出せば、「一緒に行ってみたい」と言い、早速
計画を具体的にに考え出すのは決まって彼の方だった。「ふぐを食べに行
きたい」と言い出した時も即答だった。
そしてもう一つ。自称「プチ乗り鉄」の自分だが。ある時「シベリア鉄道」
に乗ってみたいと語ったら、「おつきあいしますよ」笑いながら返され、
その前に国内で練習しよう、例えばサンライズ瀬戸か出雲で旅をしようと
提案してきた。丁度夜行寝台列車が消えていった時代にぶつかった彼は乗
る機会を逸してしまったようだ。「瀬戸」なら高松で讃岐うどんを、「出
雲」だったら出雲大社に詣でて、割子蕎麦をと会話ははしゃぐように盛り
上がるのだった。
「美術鑑賞」「食」「鉄」はぼくらにとってセットになっていった。負担
はかけない、楽しければいい、歳だもの。のんびるゆったり急がない。
それがいい。
]]>
JUGEMテーマ:趣味・日常生活
月に何度かきまって駅前のカフェを利用し便利にしていた時期があった。
スタバやタリーズよりも先発のチェーン店としておこう。カフェという
より喫茶店と呼びたいのは自分だけかも知れないが。
用事ができると、約束よりも早めに目的地に着いて時間調整を兼ねての
ランチを楽しむことにしていた。バケットのサンドイッチやソーセージ
にマスタードが塗ってあるパンに、気分でホットかアイスコーヒーを頼
むことにしていた。
いつも使う店はなかなか繁盛している。特にシニア世代の割合が高く、
「賑わう」ということば通り大きな声の話し声があちこちから聞こえて
くる。
同じ系列の国立大学通りの店などとは趣がかなり異なる。よそから椅子
を持って来て腰かけて何人かで盛り上がっているグループ。知り合いを
見つけて立ったまま話を続ける人。別に悪気もなく、そこにはむしろ「
パワー」を感じさせる。
だからか店員もすべて了解して注意するでもない。若者は黙々と自分だ
けの世界で勉強を続け、サラリーマンもまた自自分の好きなように過ご
している。かくいう自分は何だか人間観察をしているようだが、実のと
ころぼうっとするのを楽しんでいる。
気がつけば左隣では婦人が家で切り抜いてきたか新聞記事を何枚も取り
出し丁寧に読み始めた。時々コーヒーを口に運びながら。
そう、ここに集う誰もに共通しているのは店の「コーヒー」などを飲ん
でいることだ。それぞれが思い思いに好きにして過ごしているのに、誰
もが「コーヒー」で結びついているのだ。店内にいる誰ひとりとしてそ
んな風に結びついているなどと思ったためしはないだろうが。どうも不
思議なことに心地よい一体感に包まれているようなのだ。思い過ごしか?
ではないだろう。
いいではないか。「コーヒー」が取り持つ縁だもの。そう思いつくとこ
の店の客になることがより楽しくなってきた。また、あの雰囲気の中で
コーヒーをゆっくりと味わいながら、のんびりお昼を過ごしてバケット
のサンドイッチを食べてやろうと期待する自分がいた。
]]>JUGEMテーマ:趣味・日常生活
「寒いでしょう? ストーブの近くに座って」
つめれば3人は座れるベンチへと促したのは同行のМさんだった。赤ち
ゃんを前に抱っこして寒風の中、自転車でやって来た母子にさりげなく
話しかけたのは自然なことだった。
1月も正月気分が抜け、前から行ってみたかった自家焙煎の「たまじ珈
琲」への同行を願った。そこは京王井の頭線西永福駅に程近く、コーヒ
ーも飲めるというので期待して出向いた。
改札口から出て歩いてまもなく店は容易く見つかり、来訪の意を告げた。
連れがここのコーヒーの味は独特だと聞き及んで取り寄せをしていた。
さて、コーヒーを飲もうという段になって驚いた。冷たい風の吹く屋外
にベンチが置かれた場所があり、そこでならということだった。ストー
ブも置いてあったし。せっかくこまで来たのだからと注文して、前の家
族連れが立ち去るのを待って座り、味わい始めた2人だった。知る人ぞ
知る名店で個性的な豆が特徴でそれを自慢しながら味わっていたところ
に赤ちゃん連れの女性が姿を現したのだった。
風が直接当たらないところへと促した。思うほど時間は過ぎなかっただ
ろうが、Мさんはお母さんと話をしながら優しい眼差しを2人に注いで
いた。その人はわが子に心からいとおしそうに慈しみ深く、絶えず話し
かけていた。赤ちゃんもご機嫌でずっとにこにこしていた。しっかり防
寒してありそうでそれ程寒くはないだろうが。ゆっくりゆっくり赤ちゃ
んに話しかける。まだ会話は成立していないがお互いに顔と顔を向き合
わせ二人の世界を作っていた。何と幸せな赤ちゃんだろうかと。母の愛
を独占して育っていくに違いないだろうと感じさせてくれた。
美味しい珈琲が飲みたいからとやってきて、寒さの中で味わう2人に思
いがけない出会いをさせてくれたことに感謝した。「偶然」って素晴ら
しいなあと思いながら。
残ったコーヒーの飲み干し、店に別れを告げた。コーヒーが作ってくれ
た「偶然」に感謝しながら。
]]>
JUGEMテーマ:趣味・日常生活
うょしましごすできんげ。すまきてしわらあをたがすつずしこすがるは。
すでんゅしっりはか3、んぶつせはか2。すでつが2らかたしあ。りわ
おもつが1でうょきでのもいやは。ちに13つが1はうょき。
「なんでもさかさまのリバースデー」だからと去年のきょうドイツ大使
館がツイートしてくれたので。
]]>JUGEMテーマ:趣味・日常生活
ツイッターのタイムラインに流れてきた画像の1
枚に目が留まった。そこには太い1本の樹木の根
元近くにむした苔にこれでもかと降りているも霜
が映っていた。
そういえば霜を見る機会がほとんどなくなって久し
い。土があれば霜が降りたと分かるのであろうが、
今の住まいの外へ出るころには既に消え去っている
のだ。それでも霜は自分にとってある頃までは随分
と身近な存在だった。
怡庵が小学校低学年の頃のことである。「東京都」
といえばカッコいいが、それは名ばかりで都会でも
ない畑ばかりが広がる田舎だった。いや畑しかない
という方がふさわしいところだった。うちの辺りは
みなどこも百姓家で畑を相手に一年中仕事をしてい
た。
集落は左右に伸びる都道沿いにきれいに並んでいた。
その道路には防風林としてけやき並木が形作ってい
た。
家々から歩いたら5分以上かかる南に、都道と並行
したように町道が走っていたが、そこまでが各々の
持ち分で、耕作していた。野菜を主に作り、ある農
家は麦を、また陸稲(おかぼ)を収穫していた。また、
雑木林を持って、そこで落葉した葉を堆肥として利
用するところもあった。
南北に走る道路は要所要所にしかなく後は各家が畑
道を作っていた。若い人に分かるだろうか。畑へ行
くための道で当然舗装されていない土の道だ。
この道を歩いて公道に出てそれをとにかく西へ突き
当りまで歩いて行くのが常だった。その突き当りに
小学校はあった。父親たちが通った小学校でもあっ
た。
日々畑道を歩くのだが。冬になると当たり前のよう
に毎朝霜がおりた。畑には霜枯れて頼りなくなった
大根の葉の列、形が違うので牛蒡の葉だと分かるも
のみなすべてがまるで白く粉を吹いているようだっ
た。何も植わっていない畑も畝になっていればその
形に、平なら平らに霜がおりて真っ白な世界だった。
ただ白いといっても雪が降ったのとは違うが。出荷
しないで取り残した細い白菜もしなびたように元気
なく見えていた。それらを見ながら足元の霜柱をつ
ぶしつぶし、少しばかり爽快に歩いたものだっただ
ろう。
ただ。
行きはよいよい帰りは…というが。小学生の低学年
は比較的早く帰る。給食を食べて「さようなら」だ
った気がする。学校を出た当座は何人もいた友だち
も次第にひとり減り、ふたり減りやがてひとりにな
っていき。
さて。
朝来たのと同じ畑道を戻るのだが。この時間の畑道
はとてつもなく厄介な道に変貌していた。チューブ
状のチョコレートはご存じだと思うが一面があの状
態で自分の帰りを待ち受けていたのだ。「さあどう
だ、通れるものなら通ってみろ」そんな感じだ。練
りに練ってグニュグニュ。色も泥だからまあ同じよ
うなものだが、さすがに食欲はわかなかった。
グニュグニュの中の少しでも歩けるところを探して
歩く。間違えばズック靴を取られる。小1なんかに
とってはどうしようもなく難儀する。身体もそれほ
ど大きくなくひょろっとしていたから安定感がなか
った。もし間違って足を下せば靴下ごとグニュっと。
しくじったと思ってももう遅い。足を上げ靴下を脱
ぎその足を靴に戻さなければいけない。慎重に、慎
重に。万が一また泥の中に足を置いたり、尻もちを
ついたら悲惨極まりないことになる。そうでなくて
も長ズボンにべっちょり泥がつく。当時は品もよく
なくただ裂が縫い合わせているような長ズボンだっ
た。上手く歩かなければ裾が泥んこにもなる。
失敗して、「洗濯が大変だ」とおふくろよく叱られ
た。泥というやつはなかなか落ちてくれなかった。
そうでなくてもちょろちょろしていた怡庵だから汚
して帰る方が多かったから。
ともかく普通に歩いても5分以上かかる道をそうや
って日曜日以外は往復しなくてはならなかった。朝
になれば悪戦苦闘をけろっと忘れて出かけていくの
だが。
そしてまたぐるっと大回りをすればそこを歩かずに
すんだかも知れないが例の「通学路」とかの問題が
あったかも知れないが、親子でその話をした記憶も
ないのだ。小3の終わりまでこの道の往復は続いた。
小4になるところで児童数増で小学校が家の近くに
新設され転校することになったのと、その影響でか
新しく舗装された道が造られたので、この「格闘」
からは卒業できた。
それでも、「霜」を見るとどうしてもその頃を思い
出してしまう。あのグニュグニュ道を。ふらふらと
足を取られながら歩く幼い自分の姿を。
JUGEMテーマ:趣味・日常生活
シシリア料理のデザートが食べてみたいから、ご
一緒しない?とlineが先週飛び込んできた。私は
週末大丈夫だからとも。お相手はシシリア・マフ
ィアの小説を読んで南イタリアいいねというМさ
ん。
ここのところ体調があまり思わしくなくて、だった
がその店が西武新宿線新井薬師前駅近くにあるらし
い。そこまで言われたら、じゃあと重い腰を上げる
ことに。
終日雨の降る日曜日、駅で待ち合わせることに。目
的の店は食べログにはランチもあってと。線路伝い
を中野通りへ。すぐに店は見つかったが、18時open
とある。間違いなくこの店だよねと確認し合い、電
話をしたら看板の通り(苦笑)。シシリア料理が〜
ぐじぐじしていても仕方ないので、どこかへと。
すると道の向こう側にパン屋がありお茶をしている
人の姿も。結局シシリア料理がコロッケパンと小豆
と薩摩芋が入ったゴマパンに化けた美味しかった
けど、喪失感の方が大きい。その後Мさん、哲学堂
へ行ってみたいと。前からそんな話だったので覚悟
はしていたが。
雨の中を歩くことに。妙正寺川が美しかった。東洋
大学の創立者井上円了博士が建てた独特の建物群に
歓声を上げ、中に入ってご満悦。妖怪(おばけとも)
博士の異名を円了先生は持っていたと。
まあ足元は悪いが雰囲気はよかった。その後哲学堂
通りを駅前に戻り、古本屋を冷やかし、どうしよう
かと考え、いつもの「うた」さんへ。
杏のケーキと7月のブレンドのハーブティーを。ケ
ーキは杏の自然の酸味がよく美味ハーブティーは
ローズが効いていた。申し訳ないぐらいゆっくりさ
せていただいて語らいに語らい。
駅で見送るということに。シシリア料理は東京に
は数軒あるそうだから別の機会に
]]>
JUGEMテーマ:グルメ
5日が親子丼できょうが蕎麦ではいささか芸が
ないが。どんな蕎麦が好きかと。随分と幅が広
い質問で。
十割か二八かはたまた更級が好みとか、ともか
くどうにでも答えられるような設定だな。
元々うどん文化の下で育ったので(東京でも西部
だから)、蕎麦よりうどんが好きで。近所の寄り
合いといえば必ずうどんが供された。
いつから蕎麦を旨いと思い出したか?
おそらく当時の仕事場の近くに蕎麦屋があって旨
いと評判だったから顔を出し始めたか。色の黒く
て麺の太い腰があった蕎麦で、天ぷらをつけた。
それからかな。
立川に旨いと言われる蕎麦屋があって何度か。名
前は書かない。2軒ともトイレが臭かった。
まあ、それから徐々に蕎麦を覚えて。蕎麦自体、
日本原産ではないようでユーラシアでは広い範囲
で食べるようだ。もちろん、「そば切り」ではな
いが。
東欧でもよく食べるとか。フランスのブルターニ
ュあたりではガレットで食べるとか。ブントン人
の誇りだと、森絵都氏は作品『ブルノワール』で
主人公の母に語らせている。新宿タカシマヤのレ
ストラン街に店がある。神楽坂にも知られたレス
トランがあるそうだから訪ねてみたい。卵やハム
を使ってらしいから、また雰囲気が違うだろう。
同じ食材を全く違う方法で食べるというのも楽し
いものだ
山形県鶴岡では粒蕎麦を出すこれがまた旨い!
]]>
JUGEMテーマ:グルメ
【親子】の話をと言われても、何度も親にも子
どもにも登場してもらっているので。
ぼくらの世代にとって鶏卵は贅沢品だった。祖
父の妹が実家に顔を出しにくると決まって婚家
へ鶏卵を手土産にしていただからか卵は憧れ
の品であり、今でも好物の1つだ。若い頃は食
べ過ぎていると医者に注意された。
その卵を使った「親子丼」も好き。もちろん鶏
肉も旨くなくてはいけないが、最後にとろっと
ろの半熟卵が上からかけてあり少し蒸した状態
になっているのがいい。残念なことに人形町の
『玉ひで』にはお邪魔したことがない。行列の
できる店、気になる。
立川の伊勢丹の地下に名古屋コーチンとその卵
を使った親子丼を食べさせるイートインがあっ
て何回か足を運んだことがある。
鶏肉を甘くそぼろにして、煎り卵と2色にした
弁当も言ってみれば「親子」でそんな店があっ
た。
1度は食べてもいいかなと思っているのに、鮭
といくらの「親子丼」があるが北海道へ出かけ
ても意外に食べる機会がない。ぼく以外の家族
はいくらが好きだから口に入ってもよかろうと
は思うが。観光客向けの食べものかもね
魚卵を考えると結構日本全国ご当地の親子丼が
ありそうな気がする。情報がほしい。
親がいない「卵丼」も好きで。奈良西ノ京駅の
「塔」の関東人には頼りない味の卵丼が懐かし
くて仕方ない
]]>
JUGEMテーマ:趣味・日常生活
ピンクということばにも沢山の意味が足されて
幅広く使われる。また、色そのものにもうっす
ら桜色からサーモンピンク、ショッキングピン
クと幅広い。
さすがにピンク色のベストは着たことはないが
若い頃は淡いピンクのタートルネックを着たこ
とがある。
『きのう何食べた』のケンちゃんもピンクは好
きだというし、男性諸氏も身につけたらどうだ
ろう。
特に歳を重ねてきて地味な色使いばかりすると
余計に年寄り臭くなるように思う。ちょっとし
た小物やインナーなどに持ってくるといいなあ
と。
ゴルフをなさる方はピンクのシャツを堂々とお
召しになれるか
一方和服となると難しいかな。着尺だけだと舞
台衣裳のようで。長襦袢の袖口や裾からちらっ
と淡いピンク見えるぐらいなら可か。はたまた
袴を付けた帯がやはり淡いピンクなら。まあ、
これは個人の趣味の問題だから
出入りだった呉服屋さんからピンクにも涼しい
夏の色があると聞いたことがある。上手く使え
ば涼しく見えるだろう。女性はそのへんを上手
くしているだろうと思うので。
菓子の世界でもピンクを多く使う。ことに干菓
子では。主菓子で時期でなければ美濃忠さんの
『初鰹』が浮かぶが。干菓子なら松華堂さんの
『星の雫』が時候にあう。
とにもかくにもこの「ピンク」といういろは日
本人に愛されて止まない色だ
]]>
JUGEMテーマ:趣味・日常生活
親戚、この悩ましきもの。
親戚って人によってずっと頻繁な交流がある形、
また行き来の全く途切れた形などに分かれるん
だろう。宝くじの高額が当たれば知らない親戚
まで現れるというが。
オヤジ自身おふくろの実家へ行っていたのは正
月と盆、冠婚葬祭ぐらいだったろう。早くに代
が替わったから、今頃のこのこ出向いたってこ
ちとらの顔を覚えているのは少数だろうし、歓
迎されることなく警戒されるのがオチなような
気がする。
いいことで世に名前が売れると「親戚」だと言
い出しそう。
それはおやじの方もそうだ。叔母は2人には小
さい頃可愛がってもらったが。残念ながら覚え
ていない。こっちも従妹弟たちに孫ができる時
代だから。
お互い同じ空気を吸って、無事でいてくれるの
が何よりではないかな。会ったからといって共
通の趣味がある訳でなく、歳を取った風体や家
族を見ても面白いとは思わない。同じようなDNA
を引き継いでいるはずだから同じようなことを
考えているんじゃないかな(苦笑)。
聞きたくない話の方が多そうで。これって妄想?
あんまり近くに住むのも善し悪しだよね。それ
だったら同じような趣味や気の合う人たちと語
らう方が楽しいと思う。
それはまた別?親戚は親戚?大事にしろよって?
便りのないのが無事な便りとも言うからなあ
]]>
JUGEMテーマ:グルメ
匂い談議になった。
「匂いが強い」食べものとは?おそらく発酵食
品なんだろうなと。
「くさや」は名前は知っているものの食べたこ
とがなくて。青ヶ島産のいただきものをしたが
脇からすっと取られてしまったことがある。旨
いと聞いてはいるがせっかく出してもらってご
めんなさいはないだろうから躊躇する。
それに対して琵琶湖の「ふな鮓」は文句なく旨
い。苦手な人の気持ちがちょっと分からない。
酒が飲めないのが残念でたまらない。和歌山県
新宮市の「さんま寿司」もなかなかのようだ。
こちらも未体験。発酵が進んでヨーグルト状に
なったのがいいというが。
漬物にもたくさんあるだろうが。今ではすっか
り有名になった京都の「すぐき漬け」。これも
初冬を迎えるとそろそろとなる。秋田の「いぶ
りがっこ」の匂いもいい。
生野菜の「パクチー」も食べ慣れると食べたく
なるね。最初、中華粥に乗っていた時は「何だ
?」と思ったが。
魚に戻ると韓国料理で「エイ」を使ったホンオ
フェが注目だそうだ。アンモニア臭が強いとい
う。釜山で食べると一入とか。カスベを食べた
ときは特に臭さを感じなかったが。
広島庄原あたりではサメを食べるとか。これも
一度はチャレンジしてみたい。
チーズはヤギのウオッシュタイプが臭いのだっ
たかな。10人ぐらいのグループでチーズをいろ
いろとって食べたのはぼくと外国人だけだった。
この歳になっても食べてみたいものはたくさん
あって、どこから攻めたらいいか迷ってしまう。
きっとみなさんは臭いがゆえに地元で愛されて
いる料理をたくさんご存じだろうと思う。
機会があったらぜひ教えくださいな。
]]>
JUGEMテーマ:趣味・日常生活
「写真」
今でも生きていることば、だろうか?ぼくらは
著しい変化に翻弄されながら生きている世代だ
と思うが。
「白黒」写真に「カラー」写真がはさまるように
なったのが小学校高学年の頃。遠足や修学旅行の
集合写真だけにカラーが。1枚当たりの単価も高
かったのだろうと。徐々にカラーは増えていく。
自分のカメラがほしくなって。念願のキャノンAE
1を手に入れたのは大学生になってからだったよ
うに思う。もちろんキャッシュでぼーんと買える
訳もなく。その後望遠レンズも自分のものにし。
子どもが生まれてからも使っていた。その前にも
う少し廉価なものを使っていたように思うが機種
の記憶がない。
この時にはもうすでにほとんど「カラー」になっ
ていた。新宿の「ヨドバシカメラ」「さくらや」
で安売りのフィルムを買った。色がいいというの
で、黄色い箱の「コダック」の36枚撮りを。青
系がきれいだというので「富士フィルム」を。紙
も「光沢」と「シルク」を気分で変えて。
カラーフィルムが買えなくてモノクロフィルムを
買ったことも。埼玉県の黒山三滝や山梨県の恵林
寺の写真が残っている。
いいものはキャビネに引き伸ばし。旅行には必ず
持って行った。結婚をして、子どもが小さい頃も
AE1を手放すことはなく、活躍してもらったが、
ある頃から調子が悪くなり、オーバーホールして
もらっても、どうにもならなかった。それから使
わなくなり今に至っている。
世の中デジカメになり、スマホで画像をという時
代になったが、すっかり興味がわかなくなり…。
もう1度活躍させたいなあ、AE1を。
写真は撮るのも好きだったが、観るのも楽しかった。
土門拳氏の「古寺巡礼」、入江泰吉氏の「大和路」に青
春の頃、大きな影響を受けた。奈良が好きになって、
写真を眺め、現地に足を運んだものだ。写真展にも
出向いた。仏さまにしても建造物にしても一瞬の時
をそこにとどめた力を感じる。
写真いいなあ
]]>
JUGEMテーマ:オススメの本
北海道の日本海側には礼文島、利尻島、奥尻島、
そして天売島、焼尻島などがある。
この中の天売島を舞台にした寺沢孝毅作、あべ
弘士絵の絵本『うみどりの島』が偕成社から刊
行された。
天売島は人口約300人が暮らす周囲12kmの
島。
ここには8種約100万羽の海鳥たちもそれぞ
れ暮らしている。「ケイマフリ」を一目見よう
と世界中のバードウォッチャーたちが訪れると
いう。また「ウトウ」「ウミウ」なども見られ
る。
断崖絶壁に群れる海鳥たちの群舞は壮観だとい
う。
本書中でも何十万羽ものウトウがひなのえさを
採る、夕日が沈んでゆく海を舞う姿が印象的だ。
学生の頃から憧れた地、天売。焼尻
]]>
JUGEMテーマ:趣味・日常生活
粗忽者ゆえ完璧などということばを使うことは
まずない。
例えばどこかへちょいと出かけようとする。時
間に余裕があって用意する時は却って注意が必
要で。さあという段になってないものに気づい
て慌てふためく。
茶道ではどうかというと意外に忘れものはしな
いように思う。袱紗類、懐紙、扇子も大丈夫。
着物を手持ちで茶席へ出かけて着替える時もま
ず心配はなさそう。前に新幹線の網棚に忘れた
けれどね忘れて誰かから借りようなんてまず
無理だから。
茶会で「点前をしてきて」と突然言われると一
瞬どぎまぎするが襖を開けて挨拶をしてしまえ
ばまあどうにかなる。途中で白くなって「あれ
?」となる時もあるにはあるがどうにか手が動
いてくれる。お点前をしたり、伴頭をしたりす
るのが楽しいのだと思う。
後から冷やかされてやっぱりやっちまったかあ
なんていうのもある。
でも、茶会での点前はそれこそ完璧でありたい
ね。緊張し過ぎないで自分のペースで仕上げた
いもの。でも、そんなの何回あったかな?
正客になるとこちらだけで『完璧』を目指して
も無理だな。主客一体で、あるいは『一座建立』
でいかないと無理だろう。
やっぱり『完璧』というのは難しいだろうなあ。
]]>
JUGEMテーマ:趣味・日常生活
お茶の先生の家の裏手に違う流儀の方がご夫婦で
おられ、先生と交流があったようだ。
これまた若い時の話。
そちらに自分より少しばかり年下の少年がいて、
何となく顔見知りだった。当然彼は父上に稽古を
つけてもらっていたようだ。
それが、ある時2人でお点前しあってみないかと
話が持ち上がった。年齢の近いお互いを意識させ
てもっと稽古に励ませようということだったか。
彼と母上が見え、何となく固い空気が流れる。ど
ちらも薄茶点法を披露しあい、お互いの点てた薄
茶をいただいたと思う。流儀の差があって興味深
いのは元々で彼もそう思ったに違いない。
たった1回のできごとだった。
その後顔を合わせればあいさつはしたが。今でも
詰め襟姿が彼の印象だ。
お父上とは東京茶道会とかでお会いしお話をする
機会はあった。
彼はどうしただろうかと思って。直門になったか、
家元の内弟子になったか、流儀の中で活躍してい
るだろうと思う。
親しくする機会があったら、茶会や茶事に呼びあう
茶友になれたかも知れないが縁がなかったな
]]>